ようこそ!海浜幕張めぐみ教会へ!- Welcome to Kaihin Makuhari Grace Church!!

↑ 4月18日礼拝の音声ファイルです。 ↑

前   奏
招きの言葉 テサロニケ第一の手紙4章15-17節
さ ん び 「ジーザス・イズ・アライブ〜Jesus Is Alive」
さ ん び 「ひとりの御子さえ〜How Deep the Father’s Love for Us」
開会の祈り
主の祈り
教会福音讃美歌 338番 「この世のいのちは」
聖書朗読 マタイの福音書24:14-33
聖書の話      「主の再臨」 廣橋嘉信牧師
教会福音讃美歌 163番 「光かかげよ、主のみ民よ」
献   金
報   告
とりなしの祈り 廣橋嘉信牧師
頌栄(教会福音讃美歌) 271番 「父・子・聖霊の」
祝   祷 廣橋嘉信牧師
後   奏  567番[V]「アーメン・アーメン・アーメン」

4月18日説教
マタイ24:15- 33 「主の再臨」 廣橋嘉信牧師

序文)先回の説教「終末の前兆」の結論部分は次のとおりでした。「迫害も背教も世界伝道も、さらに社会的、自然的秩序の混乱も、それらは終末の前兆であって、それらが終わりを引き寄せる力や原因ではないのです。その日、その時を定めておられるのは神様おひとりだけです。私たちは『み国を来たらせたまえ』と祈り、福音宣教に励み、様々な困難の中で耐え忍んで信仰を全うしましょう。」今朝の部分で、主イエス様は、終わりの日の苦難を次々と予告して、クリスチャンたちに終末に備えてなすべき忠告を教えています。

Ⅰ 終わりの日の苦難


「預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら」─読者はよく理解せよ」。イエス様が引用されたダニエルの「荒らす忌まわしいもの」という預言は次のような言葉に裏付けられています。ダニエル書 8:13 私は、一人の聖なる者が語っているのを聞いた。すると、もう一人の聖なる者が、その語っている者に言った。「常供のささげ物や、あの荒らす者の背き、そして聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことか。」

ダニエル書 9:27「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、

半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。

忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」

ダニエル書 11:31「彼の軍隊は立ち上がり、砦である聖所を冒し、常供のささげ物を取り払い、荒らす忌まわしいものを据える。」

ダニエル書12:11「常供のささげ物が取り払われ、荒らす忌まわしいものが据えられる時から、千二百九十日がある。」

ところでダニエルのこれら預言は紀元前167年シリアのアンテオカス・エピファネス王がエルサレム神殿の聖所にゼウス神の祭壇を築いた時に成就しました。ですから「この荒らす憎むべきもの」は主がここで使われた時より200年も前に成就していたのです。さらに続いて、エルサレム崩壊の預言は紀元70年にまた、ローマ軍隊に侵略により成就しました。しかし「読者はよく理解せよ」。ダニエルの預言は今なお成就する時を待っている。 

いつであれ、このことが起こったら「山へ逃げよ」です。紀元前167年でも、紀元70年でも、さらにこれからであってもです。

 この預言が現代の私たちに与える警告:いたずらに「聖なる場所に」未練をもち、迷信的に、神の助けを頼むべきではない。宮の石の大きさや、壮麗な建築、立派な奉納物に驚きの目を見張るよりも、天に自分の名前が刻まれていることを喜びとせよ。いざというときは山にでも逃げよ。偶像となった宮から身を引き、主につながっていることに信仰の中心を据えよ。

 

Ⅱ 「ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。」

紀元70年のとき、山に逃げた人々は助かりました。ユダヤ教徒たちは宮に立てこもり天からの助けを期待しましたが、だめでした。一方、主イエス様の言葉を覚えていたクリスチャンたちは宮も都も捨てて、遙かペレア地方にまで逃げ出して助かりました。ローマの軍隊が包囲し尽くさないうちに脱出せよ。すなわち、何もかも捨てて一刻を争って逃げよというこの預言も確かに真実な忠告だったのです。ユダヤ主義の熱心党員が脱出を禁じたために滅びました。

