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2020年1月26日 招詞イザヤ書9章6-7節 聖書朗読マタイ15:32-16:12
「どうして…わからないのですか」
 
序)今朝の説教の焦点は,主イエス・キリスト様が,三日間も空腹のままの群衆のことを「かわいそうに」と言われたこと,また,弟子たちに二回も「まだ,わからないのですか」「どうして…わからないのですか。」と言われたことばです。私たちの生活状態への,主の憐みの深さと,弟子たちの信仰理解のにぶさについて警告しておられることを考えて,私たちへの主からの戒めとして聞きましょう。
 
Ⅰ 15:32節 4000人を養った主イエス・キリスト様
1 ここは14章に出てきた五つのパンと二匹の魚で5000人に給食された記事と経過はほぼ同じです。七つのパンと少しの魚で4000人に給食をされました。両方とも主イエス・キリスト様の群衆への憐れみと思いやりから起こった出来事でした。違いは5000人の給食はユダヤ人の生活地域で行われたが,4000人の給食は異邦人の生活地域で行われたことです。主は「かわいそうに,」(32節)と言われて「食べ物を持っていない群衆の空腹を」配慮されました。主の恵みは異邦人にまで及ぶことが分かります。
 
2 私たちの生活の細部に渡って配慮をしておられることが分かります。群衆は3日間イエス・キリストと一緒にいました。そして人々は自分の家まで遠い道のりを帰る必要がありました。主は神の真理を教え,愛のすばらしさを示し,権威をもたらす働きをされながら,群衆のお腹の空き具合も大切なことと考えて給食されたのでした。私たちの内にこの強い憐れみと同情の心が宿るために,主の御わざに感動することが大切です。
 
3 弟子たちは,同情するのは良いけれども実際に助けることは困難だと反応しました。主は助けるために,あなた方は何か持っているかと挑戦されました。パンは七つです,少しの魚があります,と弟子たち。主はそれらを用いて4000人に給食されました。パンの残りが七かごでした。私たちは援助する事を考える前に,すべての状況が完全になるまで待とうとすることが多いのですが,主は今できることをしてみなさいと言われます。主の恵みに感じて,目前の助けを必要としている人々のために出来ることをしなければならないのです。
 
Ⅱ マタイ16:1-12 主イエス・キリスト様の嘆息
1 4000人の給食が終わって,解散した後のことです。主イエス・キリスト様は弟子たちとガリラヤ湖の西岸,マガダン地方にゆかれました。異邦人の多く住むデカポリスから,ユダヤ人たちの多く住む西岸地域に行かれたのです。
 
2 すると早速,パリサイ人たちがやって来てイエスを試みようとしました。イエス様がメシヤであるという証拠のしるしを求めたのです。天からのしるしを求めたのです。一般にメシヤが到来されたとき非常に驚くべきことが起こると考えられていたからです。彼らは信じるために求めたのではなくて,イエスがなさっている事柄や教えておられる事柄から,メシヤであるという一般民衆の理解が深まることを恐れて,信用を失わせるために天からのしるしを見せよと迫ったのです。
 
3 さらに,この時代の傾向は異常なことがらの中に神を求める事でした。異常さを追い求める精神は現代も同様です。しかし,イエス様によると,そのような要求は神の支配を見たいという望みから出ているのではなくて,神の支配に対する無分別から来ているのです。神の支配の正常な表れは,平凡な日常生活の隅々に御手を示しておられるので,それで分かるのです。異常さだけを求めてついに不信仰に陥った人々が大勢います。信じないための理由を探している人もパリサイ人と同様の心を表しています。
 そのような不信仰を前提にした求めには応じられないとイエス様は言われました。パリサイ人たちは空模様を見分けることができるのに,なぜ世の終わりのしるしを見分けられないのか,と彼らを詰問されました。この段落は12章38—39節ですでに同じことが書かれており,説教したところです。
平行章句マルコ8:12,イエス様は「心の中で深く嘆息された」と反応が書かれています。いいようのない深い悲しみを覚え,嘆息された。彼らの心のかたくなさに嘆かれ,霊において悲しまれたのです。
 自分の要求だけを突きつけて,ほこり高ぶる者たちは現代も後を絶ちません。霊的な盲目に気づかないでいるのです。
 
