ようこそ!海浜幕張めぐみ教会へ!- Welcome to Kaihin Makuhari Grace Church!!

6月27日礼拝の音声ファイルです。
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<礼拝式順>

前   奏
招きの言葉 詩篇 147篇1−6節
さ ん び 「イエスは王 He Is the King」
さ ん び 「愛する我が主よ I Love You, Lord」
開会の祈り
主の祈り
教会福音讃美歌 229番 「キリスト 教会の主よ」
聖書朗読 ヨシュア記 10章1−15節
聖書の話      「サタンの秘密兵器」 マーク・ボカネグラ牧師
教会福音讃美歌 445番 「こころを一つに」
献   金
報   告
とりなしの祈り マーク・ボカネグラ牧師
頌栄 (教会福音讃美歌) 271番 「父・子・聖霊の」
祝   祷 マーク・ボカネグラ牧師
後   奏  567番[V]「アーメン・アーメン・アーメン」

ヨシュア10:1-15 「サタンの秘密兵器」  マーク・ボカネグラ牧師

どんな戦いについても言えることですが、もし相手が自分より強かったら、自分の犠牲をできるだけ抑えながら、相手に最大のダメージを与える手段を常に考えます。もちろん、自分が大きな軍隊や大量破壊兵器で真っ向から攻撃する可能性もあるかもしれません。しかし、もし相手が自分より強い場合、相手はより大きい軍隊とより多くの兵器であなたを圧倒するでしょう。ですから一番いい戦略は、相手の内部にある弱点を見つけ、そこを集中的に攻撃し、相手の内部に混乱を引き起こすことです。つまり、相手の軍隊を分裂させて、まず、その弱い方を倒すのです。世界史や現代の紛争の記事を読めば、そのような戦略を使わない国はないことが分かります。

神様とサタンとの霊的な戦いでも、全く同じ戦略が使われています。サタンは神様を真っ向から倒すことができない上に、この戦いに負けていることを自覚しています。ですから、サタンはまず初めに、神の王国の内部に紛争を起こさせ、分裂を引き起こし、一番弱い者から倒しに行きます。サタンは、まず神の王国の一番弱い関係、特に和解されていない関係に狙いを定め、その弱い関係を悪化させるために、スパイのように色々なずる賢い手を使って、彼らを和解させないようにし、神の王国を分裂させようとしています。そして、うまく分裂させることが出来たら、狼であるサタンはすぐに弱い「羊」を孤立させて、その羊を食おうとするのです。とても、残酷で、わかりやすい戦略ではありますが、非常に効果的な戦略です。

もうすでにお気づきだと思いますが、私たちの教会は今そのような状態の中にいると言えます。敵であるサタンは、私たちを毎日見張っていて、私たちの弱点と隙をついて、できるだけ教会の内部に分裂を引き起こすような地雷を密かに設置しようとしているのです。特に私たちの「弱い」あるいは「和解されていない」人間関係の中に。教会員同士の間に。教会のリーダーたちと信徒たちの間に。セルグループのメンバーあるいは奉仕者の間に。親子関係、兄弟関係の中に。そして、夫婦関係の中に。どんな些細なことであっても、それが分裂を引き起こさせるような事柄であれば、敵はその弱点を利用してクリスチャン同士を孤立させ、クリスチャンを殺そうとします。キリストのからだからクリスチャンを切り離す「分裂」、それがサタンの秘密兵器なのです。

教会として、そしてクリスチャンとして、私たちの最善の「ディフェンス」は何でしょうか?争いを防ぐための「良いコミュニケーション」や「愛」などではありません。なぜなら、教会が罪人の集まりである限り、「争い」をなくすことはできないからです。教会として、クリスチャンとして、私たちの最善の「ディフェンス」は「赦し」です。表面的で義務的な、口先だけの「赦し」ではありません。苦みのない、心からの、完全な赦し。自分を傷をつけた兄弟姉妹のために喜んで愛し、喜んで仕え、喜んで戦う「赦し」です。サタンの秘密兵器に対する唯一のディフェンスは「赦し」なのです。本日の箇所は、サタンが神の民の「赦す」能力を試す箇所です。もしサタンが「分裂」を引き起こそうとするなら、私たちはそれを防ぐための準備ができているでしょうか?

