ようこそ!海浜幕張めぐみ教会へ!- Welcome to Kaihin Makuhari Grace Church!!

31日(水)10:00-11:00 受難週祈祷会 ヨハネ18:28-40  ピラトの裁判 続き

「あなたは」これは強調表現です。「あなたのようなものが、本当にユダヤ人の王なのか」相当あきれている。でも裁判官としては「何をしたのか」を知らなければ、裁くことができない。ヨハネの福音書にしかでてこない四つの事柄の第二番目がここにある。それはイエス様の答えで「わたしの国はこの世のものではありません。」(36節)である。イエスは、二つの国の対比をなさった。ローマ帝国の権威と力に裏打ちされたピラト、剣の支配者、この世の国。他方に十字架に上げられることを通してイエスが王として治める、この世のものでない国(36節)。「王」であることを認めると同時に、王権についてピラトに誤解されないために答えられた。

第三番目のことは「イエス様は神の国の真理をあかしするために来た。」という使命についてである。ピラトに対しての答えである。ことばとわざによってあかしした。神について、罪について、贖罪者の必要について、きょさの性質についての真理である。これらを堕落した人間にあかしすること、この長い間失われ埋もれていた真理を宣言し、人の目の前に高く掲げることが、主の公生涯の目的であった。真理に属する人々は、イエス様に聞き従う。神の愛に応答している人々である。主は言われた。「わたしは道であり、真理であり、いのちである。」ピラトは「真理とは何か」ということで、自分が真理に属していないことを示してしまった。この世の人であることを。第四番目がこの質問である。この時代ばかりか、今の時代も、「真理」に関する多くの不毛な思弁を、ギリシャ・ローマの哲学者たちから聞いて来た。真理を見いだせない人々も大勢いる。「真理」の存在そのものも疑ってかかる人々が大勢いる。

 使徒パウロはテモテに「ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエス」(テモテ第一6:13)と書いたのはこの情景を思っていたからである。

 イエス様はピラトの「あなたは何をしたのか」という質問には答えておられない。ピラトはいったいイエス様がどのような法律違反を犯したのかは、まだ何も分かっていない。ユダヤ人の所に出て行って、「あの人に何も罪は認められません。」と話している。公の権威のある彼が、イエスについて罪を認めなかったことはじゅうようです。この宣言は、主が「私たちの罪のためにいけにえとなるために来られた」事をより明白にしている。

その上で、彼一流のやり方で、この困難を克服しようとする。それは「過ぎ越しの祭りに、ひとりの者を釈放するのがならわしになっている。ユダヤ人の王を釈放しましょうか」と提案した。ピラトの臆病と弱さと、二心を示している。

しかし彼に意に反して、ユダ人たちは熱狂し、大声で叫び、直前に危険人物として判決を受けた強盗バラバを解放するように求めた。彼らはどうしてもイエスの血を求めた。それ以外に彼らを満足させることはできなかった。ピラトは窮地に陥った。ここにキリスト教の罪の「代償」の教えが実行されたことも示されている。罪深いババラバがゆるされ、何の罪無いイエスが代わりに十字架の死に処せられた。

 ローマの裁判官として「無罪」と宣言して解放するべき所を優柔不断によって、自らを窮地に陥れてしまった。