ようこそ!海浜幕張めぐみ教会へ!- Welcome to Kaihin Makuhari Grace Church!!

5月2日礼拝のYoutube動画へのリンクです。
公開は1週間限定とさせていただきます。(5月8日土まで)
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https://youtu.be/gcxr3BUbIYg

5月2日礼拝の音声ファイルです。
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前 奏
神の招き
司会者 主イエス・キリストの恵みがあなたがたすべてとともにありますように。
会衆 主の恵みがありますように。
司会者 さあ、主に向かって喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。
会衆 感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。
一同 主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。

教会福音讃美歌 464番 「主がおられるなら」
開会の祈り

罪の告白の招き  イザヤ書55章6-7節
罪の告白の祈り
会衆 あわれみ深い神よ。私たちはあなたに対して罪を犯したことを告白します。思いと言葉と行いにおいて、禁じられたことを行い、すべきことを怠りました。私たちは心と知性と力を尽くしてあなたを愛しませんでした。自分自身のように隣人を愛することもできませんでした。あわれみのゆえに、これまでの私たちをお赦しください。今ある私たちを造り変え、私たちのこれからの歩みを導いてください。そうすれば、あなたのみ心を喜び、あなたの道を歩むことができます。あなたの聖なる御名の栄光が現われますように。
アーメン。

個人的な告白 ( 黙祷のうちに )
赦しの確証   詩篇32篇1-2節
会衆 アーメン。

平和のあいさつ
司会者 神はキリストによって私たちを赦してくださいましたから、私たちも互いに赦しの恵みを分かち合いましょう。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平和があなた方の上にありますように。
会衆 主の平和が、あなたとともにありますように。

みことばの宣教
聖書朗読 マタイの福音書 24章34-51節
聖書の話  「思いがけない時に」  廣橋嘉信牧師

教会福音讃美歌 181番 「さかえの王にます主の」

聖晩餐式
[制定のことば] コリント人への手紙 第一11章23-29節
[式 辞][祈 り][分 餐] 配餐者 大場長老 那須長老
一同 私たちの贖い主イエス・キリストの父なる神よ。私たちは、主の聖晩餐にあずかることができた恵みを心から感謝いたします。この主との親しい交わりにおいて与えられた祝福によって、神の子、光の子らしく歩む誓いに生き、各々の十字架を負いつつ御国で祝うその日まで、この聖礼典を重んじ、守らせてくださいますように。
私たちの贖い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

献 金
報 告
教会福音讃美歌 272番 「みつにまして ひとつの神」
祝 祷
後 奏      567番 「アーメン・アーメン・アーメン」

 

2021年5月2日マタイ24:34-51  「思いがけない時に」

 

序文)

終末預言をイエス様は語られています。これから起こることとして、様々な事象を示されました。その上で、「まことに、あなたがたに言います」と終末預言の絶対に実現確実なことを教え、目を覚ましていること、賢い用意の仕方を教えられました。

 

Ⅰ 34-35節

「まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」

聖書の終末預言は、旧約聖書に告げられており、それらを主イエス様は引き継がれ、前兆を詳しく、31節まで示されました。その上で、それらはことごとく起こることの確実性を教えられました。確かにこれらのことは起こるのです。起こるだろうか、どうだろうかではないのです。この移りゆく天地、滅びに向かっている天地の中ですべてのことが古び、消え去り、不確かであって、一つも絶対といえないような中で、これらの前兆が起こることだけは確実である。

移りやすい人の世代よりも、主の預言のことばが事実となって成就するほうが確かである。真実な神の約束なので、間違いがないのです。約束の実現を使徒ペテロが次のように敷衍して言っています。

まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」こう主張する彼らは、次のことを見落としています。天は大昔からあり、地は神のことばによって、水から出て、水を通して成ったのであり、そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。(第二ペテロ3:3-7)。

大切なことは可能性の問題ではなくて、神の滅びることのないみことばは、なんと言っているか?です。その書かれていることは確実に実現するということです。イエス様は同じ言い方をマタイ5:18でもすでになさっていました。「まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」天地が消え去るまで、律法は廃れない。預言のみことばの確実な実現は不動である。イエスのことばは消え去ることがない。成就は確かである。このように言明できるお方はイエス様以外におられません。聞く者は一人一人これらの前兆を見たならば、自分の終末が近いと知らなければなりません。

 

Ⅱ 36-44節

「ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。人の子の到来はノアの日と同じように実現するのです。洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。そのとき、男が二人畑にいると一人は取られ、一人は残されます。女が二人臼をひいていると一人は取られ、一人は残されます。ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。次のことは知っておきなさい。泥棒が夜の何時に来るかを知っていたら、家の主人は目を覚ましているでしょうし、自分の家に穴を開けられることはないでしょう。ですから、あなたがたも用心していなさい。人の子は思いがけない時に来るのです。」

