コメントはまだありません

2017年12月3日 礼拝 説教


 
注: 音声は途中からで。説教からはいりました。
 
2017年12月3日アドベント礼拝 ルカの福音書 1:5 ~25「喜びのおとずれ」
 
序文)著者ルカは、主イエス様のメシヤとしての歴史的事実性とともに、神学的順序、論理で、この福音書を配列しています。すなわち、イエスがメシヤ「救い主」であることと、その職務を9章50節まで伝え、次に、メシヤの教えのために19章44節までを割き、メシヤとしての職務の完成を24章53節まで書いています。これらによってルカは読者にイエスがキリストであることの歴史的事実と弟子たちによって伝えられている正しい福音信仰を持ってほしいと願っていることがわかります。信徒にとっては正しい福音信仰の確立と、求道者の方々にとってイエスが救い主であることへの確信の増大、そして決断ということをアドベントに際して祈っております。今朝は、始めにバブテスマのヨハネの誕生の背景、次に伝えられた「喜びのおとずれ」さらにエリサベツの信仰告白と学びましょう。

 

Ⅰ バブテスマのヨハネの誕生の背景

ルカは、すべての事を順序正しく初めから書こうとしています。それで、イエス様の誕生を書く前に、バブテスマのヨハネの誕生にいたる経過を書きました。イエス様が公の生涯をはじめるにあたって、このヨハネがその道備えをしたからです。ヨハネの父親ザカリヤは祭司でした。アビヤの組に属していました。ダビデはアロン直系のものを祭司として24組に分けました。年に二度、一週間ずつ各組に神殿の仕事を務めさせました。祭司は結婚するとき純粋なユダヤ人とだけ結婚できるのでしたが、ザカリヤは特に祭司の家系アロン家の娘エリサベツを妻としていたのです。6節「二人とも神のみまえに正しい人であって、主の戒めと定めを落ち度なく踏み行っていた。」ザカリヤの家庭生活は、神の前に折り目正しく古式ゆかしい毎日だったのです。時代背景は、ユダヤの王ヘロデの時で紀元前37年から紀元後4年まで、ヘロデはユダヤを支配していました。当時ユダヤはローマ帝国の支配下におかれ、民族的自治独立は奪われ、外見上の繁栄とギリシャ・ローマ文化の流入によって、ユダヤ教儀式伝統は軽んじられ、宗教心も人々の中から失われつつある時代でした。ザカリヤたちの生活態度は特筆されるべきものでありました。しかし、彼らには子供がいなかったのです。すでに老年になっていました。

このザカリヤが、主の聖所で香を焚くという一生涯で一度あるかないかの最高の日を迎えたのです。彼が香を焚いている間に、主のみ使いガブリエルが現れて申しました。「御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。

その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。

彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」(13〜17節)

ザカリヤは、これまでに男の子を求めて祈った事があるのでしょうか。また、聖所で香を焚いている間は、祭司として民衆の願いをささげたことでしょう。神への敬虔なイスラエル人の求めは、メシヤ誕生の祈りでした。これらの祈りへの答えが、今ここに至って与えられました。ザカリヤにはメシヤの誕生の先駆者としてバブテスマのヨハネ誕生が約束されました。イスラエル国民全体が待ち望んでいたメシヤの到来が近づいた。そのために神がマラキ書4章5~6節で、メシヤの道を備えるエリヤの到来を約束しておられましたが、ヨハネこそ、その「エリヤの霊と力とをもってみまえに先立って行く」者であるといわれたのです。

イスラエル全体ばかりでなく人類の罪の歴史が、救いの歴史に転じ、メシヤ誕生を目前にした信仰復興が始まろうとしているのです。

神は、その先駆をザカリヤとエリサベツ夫妻の家庭におかれたのです。あらゆる時代を通じて信仰復興がこの山里(39節)に住むあまりめだたない老夫婦、しかも子供のいない家庭から初められたことは、意外に思われることでしょう。

リバイバルを叫び断食に継ぐ断食で祈り求め強烈な信仰の勇士たちから、普通は大信仰復興が起こると考えられています。そのような場合もあるでしょう。しかし、歴史的信仰復興の多くは、この時代のように神の選ばれた、静かに神への服従の生活をしていた、正しく敬虔な祈り人たちを通して始まったのです。

 

Ⅱ 伝えられた「喜びのおとずれ」

み使いから、ザカリヤに伝えられたメッセージは、喜びのおとずれでした。14節19節と天使は重ねて伝えています。生まれてくるヨハネは、神のめぐみと人の喜びの中に、天使の祝福に送られて世にくるのです。誕生するヨハネには使命が与えられています。「イスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。」全生涯は神にささげられたものと生まれる前から定められ、キリストの先駆者としてエリヤの役目を担い、人と人、人と神の関係を正し、心備えして、メシヤを迎えさせるのです。幸いな使命です。「マタイ11:7~14」