その準備をするために、この箇所から覚えていただきたいことが三つありますが、三つのポイントの主なポイントは、「私たちが兄弟姉妹を赦すための唯一の理由は、神様がまず喜んで私たちを赦し、罪深い教会のために戦ってくださったからだ」ということです。では、本日の箇所の流れを見ながら、覚えていただきたい三つのポイントを紹介します。

最初に覚えていただきたいことは、「やけくそになった敵は、さらに残酷で汚い、強力な手を使う」ということです。もう一回言いますが、「やけくそになった敵は、さらに残酷で汚い、強力な手を使う」です。(1-5節)

今日、初めて来られた方がいらっしゃるかもしれないので、簡単に今までの話をまとめます。神様はご自分の民に、カナンという地をお与えになると約束されました。しかし、神の民がこの「約束の地」を得るためには、巨人のようなカナン人を倒す必要がありました。そのカナン人たちの前でバッタのような神の民はビクビクしながら、どうすれば「約束の地」が得られるのだろうと疑問に思いながらも、王である神様を信じ、従い続けました。神様はご自分の強大な御力で、逆にカナン人をバッタのように倒され、カナンの「正門」にあるエリコとアイという町を破壊されたので、神の民はカナンの最初の防御壁を突破することができました。そして、聖書の神様の勝利が近づいていることが明らかになりました。

前回のヨシュア記の説教は、神の民の次のターゲットと予想される、倒されたエリコとアイに一番近い王国、ギブオン人のお話でした。ギブオン人は神様の圧倒的な力を聞いて、また、神の民が圧勝したことを見て、自分たちと自分の愛する人たちを守るために、自分たちの国と神々を捨て、聖書の神様に従い、神の民になることを決めました。カナンの地の中でこのようなことを決めたことはギブオン人だけでした。しかし、ギブオン人は神の民の力を恐れていたので、ずる賢く汚い手段を使って、神の民になりました。オレオレ詐欺のように神の民の優しさを利用して、神の民と契約を結んだのです。ギブオン人は神様と神の民のしもべになることを誓い、神の民はギブオン人を守ることを誓いました。数日後、神の民はギブオン人の詐欺に気づき、ギブオン人に裏切られたことに対して深く悲しみましたが、同時に彼らの熱い信仰を見ることもできたので、神の民はギブオン人を赦し、自分の「兄弟姉妹」として受け入れました。

しかし、神の民の気持ちを想像してみてください。口ではギブオン人を赦したかもしれませんし、契約上の関係も「兄弟姉妹」なのですが、おそらく神の民は「ギブオン人のやつら、自分勝手でずるくて嫌な、民族だよな」と心のどこかで思っていたと思います。私たちも、教会の中で、家庭の中で、夫婦の間で、そのようなことを思ったことがないでしょうか?教会の兄弟姉妹だと頭ではわかっていますし、日曜日やセルグループで会う時は笑顔でお話しするのですが、「あの人ちょっと苦手だな」とか「赦したけど、あの人とんでもない罪を犯したよね」という思いが心の中にあるかもしれません。けれどもそのような思いがあることを自覚していないことの方が、むしろ危険なことかもしれません。そして、サタンはそのような「分裂の種」を常に見つけようとし、利用しようとしています。

カナンの地では、日本の戦国時代のように、いくつかの王国があり、王がいました。そして、ギブオン王国が神の民に寝返ったので、ギブオンの南にある王国の王、エルサレムのアドニ・ツェデク王がその話を聞いて、「彼とその民は非常に恐れた」(10:2)と書いてあります。なぜなら、ギブオン王国はカナンの地域の中でも非常に大きな町で、彼らの戦士も強かったからです。ですから、ギブオン王国に最も近くにあった「エルサレム王国」が非常に恐れたのは当然のことでした。日本であれば、東京都という「大きな町」が敵に寝返ったら、千葉県が非常に恐れるのは当然のことですよね。

