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4月2日礼拝 音声ファイルです。

2021年4月2日(金)11:00-12:00 受難日 礼拝

招きの言葉  ヨハネの福音書 17章 1-4節
讃 美 歌   139 番 うつりゆく世にも
聖 書 朗 読  ヨハネの福音書 19章 28〜 30節
聖書の話し  「完了した」 廣橋嘉信牧師
讃 美 歌  136番 血しおしたたる
献  金
頌   栄   541番 ちち みこ みたまの
祝   祷
後   奏    567番[V]「アーメン・アーメン」

「完了した」「ヨハネの福音書 19:28,29,30]

それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。酸いぶどう酒がいっぱい入った器がそこに置いてあったので、兵士たちは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝に付けて、イエスの口もとに差し出した。イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。」

序) 主イエス様が、十字架上で残された最後の七つのことばの内で、今朝は「完了した」を聞きましょう。これは「万事休す」ではありません。下の原語では、終わりという意味とともに、完成する、成就する,充満する、という意味があります。ここはその意味です。

1 この一語の中に主イエス・キリスト様の地上で行われた救いのみわざのすべてが、込められて、言い尽くされています。「完了した」のです。主は公の働きを始められてまもなく、弟子達に次のように話しておられました。「私を遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、私の食物です。」(ヨハネ4:34)また次のようにも言われました。「わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」(ヨハネ6:38-40)

主イエス・キリスト様が地上に来られた目的は天の父成る神様の御心を成し遂げるためでした。父なる神様は御子によって世を救うために遣わされました。それは「良い牧者として羊のためにいのち捨て」て「羊がいのちを得それを豊かにえる」ためでした。また、主イエス・キリストはこうもいわれました。「私は羊のためにいのちを捨てます。」(10:15)。「だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。」(ヨハネ10:18)そしてそのことば通りにいのちを捨て、再び復活によっていのちを得られたとき、信じる者に与えられると約束された永遠のいのちは保障つきのものとなりました。

主イエス・キリストにとっては、身代わりの死から復活へという歩みこそが大目的を果たすためにどうしても通らなければならないことだったのです。

十字架上での死を目前にして、この目的達成の十分な確信をもって、主は「完了した」とおっしやいました。この世において罪の贖いのために、いのちを差し出す働きは、ここで一切が完了したのです。ですから、このように言い切ることができた主のお心のうちには、失望、落胆、後悔などは、これぽっちもありあませんでした。人生の最後において、真実に完了したとおっしゃいました。

私たちの罪の贖いが完全に成し遂げられたとの勝利の宣言です。この完了宣言によって、「こういうわけで、今は、イエス・キリストにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8:1)と聖霊様はパウロに書かせられたのです。

人間の救いのために、歴史上で神様が一回限り用意なさった贖いのみわざが完了したことを意味しています。もはや二度、三度とくりかえされることはありません。へブル1:3「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。」

あの十字架上の「完了」宣言は、神様がたしかに主イエス・キリストを用いて、人の罪の歴史、時間のただ中で贖いを成就したことを示しているのです。罪の負債は完全に支払われたのです。それは一掃されました。

2 受難のキリストは、十字架の上から、私たちに完了したと叫ばれました。まさに、あなたの救いのための準備は完了したのです。それは、あなたへの招きのことばでもあります。この宣言を聞く者に心からの喜びと感謝を込めて受け取られます。信じられます。主はあなたのために完了したと宣言なさったのです。あなたはこれ以上何を救い主に要求なさるおつもりですか?神様の側で用意するべきことはすべて完全に成し遂げられたのです。今こそ信じて救いをいただいてください。

3 実は、主イエス・キリスト様が十字架にかかられる前に預言しておられたご自身の歩みがあります。 「さて、イエスは十二人をそばに呼んで、彼らに話された。「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子について、預言者たちを通して書き記されているすべてのことが実現するのです。人の子は異邦人に引き渡され、彼らに嘲られ、辱められ、唾をかけられます。彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」(ルカの福音書18:31-33)。
十字架の上で贖いの犠牲は成し遂げられましたが、まだ「よみがえり」はおこっていません。当然です。ところで主は「三日目によみがえります」と言われたのです。次の日曜日イースターでお話します。しかし、今日の時点、(2021年4月)で学びをしている私たちに取って復活はすでに起こったのです。ですからその意味でも「完了した」のです。

しかし、もう一つ大切な未だ成就していない約束があります。それはヨハネ14:1-3
「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」「また来て」です。再び主がこられる日がある。救いを受けたすべての民を完全に救い、完成させるために来られる。その日には私たちの体の復活が起こるのです。主の贖いのみわざにあずかったものは終わりの日によみがえるのです。私たちはそれを信じて待ち望んでいるのです。

結び)主イエス・キリストの贖いのみわざは、公のご生涯の初めから、サタンの誘惑にさらされ、さまざまな障害をもって内から外から責め立てられました。最後はゲッセマネにおいて、その救いの道を曲げようとする誘惑もありました。

しかし、主イエス・キリストは、叫びと涙とともに、苦痛を忍び血を流しつつ、罪と悪との束縛の下に、滅びに向かっていた私たちを贖うために、ついに、その戦いを「完了」してくださったのでした。

それは大いなる勝利宣言でした。わたしのために、あなたのための勝利宣言でした。感謝いたします。