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3月7日礼拝の音声ファイルです。

礼 拝 式 順 

前 奏
神の招きと賛美
司会者:主イエス・キリストの恵みがあなたがたすべてとともにあります
ように。
会 衆:主の恵みがありますように。
司会者:さあ、主に向かって喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、
喜び叫ぼう。
会 衆:感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び
叫ぼう。   
一同:主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である    

教会福音讃美歌   5番 「父なる正義の神をたたえよ」
開会の祈り                          司会者

罪の告白の招き  イザヤ書55章6-7節           司会者
罪の告白の祈り                            
会 衆:あわれみ深い神よ。私たちはあなたに対して罪を犯したことを告白し
ます。思いと言葉と行いにおいて、禁じられたことを行い、すべきことを怠りました。私たちは心と知性と力を尽くしてあなたを愛しませんでした。自分自身のように隣人を愛することもできませんでした。あわれみのゆえに、これまでの私たちをお赦しください。今ある私たちを造り変え、私たちのこれからの歩みを導いてください。そうすれば、あなたのみ心を喜び、あなたの道を歩むことができます。あなたの聖なる御名の栄光が現われますように。アーメン。
個人的な告白 ( 黙祷のうちに )

赦しの確証  
司会者:  詩篇32篇1-2節
会 衆:  アーメン 

平和のあいさつ                            
司会者:神はキリストによって私たちを赦してくださいましたから、私たちも
互いに赦しの恵みを分かち合いましょう。私たちの父なる神と主イエス・
キリストから恵みと平和があなた方の上にありますように。               
会 衆:主の平和が、あなたとともにありますように。 

教会福音讃美歌    39番 「たたえよ救い主イエスを 」                                                    みことばの宣教
聖 書 朗 読    マタイの福音書 24章 1-2 節 
聖書の話  「宮の崩壊預言」廣橋嘉信牧師
教会福音讃美歌     230 番 「確かなもとい ただ主に置き」

聖晩餐式                        
[制定のことば] コリント人への手紙 第一11章23-29節
[式 辞][祈 り][分 餐]  [一同で祈る]
  私たちの贖い主イエス・キリストの父なる神よ。私たちは、主の聖晩餐に
あずかることができた恵みを心から感謝いたします。
  この主との親しい交わりにおいて与えられた祝福によって、神の子、光の子らしく歩む誓いに生き、各々の十字架を負いつつ御国で祝うその日まで、この聖礼典を重んじ、守らせてくださいますように。
  私たちの贖い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

献 金     
報 告  
教会福音讃美歌  272番 「みつにまして ひとつの神」
祝 祷                       
後 奏      567番 「アーメン・アーメン・アーメン」



2021年3月7日説教本文

マタイ24:1−2、ミカ3:9-12「宮の崩壊預言」

 序文)イエス様の地上最後の一週間の出来事を学んでいます。火曜日はさまざまな論争に明け暮れた一日でしたが、ことごとく主イエス・キリスト様の勝利に終わりました。論争が終わって、そこを離れました。弟子の質問に主イエスは答えて「宮の崩壊」預言を語られました。背景となっている旧約聖書以来の経緯と実際に起こった事柄を確認し、現代への警告を受け取り、信仰をまし加えていただきましょう。

Ⅰ 宮の崩壊預言 経緯

1 24:1「イエスが宮を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに向かって宮の建物を指し示した。」この平行章句マルコ13:1では『弟子の一人がイエスに言った。「先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」』と言ったとあります。弟子の一人が神殿の大きな建物を見て、その華麗さに目を見張りました。「使徒の働き」では、宮の門が「美しの門」と呼ばれていたとあります。エルサレムの神殿の正面に立てられた大きな門で、すばらしい細工を施した、コリント形式の青銅の門で、ほかの金、銀をはめ込んだ門よりもはるかに立派で価値が高いものでした。一つの門でさえこれほどだったので、宮全体が大きな石で造られ、金を張りつめた正面が夕日に映えてきらめく姿にユダヤ人は、天の神さまの永久不変性と、尊厳を感じていたのでした。弟子たちが、どんなにか感動したことでしょうか。現代社会の建築も同様で、人間様以外のものは美しく立派で堂々としています。それぞれ超一流のものが極められて、溢れています。建築物にせよ、ファッションにせよ、交通手段、通信手段、宇宙探査、様々な国の料理、食べ物なんでも立派で見事です。もちろん人間が破壊していないままの、汚していないままの自然世界も美しいのです。