ですから、やけくそになったエルサレム王国は四つの都の王(ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王)に助けを求め、連盟を組んで、大きな軍隊をエルサレムに招集し、神の民の本軍ではなく、本軍から離れているギブオン人を攻撃する戦略を立てました。5人の王は、ギブオン人と神の民の間がギクシャクしていることを知っていたかどうかはわかりませんが、どの軍でも必ずスパイや偵察隊を持っていましたし、少なくともサタンは絶対にその問題を知っていたことでしょう。

ですから、サタンの反撃のタイミングは絶妙でした。「関係に問題もあるし、神の民の本部であるギルガルからギブオンの距離も遠いから、絶対に本軍はギルガル人の援護に来ないだろう」というすばらしい策略を立てたのです。つまり、敵はやけくそになるほど、より残酷で汚い、強力な手を使うのです。

そして、考えてみください。サタンはその当時やけくそになっていましたが、私たちの時代はどうでしょうか?イエス様がまだ来られていなくて、聖書の神様を信じる人たちも少ないヨシュア記の時代と、イエス様が蘇られ、世界中に教会がある時代を比べるなら、サタンは、さらにやけくそになっているでしょうし、焦っていて、現代の教会に対して最も残酷で汚い、強力な手を使う気満々のことでしょう。そして、教会にいる私たちは今、サタンの「最後の反撃」の真っ只中にいるのです。サタンは、テロリストのように私たちすべての人間関係の中に密かに爆弾を設置しようとし、神の王国を分裂させようとしているのです。地震とか、経済的不況とか、交通事故とか、病気とか、万が一に備えて、私たちは日常的に準備をしていますが、サタンの攻撃はそれより確実で、より破壊力があります。そのようなことを私たちはどれほど意識しているでしょうか?私たちはそのために準備しているでしょうか?

しかし、安心してください。サタンは「残酷で汚い、強力な手を使います」が、それは、サタンが滅びる直前だからです。覚えていただきたいのは、守りの体制に入って、やけくそになっているのは、教会ではありません。サタンの王国の方が攻撃を恐れており守備体制であり、ちっぽけな教会が語る神のみことばによって、圧倒されているのです。ですから、主の主、王の王であるイエス様を信じ、イエス様の民として、忠実にサタンの「最後の反撃」から教会を守り抜きましょう。

それでは、私たちはどのようにサタンの反撃から教会を守ればいいでしょうか?次に、本日の箇所から覚えていただきたいのは、「教会の最善のディフェンスは「赦し」というオフェンス(攻撃)である」ということです。もう一回言います。「教会の最善のディフェンスは「赦し」というオフェンス(攻撃)である。」(6-9節)

敵軍の攻撃について聞いたギブオン人は、神の民の本部であるギルガルへすぐに人を遣わし、SOSメッセージをヨシュアに送ります。「しもべどもから手を引かないで、急いで私たちのところに上って来て、私たちを救い、助けてください。山地に住むアモリ人の王たちがみな、私たちに向かって集まっているのです。」(6節)

このSOSメッセージの冒頭のコメントは非常に興味深いです。契約上、ギブオン人の主人である神の民は自分たちのしもべを守る責任があるのに、なぜギブオン人は「しもべどもから手を引かないでください」と言ったのでしょうか。それは、自分たちが犯した詐欺による神の民の苦み、傷、不信感を感じとったのかもしれません。また、神の民にとっては、準備なしで、大きな軍隊をギルガルからギブオンまで送ることは非常にリスクの高い軍事行動でした。しかも、ギブオン人は詐欺師です。ギブオン人は”Double Agent”(二重スパイ)かもしれませんでした。つまり、ギブオン人は、神の民に寝返ったように見せかけながらも、本当の計画は、神の民をギブオンにおびき寄せ、彼らを罠にはめようとしていると思っていたのかもしれませんでした。ですから、ここは慎重に動かないと神の民の軍を全滅させるというリスクもありましたので、神の民はそのリスクをマネージするために、ゆっくり、様子を見ながら、ギブオンに向かうという可能性もありました。ですから、ギブオンは「急いで私たちのところに上って来て、私たちを救い、助けてください!山地に住むアモリ人の王たちがみな、私たちに向かって集まっている!」と助けを求めたのです。

