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4月1日(木)10:00-11:00 受難週祈祷会 ヨハネ19:1-15 十字架につけろ

 1節「ピラトはイエスを捕らえてむち打ちにした。」これはローマ人が十字架刑の前に囚人に加えた残虐な刑であまりの痛みと苦しみで途中で死ぬ者もいたほどである。これはイエスから告白を引き出すためにおこなわれた。またこのように捕らわれ人を扱う事でユダヤ人を満足させようとした。死刑の要求を取りさげさせよう考えた。兵士たちはおもうままにイエスを侮辱した。ピラトは王であるイエスをいばらの冠と紫色の着物(皇帝や王がつけた着物の色)を着けさせて、民衆の前につれてでた。群衆の憐れみをさそおうとした。この哀れな男が皇帝に反旗を翻すとおもっているのか。ありえないだろう。「いばらの冠」侮辱にしるし。額や頭にささったトゲトゲは、どれほど苦痛に耐えがたいか。しかし主は、再臨のときには「栄光の冠」をかぶっておいでになる。この対比は大きい。

 しかし祭司長たちや神殿の役人たち、扇動された群衆はイエスの苦境を見て同情するどころか、十字架につけよと激しく叫んだ。 ピラトは彼らに「あなたがたが、この人を引き取り、十字架につけなさい。わたしはこの人に罪を認めません。」といった。自分の手を汚すことを避けようとした。彼らの答え「私たちには律法があります。この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります。」ユダヤ人たちはこの時点で、ローマへの反逆罪という告訴を引っ込めた 。そして本当に言いたかたことを言った。「自分を神の子」とした。冒涜罪!「神の子」(フイオン セウー Son of God)という言葉を聞いて ピラトはますます恐れた。 ピラトはローマ皇帝が自分のことを「神の子」と呼んでいるのを知っている。その言葉を自分に当てはめて本当に使っている男が目の前にいる。冒涜罪とローマ皇帝とおなじ称号を使う反逆罪が、 ピラトの頭の中で一致した。

彼はイエスに問う。「あなたはどこの人か。」イエスの素性について最も重要な点を知ることができる。イエスは答えられなかった。 ピラトはさらに自分にはあなたを赦す権威があるし、また死刑に決める権威もあるといって、イエスに答えを促した。 ピラトは彼が願っているような答えを得ることができなかった。イエスは「上から」来た。イエスの権威は天の父から来た。

ピラトの権威はある意味で上からである。ローマ13:1「権威にはすべて神によって立てられたもの」だから。それでイエスを渡したものたちの罪は、ピラトよりも大きい。 ピラトの罪は小さい。それは彼が与えられた権威に従って行動しているからである。ユダヤ人たちはローマの権威を不法に使おうとした(11節)。 ピラトはこの言葉を聞いて少しは免罪される可能性を聞いた。少し安堵した。釈放のために努力した(12節)。しかし「カイザルに背く者だ」と不忠実者の汚名を着せられそうになり、ついに彼の良心は日和見主義に陥った。当時のカイザルはテベリオであった。彼は冷酷で、疑い深く、残忍な性格をもっていた。

 過越の週の金曜日朝6時ごろ、 ピラトは裁判の席についた。被告に死刑判決を下した。

ユダヤ人、祭司長たちは叫ぶ「カイザルの他に私たちには王はありません。」イスラエルの神を礼拝する者でこれほどの冒涜のことばはない。この言葉は、ユダヤ人指導者たちの消すことのできない不名誉を負わせ、堕落し目隠しされ神を捨て、神に見放された背教の民族と言う烙印を、ユダヤ人たちに永久に押すこととなった。創世記49:10「王権はユダを離れた。」預言が成就した。祭司長たちはメシヤの王国を否定し、カイザルに満足していると公言した。