Ⅲ マタイ16:5-12 「まだ,わからないのですか」
1 イエス様一行が船にのって向こう岸に渡られる途中,弟子たちとの間で問答がありました。彼らがパンを持ってくるのを忘れて一つしかなかった。それがきっかけでイエス様は「パリサイ人たちのパン種やサドカイ人たちのパン種にくれぐれも用心しなさい」と言われた。サドカイ人はマルコ8:15ではヘロデとあります。サドカイとヘロデは同類・仲間です。
これははっきりとした警告でした。弟子たちはパン種がパリサイ人たち,サドカイの教えであると気づいた。
 パン種はユダヤ人にとって悪の象徴でした。パン種は前にパンを焼いた時に残しておいた十分発酵した古い錬り粉のかたまりで,しばしば酸っぱい上に,香りがよくないパンを作るので,腐敗の原因になりました。現在はイースト菌や酵母を用います。
 
人間の原罪・病原菌・腐敗の元になるものが,神の御旨を行うことを妨げているのです。パリサイ人のパン種にたとえられているのは,彼らの間違った批判精神からくる教えです。彼らの教えるメシヤ像は,不思議と征服と奇跡的出来事と民族的な勝利と,政治的な優位に彩られていました。イエスがそれに一つも当たっていないという批判でした。自分たちの教えるメシヤに合っていない。イエスのメシヤ性を疑って亡き者にしようとする悪意ある批判のための批判でした。信じるために疑うのではなく,信じないために批判するのでした。
 
 サドカイ人(ヘロデ王)のパン種にたとえられているのは世俗主義精神です。権力と富と影響力と名声を得ることで幸福を築こうとしているのです。イエスの福音を信じないために間違った批判をして自分たちの賢さを誇り,イエスを誤解させ,神の知恵を無にしようとした。さらに世俗主義によって霊的な神との交わりの世界を,俗物視するように変えてしまう精神です。現代社会の隅々までこの精神は深く根付いています。力と力による地上の王国を追求しています。パリサイ人とサドカイ人(ヘロデ王)の共通点は「イエスの殺害」でした。何としてでも抹殺しようとする精神です。
 
2 弟子たちは,イエス様が霊的な警告をしておられるのに,食べるパンのことと誤解したのです。彼らが世俗主義に毒されかかっているので,理解することができない,悟ることもできないのでした。みことばを受け入れる態度があまりにも世俗的過ぎたのです。イエス様が二回もパンを用いて5000人,4000人を養われた奇跡を体験していながら,それを理解できないで,一つしかパンがないけれども,どうしようと論じている有様です。「信仰の薄さ」を示しています。経験から学ぶことに失敗しました。
 
3 イエス様は弟子たちに「まだ,わからないのですか」(9節)。「どうして…わからないのですか」(11節)と言われた。パリサイ人たちに味わったと同じような,いいようのない,嘆きの言葉です。霊的悟りの鈍さ,視野の狭さへの悲しみがあります。
 このままでは,弟子たちが,今後迎えるイエス様の十字架の意味を本当に理解できるようになるでしょうか。少しでもそうなってほしいという願いが,「まだ,わからないのですか」という問いかけに込められています。霊の目を開き,たくましく成長する信仰者になることを心から願われているのです。
 
結び)私たちはどうでしょうか。聖書の学びを継続していますが,救い主イエス様について,まだ悟らないのでしょうか。世俗的にイエス様を見ることをやめにしましょう。間違った批判精神に毒されないようにしましょう。信じるために疑うことは益をもたらします。しかし信じない理由を求め,自分が考えている救い主像に合わないと批判してゆくのをやめましょう。聖書に示されているとおりの救い主を福音の内に発見しましょう。信じない者にならないで信じる者となりましょう。