皆さんがヨシュアの立場だったら、どうしますか?あなたの信頼を裏切って、優しさを利用し、あなたを深く悲しませた「しもべ」のために、自分の命や、自分の兄弟姉妹の命を懸けますか?ここで問われているのは、神の民は完全にギブオン人を赦しているか、また、心から彼らを自分の「兄弟姉妹」として愛せるか、そして、いのちをかけて彼らのために戦うことができるのか、ということです。これが「赦し」ということです。「赦し」というのは、あなたに罪を犯した人に対して消極的に、最低限の愛を与えることではありません。そのような、自分を「守る」愛ではありません。「赦し」というのは、あなたに自分を傷つけた人に対して積極的に、最大限の愛を与え、相手を「守る」愛なのです。

ヨシュアと神の民はどうしたでしょうか?「ヨシュアはすべての戦う民たちとすべての勇士たちとともに、ギルガルから上って行った」(7節)。神の民は、すべてを尽くして自分たちの信頼を裏切ったギブオン人を赦し、彼らを愛し、彼らのために戦ったのです。しかも、9節には、ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然5人の王を襲った、と書いてありますが、これはすごいことです。ギルガルからギブオンは約24キロですが、平地ではなく、上り坂の道です。約3万人以上の兵隊達が夜通しで、24キロの山地をダッシュして、すぐに5王国の巨人のような敵兵と戦い挑んだんですよ!これはただの勇気ではありません。これは聖書の神様の秘密兵器、神の民の最善のディフェンス、攻めに行く「赦し」の愛なのです。

新約の時代にはこのような、「物理的な」戦いはありませんが、わたしたちはより激しく、より危険な「霊的」な戦いの中にいます。そして、サタンの第一の目的は、私達に福音のパワーを信じさせないで、罪人同士のクリスチャンたちの和解をさせないようにすることです。ですから、パウロという初代教会のリーダーがこう言っています。

コリント人への手紙第二 2:10  あなたがたが何かのことで人を赦すなら、私もそうします。私が何かのことで赦したとすれば、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。2:11  それは、私たちがサタンに乗じられないようにするためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。

要するに、「人を赦し、積極的に愛する」とうことは、まず神様が罪深いクリスチャンを一方的に赦してくださったからなのです。逆に言いますと、クリスチャンが兄弟姉妹を赦さないということは、神様がその人を赦してくださったことを否定することになるのです。これが分裂を引き起こそうとするサタンの策略の主な目的なのです。キリストの福音を行動で否定することです。ですから、新約聖書を読むと、サタンは、ユダヤ人と異邦人の間に、主人と奴隷の間に、富んでいるクリスチャンと貧しいクリスチャンの間に、強いクリスチャンと弱いクリスチャンの間に、親子関係の間に、夫婦関係の間に、教会の同労者の間に、互いの罪を利用して、関係を破壊し、和解させないような状態を作り、福音を否定するような分裂を引き起こそうとしているのです。

では、サタンの反撃に対する教会のディフェンスは何でしょうか?教会のディフェンスは罪を犯さないことではありません。それは理想的なことですが、不可能です。罪がある限り、罪人同士の衝突は教会における大前提です。ですから、「教会の最善のディフェンスは「赦し」というオフェンス(攻撃)である」のです。そして、聖書にこう書いてあります。

コロサイ人への手紙 3:11  そこには、ギリシア人もユダヤ人もなく、割礼のある者もない者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。 3:12  ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。3:13  互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。

私たちは、消極的に、義務的に、表面的にではなく、積極的に、心を込めて、喜んで、全てを尽くして、兄弟姉妹を赦し、愛し、仕え、彼らのために戦う準備をしていますか?

