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6月28日礼拝の音声ファイルです。

2020年6月28日礼拝式順

前   奏                    
招きの言葉   ヨハネ第一の手紙4章20-21節
さ ん び   愛をもって生きていこう
さ ん び   あなたの瞳
開会の祈り                 
主 の 祈り
教会福音讃美歌  306番 汚れはてた身に
聖 書 朗 読     マタイの福音書 18章21-35節  
聖 書 の 話    「七十倍まで許せ」   廣橋嘉信牧師
教会福音讃美歌  241番 わがたまたたえよ、主なる神を
献   金            
報   告
とりなしの祈り         
頌栄(教会福音讃美歌) 272番 みつにましてひとつの神
祝   祷  
後   奏 567番[V]「アーメン・アーメン・アーメン」

2020年6月28日 マタイの福音書 18章21-35節「七十倍まで赦せ」
序文)先週、兄弟姉妹の中で罪を犯した信徒をどのように教会として対処したら良いかを学びました。悔い改めた兄弟姉妹は赦され、主の前に信仰のいのちと交わりが回復されるということでした。今朝のペテロの質問「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」は、赦しの限界をどこに設定したら良いかを問うものでした。主イエス様の答えが記されています。

Ⅰ ペテロの質問
「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」個人的に自分に対して罪が犯された時、どこまで赦したら良いのかをペテロは問いました。人間は、神様に似る者として、本性もよく創造されているのですが、アダムが罪を犯して以来、原罪を負い、性質に罪の腐敗の影響が入り、受け継がれてきてしまいました。ペテロは経験上、幾たびも兄弟姉妹たちから、同じ罪を受けてどのように対処したら良いか考え込んでいました。自分が他の人にも同じように罪深い仕業に及ぶことも避けられなかったのではないでしょうか。私たちが日常自分のことで同じ経験をすることです。「何回赦す」と言ったのは、赦すことは赦すが、限界があると考えていた。親が子どもに、よくいう言葉「今度やったら許さないから」「おやつあげない」「お小遣い減らす」などということがあるでしょう。「赦す」は「放っておく」「取り消す」「免じる」などの意味があります。「七回」と言ったのはペテロが赦せる最大限の回数でしょう。

Ⅱ 主イエス様の答え
「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。」「七回までとは言いません」七回では不十分だ。「七回を七十倍するまでです。」誰も考えつかないほどの基準をイエス様は教えられました。
「七十倍」は言語では「七十七倍」と訳することもできます。2017年版翻訳は「七十倍」としました。人々は罪に対する復讐の回数について、創世記に「復讐」のことが書かれているので、知っていました。「カインに七倍の復讐があるなら、レメクには七十七倍。」(創世記4:24)。主イエス様はこれを赦しに変えて用いられました。カインの七倍を赦しの七回、レメクの七十七倍を七十倍(七十七倍)と、言われました。
78回目は赦さなくて良いと教えるつもりではありません。無限に赦せと言われたのです。この無限に赦せと言われたのは、天の神様が、私たちを無限の愛で無限に罪を赦してくださっているからという、御子ご自身の自覚があるからです。

Ⅲ 何故そうなのかの譬え話
1 神様が私たちの罪を幾度でも赦してくださる無限の愛と無代価の赦しを理解するように!
「ですから、天の御国は、王である一人の人にたとえることができます。その人は自分の家来たちと清算をしたいと思った。清算が始まると、まず一万タラントの負債のある者が、王のところに連れて来られた。彼は返済することができなかったので、その主君は彼に、自分自身も妻子も、持っている物もすべて売って返済するように命じた。それで、家来はひれ伏して主君を拝し、『もう少し待ってください。そうすればすべてお返しします』と言った。」

