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2019年11月17日 マタイ14章1節-13節前半「ヘロデの反応と主イエス様の対応」
序文)イエス様の知恵や教えや力が「どこから」と人々は軽んじていました。ある人々は「バプテスマのヨハネがよみがえられた」他の人々は「エリヤだ」「昔の預言者のような預言者だ」といいました。ところがヘロデ・アンテパスは断固として「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ。」と言いました。
 
Ⅰ 1−12節がその経緯です。
ヘロデ・アンテパスは、はじめアラビヤのアレタス王の娘を妃としていました。後に腹違いの兄弟ピリポの妻ヘロデヤと不倫の恋に陥り、妃を追い返して、ピリポとの間に生まれたサロメをつれてきたヘロデヤと結婚しました。預言者バプテスマのヨハネは、これは良くないことであると咎めたために、ヘロデ・アンテパスとヘロデヤによって獄に入れられてしまいました。ヘロデヤは特にヨハネを殺そうと考えていました。
ヘロデ・アンテパスはヨハネを正しく聖なる人であると知っており、彼を恐れていました。ところが王様の誕生日、宴会がありサロメが舞を舞い、その褒美にサロメは母ヘロデヤにそそのかされてヨハネの首をと申し出ました。ヘロデ・アンテパスはヘロデヤを恐れていました。メンツがありました。不承不承ヨハネを殺させました。ヘロデ・アンテパスの心にはヨハネ殺害は最も罪深く恐ろしい思い出となりました。彼は良心の声を消すことが出来なかったのです。神からの人を殺したという声です。
 
イエス様の噂を聞いたときにヘロデ・アンテパスはすぐにバプテスマのヨハネがよみがえってきたと断定しました。その結果、イエス様も殺そうと考えました。ヘロデ・アンテパス党の者たちはその意を汲んで、政治上の理由からもイエスを殺そうと以前から画策していました。マルコの福音書3:6に書かれています。「そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ・アンテパス党の者たちといっしょになって、イエスをどうして葬り去ろうかと相談を始めた。」
ヘロデ・アンテパスは良心の声と神の恵みの計らいを拒否して、イエス様のところに赦しを乞いにゆくどころか、殺そうとする計画を支持し続けました。ヨハネを神の人と考えていたのに殺し、ヨハネがよみがえったと思って、またもや殺そうと計画しつづけたのです。彼の不信仰は、イエス様を「神から」と正しく結論づけても、自分の良心の呵責から逃れるために、更に故意に楯突くという罪、不信仰を示しました。
 
Ⅱ ヘロデ・アンテパスの人生の結末(ヨセフス著:ユダヤ古代史18:5:1より)
 12節「ヨハネの弟子たちが、やってきて、死体を引き取った。そして、イエスのところに行って報告した。」ヨハネの弟子たちは勇気を奮って遺体を引き取りに行った。邪悪な不義に対して何もできない無力さが彼らを覆っていたと考えられます。理不尽どころではない。
 しかし、本当に神様はこのことを放置されたのでしょうか?そうではなかった
ことが、ユダヤの歴史家ヨセフスの著述からわかります。
 