しかし、神の民がギブオン人を「赦し」たから、勝利が保証されたわけではありません。神の民が「赦し」たとしても、そのあと、完全に敗北するという可能性があったかもしれません。そこで、本日の箇所から、最後に覚えていただきたいのは、「神様が先立って罪深い兄弟姉妹のために戦って下さるので、私たちは確信して攻めに行きましょう」ということです。

ヨシュアと神の民がここまでギブオン人を赦し愛することができた理由は、彼らが愛にあふれている人たちだったからではありません。彼らの愛の源は自分たちの心ではなく、神様ご自身のギブオン人を愛する愛でした。神様は、ヨシュアと神の民以上に、ギブオン人を赦し、愛され、彼らのために戦われました。ヨシュアと神の民がギブオンまで出陣する前に、神様はこのように宣言されました。

ヨシュア記 10:8 主はヨシュアに告げられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。あなたの前に立ちはだかる者は彼らの中に一人としていない。」

ヨシュアと神の民がここまで確信して、積極的に行動できた理由は、神様がちゅうちょなくギブオン人を赦され、彼らを守ると約束され、勝利を宣言されたからです。それゆえに、神の民もちゅうちょなくギブオンへ向かう事ができたのです。

そして、その後、神様が引き起こされた三つの奇跡が書かれています。10節には、詳細が書かれていませんが、ヨシュアと神の民の軍がではなく、神様ご自身が敵軍をかき乱されました。それによって、敵軍は撤退し始め、イスラエル軍も彼らを激しく討ちましたが、11節には「ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主が天から彼らの上に、大きな石をアゼカに至るまで降らせられたので、彼らは死んだ」と書かれています。この地域では、雹の嵐は、稀なことではありませんでした。過去に野球のボールぐらいの雹が数時間も降り、ひどい被害をもたらしたという記事も残っています。しかし、何が奇跡だったのかというと、敵軍が撤退したタイミングで雹が降り、「イスラエルの子らが剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった」ということです。

そして、一番驚くべき奇跡は、ヨシュアが神様に「民がその敵に復讐するまで、 太陽と月を動かさないでください」と祈り求めた時、「太陽は天の中間にとどまって、まる一日ほど、急いで沈むこともなかった」(13節)とあるように、神様がヨシュアの祈りを聞き入れてくださったことでした。具体的に何が起こったのか、科学的にどう説明すべきかなど、色々な説があります。正直言って、私もこの日に何が起こったのかはわかりませんし、聖書の言葉以上に説明するつもりもありませんが、聖書に明らかに書かれているのは、「このような日は、前にも後にもなかった」(14節)ということです。しかし、この三つの奇跡のポイントは神様には奇跡的な自然現象を引き起こす力があるということではなく、14節に書いてあるように、「主がイスラエルのために戦われた」ということを強調するためであり、神様が神の民に先立って、罪深い兄弟姉妹のために戦われるということです。

私たちもイスラエルの民と同じ立場にいます。私たちが罪深い人を赦すことは、非常にリスクの高い、負担の大きい、自分を犠牲にするようなことかもしれませんが、神様はこうおっしゃいます。

コロサイ人への手紙 3:13  互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。

イエス様もこうおっしゃいます。「あなたが赦す前に、私はあなたに先立って、赦しをもって攻めに行った。あの罪深い兄弟姉妹を赦し、愛し、そして、戦うために、私は非常に大きなリスクを背負って、自分を無としてこの世に来て、日々エルサレムの十字架に、ひるむことなく向かいました。そして、私は自分のすべて(いのち、栄光、名誉)を犠牲にし、その当時最悪の処刑法であった十字架にかけられ、さらに神様の永遠の刑罰を受けました。それは、狼であるサタンにその兄弟姉妹がとらわれ、食われないようにするためでした。そして、あなたに忘れてほしくないのは、わたしはあなたを赦すために、あなたを守るために、十字架へ行ったのです。ですから、安心しなさい。私はあなたに先立って、勝利を獲得したので、赦しをもって攻めに行きなさい!」

イエス様は、そのように私たちを励ましてくださっています。はっきり言いますが、イエス様が私たちのために十字架で神様の御怒りを受けてくださったことは、太陽と月が止まることや、雹の嵐のような奇跡的な自然現象よりも想像を絶することです。ですから、十字架という奇跡を見て、神様が私たちを赦し、愛し、私たちのために戦われていることを確信してください。そして、私たちをサタンの攻撃から守るために、神様から頂いた「攻めに行く」積極的な愛を受けながら、自分たちも「攻めに行く」愛をもって、兄弟姉妹を積極的に赦し、愛していきましょう。