 喩え話の意味するところは明白です。少しも難しくありません。「天の御国は」と話し出されているので、この喩えは神の国のことを示そうとしています。「主君」は「天の王の王」と対比しています。「家来」は王に仕えている「しもべ」で財産管理を任されていた。王様は精算をしようと考えた。ところが一人の家来は借金を1万タラントもこしらえてしまっていた。1日の労働賃金が一デナリ、100デナリが60ミナ、1タラントが60ミナで、換算すると1万タラントは1,000,000デナリとなる。百万日分の給料と考えることできる。払いきれない高額ということになる。「彼は返済することができなかったので、その主君は彼に、自分自身も妻子も、持っている物もすべて売って返済するように命じた。」返せるあてもないし、すべてを売って奴隷状態に家族全員がなっても、返済は無理。「それで、家来はひれ伏して主君を拝し、『もう少し待ってください。そうすればすべてお返しします』と言った。」家来は王の前に「ひれ伏して」これは神様に礼拝する時に用いられる言葉、ここでは、日本語で言う「平身低頭」のニュアンス。「もう少し待ってください。」は原語としては「私の上に忍耐を持ってください。」です。ずーっと平伏している状態を指す。「すべてお返しします」は無理なことであるが、一応言ってみている。
「家来の主君はかわいそうに思って彼を赦し、負債を免除してやった。」主君はあわれみを彼にかけた。負債の免除をした。神の赦しの無代価であること、無限大であることを示している。

2 ところが、家来は「自分に百デナリの借りがある仲間の一人に出会った。彼はその人を捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。彼の仲間はひれ伏して、『もう少し待ってください。そうすればお返しします』と嘆願した。しかし彼は承知せず、その人を引いて行って、負債を返すまで牢に放り込んだ。」
彼は帰宅途中に、自分に「百デナリ」の借金がある仲間に出会った。一年の三分の一の給料ぐらい。自分が赦してもらった1万タラントの60万分の一。そして「捕まえて、首を絞め」という非道に及び、残忍なやり方で仲間をあしらった。その上で『借金を返せ』と言った。
彼の仲間はひれ伏して、『もう少し待ってください。そうすればお返しします』と嘆願した。彼が主君にしたと同じことを仲間がして借金の猶予を願い出た。ところが彼は承知せず、負債を返すまで牢屋に放り込んだ。

3 主君の処置
他の仲間がなりゆきを見ていた。「彼の仲間たちは事の成り行きを見て非常に心を痛め、行って一部始終を主君に話した。」「心を痛め」は「悲しみ、痛む、傷つく、嘆く」などと訳せる。家来のあまりにも非道なやり方を見て、主君のところに行って見聞きした事柄を話した。
「そこで主君は彼を呼びつけて言った。『悪い家来だ。おまえが私に懇願したから、私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。』こうして、主君は怒って、負債をすべて返すまで彼を獄吏たちに引き渡した。」
 主君は1万タラントの借金を赦してやった家来を呼びつけて、悪い家来だと断罪した。
「私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。」主君から受けたあわれみの深さを喜び、感謝し、同じように仲間をあわれむべきではなかったのか。主君は家来を怒り、断罪して、今度は赦さなかった。負債をすべて返すまで投獄した。完済することは不可能なので、終身刑。

 喩え話の結論・適用
「あなたがたもそれぞれ自分の兄弟を心から赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに、このようになさるのです。」
 
私たちの罪は、神様から一方的に無代価で赦していただかなければならない。そのために天の神は御子イエス・キリストをこの世に遣わして、私たちの罪を代わりに背負い、十字架の上で罪の支払う報酬を完全に支払ってくださった。それで、私たちはあわれみを受けて赦された。それなのに、主にある兄弟姉妹の罪を見過ごしにできない、赦せないで、非道に振る舞うならば、あなたは本当に赦されていると信じていないのではないか。信じているなら、他の信徒に対しても赦しと愛を示すはずである。そのままでは、最後の審判に置いて神の赦しを受けることはできないということを、主イエスは気づかせようとされた。

結び)使徒たちもこの主の教えを明記して、信徒たちに勧めています。
ヤコブの手紙 2:13「あわれみを示したことがない者に対しては、あわれみのないさばきが下されます。あわれみがさばきに対して勝ち誇るのです。」

ヨハネの手紙 第一 4:20,21「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。」

コロサイ人への手紙 3:13「互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」

エペソ人への手紙 4:32「互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。」
 
主イエス様は教えています。これから生きていく上で、一番の不幸は、赦さない相手ではなくて、赦せないでいるあなたであります。一番の幸福は、主イエス様により赦されていることを信じ確信しているあなたです。その絶大な愛とあわれみの深さに触れて、兄弟姉妹を赦せるようになったあなたです。それは永遠のいのちの恵みに入るからです

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