でもそれらに囲まれて生きている人間様は何と惨めでわびしく寂しいことでしょう。心の中の貧しさについて思いたくないので、外側の立派さ美しさ究極と言われるもので飾っているのではないかと思うほどです。イエス様の時代よりも、外的人工物は美しく壮麗なのですが、そのような事柄だけに目を向けているなら、足元をすくわれます。うち続く大地震、洪水、津波、大豪雨、最近のなかなか消えない山火事など、大災害はそのような生活基盤を一挙に崩壊させ、回復に数十年以上もかかります。さらには外的な事柄の崩壊は、壮大な天地でさえも崩壊するという聖書の終末預言に心向けるべきと諭されます。

2 実は、エルサレムの神殿が崩壊する預言は、預言者エレミヤがミカによってすでに預言されていると追記してイスラエルに警告しているのです。「かつてモレシェテ人ミカも、ユダの王ヒゼキヤの時代に預言して、ユダの民全体にこう語ったことがある。 万軍の主はこう言われる。 シオンは畑のように耕され、 エルサレムは瓦礫の山となり、 神殿の山は木々におおわれた丘となる。」(エレミヤ26:18)この預言の原典はミカ書3:9−12にありました。「これを聞け。ヤコブの家のかしらたち、 イスラエルの家の首領たち。 あなたがたは公正を忌み嫌い、 あらゆる正しいことを曲げている。 流血でシオンを、 不正でエルサレムを建てている。 そのかしらたちは賄賂を取ってさばき、 祭司たちは代金を取って教え、 預言者たちは金を取って占いをする。 しかもなお、彼らは主を当てにして、 「主は私たちの中におられるではないか。 わざわいは私たちの上に及ばない」 と言う。 それゆえ、あなたがたゆえに シオンは畑のように耕され、 エルサレムは瓦礫の山となり、 神殿の山は木々におおわれた丘となる。」

3  ミカ書3:1-12は支配者、預言者、祭司について三つの託宣が4節ずつあります。告発と宣言が繰り返されて三つめに総合があります。

 1-4節 私は言った。「聞け。ヤコブのかしらたち、 イスラエルの家の首領たち。 あなたがたは公正を知っているはずではないか。 あなたがたは善を憎んで悪を愛し、 人々の皮を剝ぎ、その骨から肉をそぎ取る。 わたしの民の肉を食らい、皮を剝ぎ取って、 骨を打ち砕き、 鍋の中のもののように、 また大釜の中の肉切れのように、 それを切れ切れに裂く。」 そのため彼らが主に叫んでも、 主は彼らに答えない。 そのとき、主は彼らから顔を隠される。 彼らの行いが悪いからだ。」

支配者、預言者、祭司に向かって、与えられることば。「公義」を行う最終責任は王にある。公義は、神聖な律法に集められている判例と法廷で裁定されたその他の判決、さらに、公正に裁定された事例を指している。指導者たちは律法をさげすんでいた。ミカは彼らの悪い心をまともにのぞき込んで、契約共同体のしるしである公義と兄弟愛が育まれる状況を破壊している悪の根源を見ている。新しく生まれることから生み出される、新しい意欲以外に、道徳的腐敗を癒すものはない(ヨハネ3:3-8)。行政官たちは、自分たちに与えられている特権的な職務を寄る辺ない人々を守るために用いることはなかった。むしろ法を悪用して、その抜け道をついて、自分たちが治めている寄る辺の無い人々を痛めつけ、食い物にしている。自分たちは贅沢な生活をしている。身をすり減らすような貧困は、貧しい者たちを早死にさせた。それで、この預言者は、それと分かる比喩によって、行政官たちが食人族のような振る舞いをしている、このような状況を生み出す元凶となっていることを描いた。これは糾弾されている者たちの良心を呼び覚ますことを目的としていた。

