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2019年11月10日 ヨハネの福音書 1:14 ヨハネの福音書 17:1-5
       「父なる神を信ず」使徒信条シリーズ4
       
序)使徒信条の最初の句を順次まなんでいます。「我は天地の創造主全能の父なる神を信ず。」「父なる神」という表現は、地上に遣わされた、主イエス・キリスト様が、天の神様にたいして、独特に使われた「父よ」という表現から、由来します。キリスト教会独特な表現です。「父なる神様」という言葉の意味をめぐって今朝いろいろと考え、信仰を増し加えていただきましょう。
 
Ⅰ 「父」をめぐり聖書で用いられる4つの意味 

①     
全被造物の起因として三位一体の神をさす。
Ⅰコリント 8:4-6「私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。なるほど、多くの神や、多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば、天にも地にもありますが、私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。」 
    

②     
旧約聖書の選民としてイスラエルとの関係で三位一体の神様に適用され
イザヤ 63:16 まことに、あなたは私たちの父です。たとい、アブラハムが私たちを知らず、イスラエルが私たちを認めなくても、主よ、あなたは、私たちの父です。あなたの御名は、とこしえから私たちの贖い主です。
 

③     
新約聖書で、ご自身に属する霊的な子たちに対して倫理的父として三位一体の神に適用される。
ローマ 8: 14-16「 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」
 神はすべての人間の父とはいわれていません。主イエス・キリストの贖いを信じて受けいれた者は、罪許されて、神のことされたのです。赦されて養子とされた子です。みたまがその人の内に働いておられる者が子です。
 
④ 第二位格との関係で。第一位格を指す場合 
ヨハネ 17:1 イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。 
 まことの意味で天の神を「父」と呼べるのは、子なる神・主イエス・キリスト様だけです。わたしたちが「父なる神様」とよぶときとは本質的に大いに違うのです。
わたしたちは養子とされたのです。み子は永遠に、み父から生まれたのです。
 
Ⅱ 第一位格である「父なる神」の特質
 ① 彼が、生まれず、出ず、何からも由来しなかったということです。これは、第二位格であるみ子が、永遠にみ父より生まれ、第三位格であるみたまが、み父とみ子とから永遠に出たもうたこと、と異なる特質です。ヨハネ1:13 「この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」18 「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」
 


 三位一体の神様の働きがご自分の外に表されるときは、特にみ父にその働きが帰せられています。贖い、創造と摂理、三位一体の贖いの計画を発表する
 ヨハネ17:4「あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。彼らはあなたのみことばを守りました。いま彼らは、あなたがわたしに下さったものはみな、あなたから出ていることを知っています。」
Ⅲ 特にわたしたちが、天の父なる神様を「父よ」と呼びかけることは主のいのりでまなびました。念のためにもう一度おさらいします。
 
 ⑴ 祈りの始まりは、呼びかけです。どのような状況の中でも、呼びかけから始まります。そして呼びかけは旧約、新約共に非常に簡単です。単純に心を込めて呼びかけます。
 
 ⑵ 父よ、私たちの、天にいます
 お父さんと呼びかけます。このことにより、祈る人が神様とどのような関係にあるかを自覚するのです。愛と信頼の交わりにあるお方として、神様をおとうさんと呼びます。どのような確信に立って、お父さんと呼ぶか。ヨハネ1:12「主イエス・キリストにあって、私たちはみな神の子としていただいた。」
 「お父さん」と呼びかけるとき、主イエス様によって罪赦され、神の子としていただいた自分であることをはっきりと確信します。また、そのように呼びかける事を赦された神様の愛の深さを覚えます。第一ヨハネ3:1「私たちが神のこと呼ばれるために、どんなに大きな愛を父から賜ったことかを、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。」
 神様はいつくしみや、憐れみにおいてすべての人をはるかに超えておられるように、愛に置いても、私たちの親よりもはるかに超えておられるのです。
 「私たちの」主イエス・キリスト様を信じた一同にとって、自分だけが神の子ではないのです。父はわたしだけの父ではない。私たちの父です。これは信徒一同が兄弟姉妹であることを示します。クリスチャンは皆、同じ神様のこどもたちです。たとえ、人種が違い、言葉も違い、顔の色が違っていても、みな、同じ天におられる神様の子どもです。この共通の家族意識が信仰生活の根本に流れています。
 
 ⑶「天にいます」と主は付け加えられました。
それは私たちが持っている、「父」という考えがしばしば低く常に訂正を必要とするからです。パウロが「私たちの主イエス・キリストの父なる神」と呼びかけるのも、同じ点からです。「父」についてこの世では、愛の父という概念を持っていない人々が多くいます。自分の父親の姿と思い浮かべて、それがよい場合はいいのですが、否定的な思いであった場合は、父よと祈り始めるのに抵抗があるでしょう。神様は父だけでなく、天におられる父です。主イエス・キリストの父、という呼びかけは、主イエス・キリスト様のような方の父はきっとすばらしい父にちがいない。それでパウロは「主イエス・キリストの父」と呼びかけるのです。では「天にいます」とはどのような「父」をそれはさしているのでしょうか。場所、空間をさすのではありません。これは神様の臨在のきよさをさしています。人間の父のように、罪や欠点にそまっていない。それ故に、尊敬と敬虔とおそれをもって祈るのです。また「天にいます」ということにより、神様の威厳、偉大さ、全能性を示します。その支配を示します。私たちが祈るとき弱さを覚え、心に苦痛を覚えていても、「天にいます」と祈り出すときに、神様がすべて威厳をもって治めておられる。すべてをご存じで、力に満ち、正しい理解と、愛とをもって、ことに臨んでくださる事を知るのです。また天の愛を示します。父としての柔和を示します。第二コリント1:3「もろもろの憐れみの父、いっさいの慰めの神」ルカ15:11-32
 神様は単に父でありたもうためばかりでなく、すべての父たちをはるかに超えてもっとも慈しみ深く、もっとも寛容で、もっとも愛にとまれるのです。キリスト者は、神様をこのような父であると信じているのです。