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2012年10月14日 聖書創世記17:1-2

「全能の神」

神様のご性質について、ウェストミンスター小教理問答は次のように簡潔に答えています。問4 神とは、どんなかたですか。答 神は霊であられ、その存在、知恵、力、聖、義、善、真実において、無限、永遠、不変のかたです。

使徒信条は、神の御性質について、簡単に「全能」とだけ告白しています。古くから言われていたことです。

「全能性」とは?どのような意味でしょう。

それは、神様が意志されることは、いかなることもできるということです。詩篇 135:5−6「まことに、私は知る。主は大いなる方、私たちの主はすべての神々にまさっておられる。6 主は望むところをことごとく行なわれる。」

人間は何かをするとき手段が必要ですが、神様は不必要です。手段を用いるとお考えになられたときは用いられます。創造の始まりでは「光あれ」と意志されたら「光があった」のです。神はただ意志されることにより、全宇宙、全地球を創造されました。存在するすべてのものは、神が創造されました。

主イエス・キリスト様が神であることは、暴風に向かって「風よ、静まれ」と言れれば、風が静まったことでわかります。主イエス・キリスト様が、意志されたことは、ことごとく成し遂げられました。盲人の眼が開かれ、病気の人に癒しが与えられ、死人は生き返りました。

これは力にかんして、わたしたちの普通の概念を遥かに凌駕しています。全能とは力に関する最高の概念です。これは聖書の中に啓示されています。創世記17:1「アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現われ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」この後、アブラハムが100才をすぎ、妻サライも90才をすぎていましたが、全能の神は、契約を実施され、子供イサクの誕生ばかりでなく、後々の子々孫々を海辺の砂のように、空の星のように、数えられないほど、ふやされました。全能の神は、約束を実現されました。

エレミヤ32:17 「ああ、神、主よ。まことに、あなたは大きな力と、伸ばした御腕とをもって天と地を造られました。あなたには何一つできないことはありません。」

 

全能の神は、自由勝手気ままに振る舞う専制暴君ではありません。神の力、全能は、いつでも神の本性と不可分なものです。ですから神の力は不合理的なことや、矛盾となることをすることはできません。パーソン(Person)としての特質である、倫理的、道徳的な事柄に反するようなこともできません。神は嘘をつくことをしません。

被造物を悪に誘惑することもしません。ヤコブ1:13「神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。」

神は死ぬことはできません。神は全能である故にこれらのことはできないのです。神様が偽りや誘惑をできないからといって、それが神の力を減少させるわけではありません。もし神がそれらをしたら、それこそ神様は善性において、完全でなくなるのです。神は意志されることを成し遂げ、意志されないことをなされないのです。これこそ全能なのです。

神様の力は、絶対的な力と、普通の力に分けられて発揮されます。絶対的な力は、第二原因なしに直接発揮されます。それは摂理的な行為をこえて発揮されます。無からの創造、奇跡、直接啓示、聖書の霊感、わたしたちの新生などです。

普通の力は第二原因を用いて発揮されます。摂理の中ですでに自然に与えられている第二原因の秩序のなかで発揮されるのです。

信者は、その人生において、神の創造、保持、全能力、摂理的力のゆえに、神様を信頼するようにと促されています。

イザヤ45:11-13 「イスラエルの聖なる方、これを形造った方、主はこう仰せられる。「これから起こる事を、わたしに尋ねようとするのか。わたしの子らについて、わたしの手で造ったものについて、わたしに命じるのか。 このわたしが地を造り、その上に人間を創造した。わたしはわたしの手で天を引き延べ、その万象に命じた。わたしは勝利のうちに彼を奮い立たせ、彼の道をみな、平らにする。彼はわたしの町を建て、わたしの捕囚の民を解放する。代価を払ってでもなく、わいろによってでもない。」と万軍の主は仰せられる。」

使徒4:24-31 {これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの先祖であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。 地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』 事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油を注がれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行ないました。 主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。 御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」 彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。}

ペンテコステの日の、聖霊降臨と、新約聖書時代の教会の誕生は、神の創造に関わる全能の力を根拠にして、使徒たちが祈ったからでした。

クリスチャンにとって、神様の全能は、大いなる慰めと希望の源です。しかし、不信者にとっては、神の全能は警告であります。恐れの源です。神はその聖名とみことばによって人々を震わせ、おののかせられるのです。詩篇99:1「主は王である。国々の民は恐れおののけ。主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。地よ、震えよ。」悪霊も信じておののくのです。ヤコブ2:19「 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。」なぜなら悪霊も彼らの上に、全能の神が力を発揮されることを知っているからです。マタイ8:28「 それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。すると、見よ、彼らはわめいて言った。「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」

全能の神にたいして、最も強い者、最も大いなる者も、神様から隠れようとします。黙示録6:15—17「 地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、 山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」

 

そしてすべてのひざは、主イエス・キリスト様のみ名により、かがめられます。ピリピ2:10 —11「それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」

 

すべてのことがらの始まりも、途中も、ゴールも、神は全能によって、治めておられるのです。私たちの過去も、現在も、明日も、み国での永遠も、神の全能によって保たれているのです。聖名をあがめましょう。