終末のために目を覚ましていることが教えられています。主の再臨がいつあるのかわからないから、いつ起こっても良いように目を覚ましているようにと教えられました。その日は父なる神様だけが知っておられるからです。

主が知らないとおっしゃったのは、主が無知であるということを指しているのではありません。この「知る」ということばは、知りたくない、興味がない、関心がないといった意味の言葉です。主は復活の後に昇天を前にして弟子たちが「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか」と問いかけたことに対して「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです」と答えられました(使徒1:6-7)。主は、その日については人間に教える気持ちもないし、関心もないと答えられたのです。キリストは聖書で人間が知る必要のあることだけを教えられたのです。それなのに人間は主イエス様が知らずにいようとされたことについて、問いただそうとし、計算しようとし、何年だとかいって、人々を惑わしているのです。そのような者らは非難されるべきです。父なる神様の権威を犯す者です。

さて、では「その日、その時」は、全然予測できない突然に起こるものなのでしょうか。

兄弟たち。その時と時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません。しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。私たちは夜の者、闇の者ではありません。ですから、ほかの者たちのように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。(第一テサロニケ5:1-6)

実は目を覚ましている者、すなわち預言や、前兆に目をとめている者にとっては、主の日は突然ではなくて、間もなく起こることであります。しかし不信仰に陥り、前兆に目をとめないで眠っている人々にとっては、その日は「突然に破滅が襲います」。「だから、どのように受け、聞いたのか思い起こし、それを守り、悔い改めなさい。目を覚まさないなら、わたしは盗人のように来る。わたしがいつあなたのところに来るか、あなたには決して分からない」(黙示録3:3)。

 

Ⅲ 45-51節

「ですから、主人によってその家のしもべたちの上に任命され、食事時に彼らに食事を与える、忠実で賢いしもべとはいったいだれでしょう。主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見てもらえるしもべは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人はその人に自分の全財産を任せるようになります。しかし彼が悪いしもべで、『主人の帰りは遅くなる』と心の中で思い、仲間のしもべたちをたたき始め、酒飲みたちと食べたり飲んだりしているなら、そのしもべの主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ報いを与えます。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。」

賢い用意の仕方が要ります。

主人の割り当てた仕事を忠実に果たし、また思慮深くあることです。主人の帰りが遅いと思って眠ってしまうと急に帰って来るのです。主人の帰りがいつかは、はっきりしないが、間違いなく帰って来るのです。それを当分は帰らないとか、遅いだろうと思って油断していると間に合わなくなるのです。主人が帰るのは、まだまだだから、その前に準備をする時間があるだろう。慌てることはないと考える。

次のような童話があります。悪魔がその弟子たちを訓練して、いよいよ見習い期間の最後になって、地上へ実地訓練に遣わすことになりました。悪魔は弟子たちに質問しました。「おまえたちはどのようにして人間たちを滅ぼす積もりか。」

第一の弟子が答えました。「私は人間に、神はいないと言います。」悪魔は答えます。「だめだ、そんなことでは多くの人を騙すことはできない。神が本当にいることを多くの人が知っているから。」

第二の弟子が答えました。「私は、地獄はないと言います。」悪魔は答えます。「そんなことでは騙せない。人間は自分の罪に対して裁きがあることを心の奥で知っている。」

第三の弟子が答えました。「私は急ぐ必要がないと言いましょう。」悪魔は「すぐにも行け。おまえはたくさんの人々を堕落させ、不信仰に導きだめにすることができるだろう」と答えました。

 

では、神様のことばはどう言っているでしょう。

ヤコブ5章8節「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。」

第一ペテロ4章7節「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」

ヘブル10章37節「「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。遅れることはない。」

ヨハネの黙示録1章3節「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。」

主の再臨は近づいている。遅くならないのです。必ず成就する。

 

結び)

与えられた働きを、自分の使命を忠実に果たしつつ、その時を待つように。わたしたちは今か今かと不安定になり、腰の落ち着かない生活態度で、主の突然の再臨に備えるのではありません。

預言も前兆も与えられているのです。それを信じて、与えられた日々の生活を真実に忠実に歩む時、いつ来られても良い用意のある、目を覚ましている歩みをしているのです。

使徒1:11-12 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」そこで、使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くに、安息日に歩くことが許される道のりのところにあった。

弟子たちはどうしたかというと、山を降り、祈りをし、交わりをし、聖霊の下られる約束を待ち、ペンテコステに聖霊が下られて力を受け、毎日、与えられた宣教の使命をエルサレムから始めて、ユダヤ、サマリヤ、地の果てまで継続してゆきました。目を覚ましていましょう。「思いがけない時に」とならないために、信仰の眠りに陥らないように。「アーメン。主イエスよ。来てください。」