4節すでに警告されている完全な破壊という裁きのことに戻っている。いくら叫んでも神は容赦されない。神の怒りの手に陥ることは恐ろしいことである。

② 5-8節 預言者たちについて、主はこう言われる。「彼らはわたしの民を惑わし、 かむ物が歯にあれば 『平和があるように』と叫ぶが、 口に何も与えない者には 聖戦を布告する。」 それゆえ、あなたがたには、夜にも幻がなく、 暗闇にも占いがない。 太陽も預言者たちの上に沈み、 昼も彼らの上で暗くなる。 先見者たちは恥を見、 占い師たちは屈辱を味わう。 彼らはみな、口ひげをおおう。 神の答えがないからだ。 

しかし、私には力が満ちている。 主の霊によって、公正と勇気に満ちている。 ヤコブにはその背きを、 イスラエルにはその罪を告げる。」

ミカは、欲得づくの預言者たちを非難している。自分を肥やすために「かむ物が歯にあれば」「かむ」と訳されたことばは11の用例の中で10までが蛇とかかわっている。悪意があって危険な蛇のように、彼らは自分を肥やすために犠牲者を殺す。11節にあるように、彼らには、神よりも金の方がものを言う。6節で主は偽預言者の賜物を取り去られることによって、彼らの不正の利得の源を取り去ってしまわれる。「暗闇」夜中の暗やみである。文字通りである。夢幻はしばしば夜中に与えられる。「昼も彼らの上で暗くなる」は比喩的な言い方である。

7節 彼らはその汚れのために人前で恥を受ける。預言者が偽り者であるということが明らかにされると、汚れた者と見なされる。彼らは悪用した預言の賜物にかかわる部分である口ひげを覆って歩かなければならない。彼らの職業は実態のないものとなる。

8節 「しかし、私は」強い反意接続詞である。まことの預言者の働きは御霊に基づいている。彼は平安ではなく、罪と裁きを宣べ伝える。また公義を打ち立て、不正を助長するようなことはない。ミカは「力」すなわち御霊に導かれた活動力と活発さと、「公正と勇気に満ちている。」すなわち、あなどりがたい敵と肩を並べる者とする勇気に満たされて、他の霊感を受けた者たちとともに、論争における慎みというベールを取り去っている。彼が御霊に満たされていることのしるしは「公正」を語っていることである。

③ 9-12節 これを聞け。ヤコブの家のかしらたち、 イスラエルの家の首領たち。 あなたがたは公正を忌み嫌い、 あらゆる正しいことを曲げている。 流血でシオンを、 不正でエルサレムを建てている。 そのかしらたちは賄賂を取ってさばき、 祭司たちは代金を取って教え、 預言者たちは金を取って占いをする。 しかもなお、彼らはを当てにして、 「主は私たちの中におられるではないか。 わざわいは私たちの上に及ばない」 と言う。
  それゆえ、あなたがたゆえに シオンは畑のように耕され、 エルサレムは瓦礫の山となり、 神殿の山は木々におおわれた丘となる。」

打ち倒されるエルサレム:9節前半「これを聞け。」傾聴せよ。告発がある9後半-11節。司法的な宣告は12節。

告発:問題の根源である、人間の不道徳な欲望にさかのぼっている。公義を忌みきらい、その暗くなった心から曲がった行いが生まれてくる。正しいことをことごとくねじ曲げている。貧しい人々を搾取する犠牲の上に、都市や国家の繁栄を図っている。投資する者たちを誉め称えたりはしない。

12節シオンは崩壊する。廃墟となる。ぶどうを栽培するところとなる。礼拝の痕跡はぬぐい去られる。「神殿の山は木々におおわれた丘となる。打ち倒されるエルサレム。」預言はすぐ近くのこととともに、もっと後のことも視野に入っているので、「打ち倒されるエルサレム」は歴史的に一回限りのことではなく、二回起こったのです。実際に起こった事を見てみましょう。

Ⅱ 神殿に実際に起こった事柄

1 エルサレムの神殿は、最初、ソロモン王によって、紀元前958年に起工し、建築に7年半かかって完成しました。これは、歴史的に、第1神殿と呼ばれています。この神殿の壮麗さについては、列王記上6章から7章に詳しく書かれています。紀元前586年に新バビロニア王国のネブカドネツァル王の軍によって、南ユダ王国が滅亡したとき、ソロモンの建立したエルサレムの第1神殿は破壊されてしまいました。