町中にききんが激しく、身重の女、赤ん坊をもつ親の苦悩は想像を絶しました。主の警告のことばは、ユダヤ人にとって確かに現実だったのです。にせキリスト、にせ預言者も、ローマ、ユダヤの戦争の時に続出したのです。ユダヤの歴史家ヨセファスはユダヤ戦記の中で「ひとりのにせ預言者が、これらの民の破滅のきっかけになった。彼はその都の中で神が人々に神殿に昇れと命じたもうたこと、また、そこで助けられる奇跡的しるしを受けると言うことを公言した。当時、横暴者たちに民衆を騙すようにと、そそののかされた大勢のにせ預言者がいて、彼らは人々に神の救いを待つべきことを宣布した。」

 

Ⅲ 主の再臨の預言

29節「そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。」

主がここで、紀元70年のことだけをさして預言されたのではないことも明らかです。主キリストは神殿滅亡を終末の一つの型、比喩として語られたと考えることができます。ちょうどノアの洪水や、ソドム、ゴモラの滅亡が終末の滅亡の一つの型であるのと同じです。

1 キリストの再臨に関して起こる宇宙的な異変

 主キリストはここで特に天体の異変を語られました。日、月、星などの天体に想像を絶する異変が起こる。日は暗くなり、当然月は光を放たなくなり、その存在理由を失う。星は空から落ちる。絶える。天体は揺り動かされ、取り除かれる。ヘブル12:26-28。「あのときは御声が地を揺り動かしましたが、今は、こう約束しておられます。「もう一度、わたしは、地だけではなく天も揺り動かす。」この「もう一度」ということばは、揺り動かされないものが残るために、揺り動かされるもの、すなわち造られたものが取り除かれることを示しています。このように揺り動かされない御国を受けるのですから、私たちは感謝しようではありませんか。感謝しつつ、敬虔と恐れをもって、神に喜ばれる礼拝をささげようではありませんか。」救われることの重大性が強調されている。このような万物の更新を多くの人々はおとぎ話し程度にしか受け取らない。しかし、人間の争い、国と国、町と町は 地の利と天の利の故に起こっているのです。産物、水、資源の故の争いです。環境、世界が新しくされない限り、救いは来ません。新しい世界の創造、万物の更新、これは迷信、神話ではなくて、現実世界の根本的な解決を与える教えです。

 

2 キリストの再臨

30-31節「そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。」

第一テサロニケ4:16-18「すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。」

キリストの再臨を迎える二つの反応

 ⑴地上のすべての民族が、再臨のキリストを「見る」「嘆きをもって」黙示録1:7この嘆きをもっては、もうどうにもならない滅びと裁きとを迎えた後悔でしかないのです。彼らは再臨のキリストによって永遠の暗闇に投げ込まれるのです。「そこで泣いて歯ぎしりするのです」(マタイ24:51)。

⑵ 選民にとって、究極的な救いを実現してくれる待ちに待った出来事です。「ラッパの音」キリストが王の王として君臨する時の来たことを告げるのです。御使いを遣わしてくださる。一人ひとりの御使いの奉仕により、キリストのそばに連れて行ってくださるのです。天の果てから果てにいたるまで、四方八方から集めてくださるのです。再臨のキリストはどこに散らされ、どこに追い詰められている選民も見つけ出して救い集めてくださるのです。世の迫害が怖くて逃れ隠れていた選民も見つけ出して救ってくださるのです。

 

3 忠告

このように歴史を支配される神が、終末へと時代を運んでおられます。今生きている私達は、どのような姿勢で備えればよいのでしょうか。忠告がここにあります。イエス・キリスト様のことばの確かさを信頼して、時のしるしを見分けること、終末預言の確実性を悟ること。 32-33節「いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。」パレスチナのいちじくは、葉よりも早く花が咲き、早成の実を結び始めまるのです。葉が出るようになると早成の実を刈り取る「夏が近い」。葉が出ると夏である。そのように、主の語られた事柄の、様々な前兆を見たなら、主の再臨が近いと知りなさい。確かに、これらのことは起こるのです。起こるだろうか、どうだろうかではないのです。移りやすい人の世代よりも、主のことばが事実となって成就するほうが確実です。

 世俗化されることなく、油断なく祈ること。自分自身に気をつけましょう。もし心が放蕩や深酒や、この世の煩いのために沈み混んでいるなら、その日は、わなのように突然として来る。その日は、全地に住むすべての人に臨む。

 「祝福に満ちた望み」(テトス2:13)である主の現れを待ち望みましょう。

 

結び)黙示録22:20—21 これらのことをあかしする方がこう言われる。「これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。主イエスの恵みが、すべての者とともにありますよう  に。