「ヘロデ・アンテパスの先妻の父、アバテア人アレタ四世。彼はヘロデ・アンテパスが自分の娘を離縁して、他人の妻を自分のものとしたことに怒り、アンテパス襲撃を企てました。アンテパスはその戦いに敗北し、ローマ軍によって救出されることになりました。アンテパスの兄弟国主ピリポが死ぬと、ローマ皇帝カリグラは、ピリポの領地をアグリッパに、王という称号とともに与えた。このアグリッパは、皇帝カリグラとともにローマで育てられ、皇帝の友人だった。またヘロデヤは、自分の兄でもあるアグリッパを羨み、自分の夫アンテパスに、ローマに行って(アグリッパのように)王の称号を受けるようにと執拗に迫った。そうすることによって、自分も女王になれるのではないかと期待していた。
 アンテパスは妻の声に負け、ローマ皇帝を訪問することになった。ところが、このような事態を察知したアグリッパは先手を打ち、代理人フイオルトウナトスを皇帝のもとに派遣した。なんと、アンテパスが皇帝に謀反を企てていると、あらかじめ嘘の密告をさせた。皇帝はこのアグリッパの言葉を信じ、アンテパスが到着するとただちに領地や財産を没収し、それらをアグリッパに与えてしまった。
 このような一連の出来事の結果、アンテパスはガリアに流刑になり、そこで一生を終えることとなった。ヘロデヤもアンテパスに同行し、同じ運命をたどった。これは、罪がどのようなものを刈り取らせるかという点を警告したものとみなし得よう。」
 主イエスは、このような現実の世のだからこそ、救いが必要であると、使命を果たされました。私たちは主イエス・キリスト様のご生涯と十字架と復活の出来事を知り福音のすばらしさを「神から」と考えても、受け入れることを拒否して故意に逆らうならば、それはヘロデ・アンテパスと同じ状態です。神様の救いよりも罪の結果の恐れが先に立つのです。神よりも罪の快楽が先に立つのです。
ヘロデ・アンテパスがヨハネの首を切る決断は短い時間でした。しかし決断の結果は、一生涯の苦しみだったのです。主イエス・キリスト様の十字架を前に「ヘロデ・アンテパスは、自分の兵士たちといっしょにイエスを侮辱したり嘲弄したりしたあげく、はでな衣を着せて、ピラトに送り返した。」(ルカ23:11)さて、彼は良心のとがめをこのことで追い払う事が出来たでしょうか。神からの最後の審判が彼を待っているのです。
私たちが日常の歩みで、また重要な決断をくださなければならないときに、ヘロデ・アンテパスのような決断をくだすことがないようにと願います。罪がもたらす一時の快楽は、一生をもってしても贖えないのです。主イエス・キリスト様が十字架上で身代わりの贖いの代価を支払ってくださった、それ以外には罪の赦しは無いのです。不信仰ではなく信仰の応答こそ求められています。
 
Ⅲ 13節前半「それを聞くと、イエスは舟でそこを去り、自分だけで寂しいところに行かれた。」
主イエスは、バプテスマのヨハネが死んだ知らせを聞いて、「寂しいところに」移動された。これはヘロデ・アンテパスの陣営の外に身を避けられたのです。ヘロデ・アンテパスは「ガリラヤ」の領主でした。そこ政治的勢力の抑圧が及ばないところに、身を避けられたのです。さらにガリラヤの群衆の圧力からも逃れられた。このことは、戦略的な退却と言われています。
 
 主イエスは、「逃れる」ことを幼い時から度々なさった。マタイ2:14「ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、ヘロデ・アンテパスが死ぬまでそこにいた。」このヘロデ・アンテパスはアンテパスの父・大王ヘロデ・アンテパスと言われており、大変残忍な人物として有名。12:14-15「パリサイ人たちは出て行って、どうやってイエスを殺そうかと相談し始めた。イエスは、それを知って、そこを立ち去られた。」今朝の箇所14:13「それを聞くと、イエスは舟でそこを去り、自分だけ寂しいところに行かれた。」
 全ての箇所は公の敵意が示されたので「立ちのかれた」と語っている。移動することによって、場所が変わっただけでなく、イエスの働き方も変わった。今回逃れたことで、弟子たちに対する個人的な教育が深く行われることとなったのです。
 
 宣教の働きにおいて、身に危険が及ぶことが明白な場合に、立ち止まる勇気よりも、身を避けて逃れることが、次の働きを展開するために必要であることを、主イエス様のなさりようから学ぶことができます。その敵意をむき出しにする為政者や、宗教的な勢力に対して、蛇のように賢く、鳩のように柔和でありましょう。
 
結び)バプテスマのヨハネは、その使命を見事に果たしました。決して犬死ではありませんでした。主イエス様を指差して「この方こそ、世の罪を取り除く、神の子羊と」言ったからです。そのヨハネの信仰の通り、主イエス様は、色々の困難と敵意を乗り越えて、尊い十字架の身代わりの贖いを成し遂げてくださいました。今は、神の子たちとされた、私たちが、宣教のあかしの使命に立ち続けることです。