2 第2神殿は、バビロニア捕囚が終わり、ペルシアの王キュロスによって、ユダへの帰還とエルサレム神殿の再建が許され、再建されたものです。この神殿は、紀元前515年、ゼルバベルの指揮のもとで再建されました。補囚から帰った人びとは、貧しく、自分たちの生活のために働きながらも、神殿建設に財力と労力を提供しました。しかし、この第2神殿は、規模としても、美しさとしても、ソロモンの建てた神殿とは比較にならないほどのものでした。シリアのアンティオコス4世エピファネスは、ヘレニズム政策をとり、エルサレムの神殿を異教の神々を祀る神殿にしてしまいました。

これに反発したユダ・マカバイの反乱により、ユダヤ人の手に戻り、再び、礼拝することができるようになりました。

3 ユダヤが独立したのも長く続かず、ローマ帝国の占領下に置かれ、その中で、ヘロデ大王が紀元前20年頃から、第2神殿を拡大するかたちで、壮麗な神殿に建て直しました。完成を見たのは紀元64年でした。イエス様の時代はこの神殿は一応の完成を見ていたが、まだ継続中でした。ヨハネ2:20に「そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿を建てるのに四十六年かかった。あなたはそれを三日でよみがえらせるのか」とありますが、まだ完成してはいなかった。

Ⅲ マタイ24:2「まことに、あなたがたに言います。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」

このイエス様の預言は、50年もたたないうちに成就しました。紀元70年に神殿は破壊されローマ将軍ティトスの包囲軍隊がエルサレムの町に逃げ込んだ人々を兵糧攻めにして飢え死にさせました。経緯は次のように歴史書に記されている。「AD64年、有名な「ローマの大火事件」があり、ペテロがネロ皇帝によってローマで処刑された。その年、フルロスがユダヤ総督として着任した。するとユダヤ人とギリシャ人の間で争いが生じた。総督は争いを鎮めるための費用を神殿の財物に求めた。怒ったユダヤ人がエルサレムで暴動を起こした。総督は軍隊により鎮圧を図るが、反ローマ派ユダヤ人らがエルサレムに集結し、軍隊に立ち向かい、ローマ軍との「戦い」に発展した。66年5月、ユダヤ人は死海西岸マサダにあるローマ軍の要塞を奪った。ユダヤ総督の上司シリア総督が軍団を派遣するが、強い抵抗に遭い、途中で引き返した。67年春、皇帝ネロはウェスパシアヌス将軍を指令官に任命し、3軍団(約6万)を派遣。68年春にはエルサレム以外のユダヤの地をほぼ制圧した。6月、皇帝ネロが自殺。将軍はローマ収拾のため、エルサレム攻撃を中断した。69年6月、将軍は再び攻撃を再開するが、ローマの事情で将軍が皇帝に選ばれることになった。そこで息子のティトス将軍にエルサレム攻撃を一任した。70年春、4軍団(約8万)がエルサレムに向かった。5月、城壁が崩れ、8月末、神殿が焼かれた。市中は略奪、虐殺、破壊、焼失が続き、9月26日、エルサレムは滅亡した。」

現在(2021年)、今なお、エルサレム神殿の廃墟の後にイスラム教のモスクが建てられており、イスラエルの民は、神殿の外壁を嘆きの壁として覚え続けているのです。

結び)イスラエルの民が天地の主、創造主、彼らを選ばれた唯一の神を忘れ、その恵みと愛を放棄したために、神の臨在と約束の象徴である神殿が歴史の中で崩壊したことは、神が彼らを見放されたことを示していました。しかし、マタイの福音書の文脈も、ヨハネの福音書の文脈も、そのままではなかったことを示しています。信仰による回復の時を示しています。神の宮は、キリストを信じる者たちに聖霊により受け継がれ、その群れであるキリストの教会が「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」(マタイ28:20)との約束の中に現在も存在しています。ユダヤ人でも異邦人でも、誰でも、信仰により救い主イエス・キリスト様の救いの招きを受け入れるならば、聖霊の住まわれる神の宮として永遠にともにいることとなるのです。夢ゆめ神の宮とならせていただいた自分と信仰を放棄することなく、永遠の都(黙示録21:1-7)に住まい続けさせていただきましょう。

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