ひとりヨハネのみならず、この世に生を受けてくる子供一人一人に、神は使命を授けておられるのです。その故に迎えるものは、喜びにあふれるのです。その生涯が苦難や悲しみに満ちる事があっても、神がいのちを授けて、この世に送り出される子供一人一人に聖霊が働いて使命を与えられるのです。ヨハネは自分のすぐうしろに生まれる救い主を指差しました。それ故に人の中で一番偉大であるとイエス様が語られました。しかし彼よりも天の御国で一番小さい者でも、彼より偉大なのです。それは、み国に入るものは、そのキリストのみわざを受け入れたものであり、それを人々のまえであかしした者だからです。私たちはすでに救いのみわざをなしとげられた主イエス・キリストを指示し、多くの人々に喜びの福音を分ちあうために生かされています。

たとい生まれてすぐに主イエス様のみもとに召される幼子であっても、神はご栄光のために、その家庭の中に働かれます。うまれつき盲人であったバルテマイに、主イエス様が神の栄光の現れるためにと言われ、みわざをなさったとき、それ以後は使命を与えられたが、主に彼が出会う以前は、何の使命もなかったというのでしょうか。そんなはずはありません。問題は、生まれてくる子供一人一人を迎える側の人間が、その子供の生涯の中に神の使命を汲み取ろうとしない不信仰の中にこそあるのです。又、成人に達してもなお、自分の中に神が託された基本的な使命を認めようとしない、また、気づこうとしない身勝手な人間の罪深さの中にこそあるのです。

喜びのおとずれを、自分の経験、知恵で計って、神への不信をザカリヤは表します。

ザカリヤは、神のめぐみを受けました。しかし、彼は自分たちの能力を考えました。この神のメッセージは素直に信じる事ができませんでした。どうして、何によってそれを知ることができましょうか。わたしも年寄りですし、妻も歳を取っています。

来るべきメシヤの道を備える、あの大預言者エリヤが生まれるのは、自分たちからではなく、もっと他の人々からである。それにふさわしい若々しい能力に溢れ、生命力に溢れた家からであると考えたのでした。

神が、天のみ国のために、新しいめぐみの働きを、今の時代に行おうとされるとき、あなたを選んでおられるのです。しかしあなたが、このザカリヤと同じような霊的な老人意識をもっていたら、どうなるでしょうか。もう年寄りでなにもできません。自分にはそのような能力はありません。もっと別ないかにもふさわしい人がいる。このような考えは、人間の目には正当化されるでしょう。でも、神があなたと、あなたの家庭に、そしてこの海浜幕張めぐみ教会に、み国のために、ご期待があります。新しい神の栄光の出来事の誕生に際して、積極的な信仰を表明してまいりましょう。

ザカリヤは信じなかったために、ヨハネの誕生までものが言えなくなりました。

 

Ⅲ エリサベツの信仰告白

神は、たしかに、一方的に選んで、その栄光のためにめぐみをザカリヤとエリザベツの上にもたらされました。神の選びは人間の信仰に優先しています。神の力は人間の不完全を圧倒して、みことばを成就されます。

ザカリヤは、ものがいえなくなった時点で、自分の罪に気づきました。そして、神の喜びのおとずれを心から受け入れました。その証拠は妻エリサベツが身ごもったという事実が示しています。そのことは、この老夫婦の上に信仰の新しい生活、神のめぐみにつつまれた生活が始まったことを示しています。

エリサベツは「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」と信仰を告白しました。エリサベツは年老いていた。石女(うまずめ)として軽蔑され恥とされていた。彼女は夫に天使が現れた時、そこに居合わせたわけではありません。ただ間接的に聞かされただけでした。しかし、彼女は神のメッセージを受け入れました。そして老年の夫に身をまかせ、ヨハネを身ごもりました。神へのエリサベツの信仰は、ついにその身に恥を取り除いていただきました。神は救い主の道備えをするヨハネを彼女から生まれさせることによって、彼女のうちに秘められてきた恥をすすいでくださったのです。

ところで、あなたの人生に秘められてきた、恥はありませんか。又、人の前にあらわである恥はありませんか。

聖書に出てくる恥の原因として、あげられているものがある。例えば、怠け者、高ぶり、強情、悪妻、早とちり、両親を冷遇する者、両親に逆らうもの、放蕩の仲間になる。裸の恥、神のあわれみを拒む事、偶像崇拝、無作法、欲望のままに行動する、裏切りなどなど。これらは人の心の罪からでてくる恥です。そして、その人生は恥で凝り固まっている歩みもあれば(エレミヤ8:12)、恥ずべきことを楽しむ歩みもあり(ローマ1:26〜27、32)、恥を栄光とするものもあれば(ピリピ3:19)、恥の泡を沸き立たせるものもいる(ユダ15)のです。

しかし、救い主イエス・キリストは、そのような私たちを恥から解放し、新しい聖なる生活へと招き入れてくださる。それは、私たちの心の中にみ子イエス・キリストを迎え入れることによって可能となります。神は、あなたを救いに招いておられる。今日、エリサベツとともに喜びのおとずれを受け入れましょう。

 

結び)生ける神を信じる信仰は、今まで、罪と恥の人生を救いの人生へと転じるスタートとなります。神は今から、そのことをあなたのために、始めてくださることがおできになります。信じますか。

コメントを投稿