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2012年4月6日 受難日礼拝「完了した」

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2012年4月6日 受難日礼拝  「完了した」

序) 主イエス様が、十字架上で残された最後の七つのことばの内で、今朝は「完了した」を聞きましょう。これは「万事休す」ではありません。下の原語では、終わりという意味とともに、完成する、成就する,充満する、という意味があります。ここはその意味です。

1 この一語の中に主イエス・キリスト様の地上で行われた救いのみわざのすべてが、込められて、言い尽くされています。「完了した」のです。主は公の働きを始められてまもなく、弟子達に次のように話しておられました。「私を遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、私の食物です。」(ヨハネ4:34)また次のようにも言われました。「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。 事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」(ヨハネ6:38-40)

主イエス・キリスト様が地上に来られた目的は天の父成る神様の御心を成し遂げるためでした。父なる神様は御子によって世を救うために遣わされました。それは「良い牧者として羊のためにいのち捨て」て「羊がいのちを得それを豊かにえる」ためでした。また、主イエス・キリストはこうもいわれました。「私は羊のためにいのちを捨てます。誰もわたしからいのちを取った者はいません。私が自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、またそれをもう一度える権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」(ヨハネ10:18)そしてそのことば通りにいのちを捨て、再び復活によっていのちを得られたとき、信じる者に与えられると約束された永遠のいのちは保障つきのものとなりました。

主イエス・キリストにとっては、身代わりの死から復活へという歩みこそが大目的を果たすためにどうしても通らなければならないことだったのです。

十字架上での死を目前にして、この目的達成の十分な確信をもって、主は「完了した」とおっしやいました。この世において罪の贖いのために、いのちを差し出す働きは、ここで一切が完了したのです。ですから、このように言い切ることができた主のお心のうちには、失望、落胆、後悔などは、これぽっちもありあませんでした。人生の最後において、真実に完了したとおっしゃいました。

私たちの罪の贖いが完全に成し遂げられたとの勝利の宣言です。この完了宣言によって、たとえば「こういうわけで、今やイエス・キリストにある者は罪に定められることはありません。」ローマ8:1聖霊様はパウロに書かせられたのです。

人間の救いのために、歴史の上で神様が一回限り用意なさった購いのみわざが完了したことを意味しています。もはや二度、三度とくりかえされることはありません。へブル1:3「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」

あの十字架の上での「完了」宣言は、神様がたしかに主イエス・キリストを用いて、人の罪の歴史、時間のただ中で贖いを成就したことを示しているのです。罪の負債は完全に支払われたのです。それは一掃されました。

2 受難のキリストは、十字架の上から、私たちに完了したと叫ばれました。まさに、あなたの救いのための準備は完了したのです。それは、あなたへの招きのことばでもあります。この宣言を聞く者に心からの喜びと感謝を込めて受け取られます。信じられます。主はあなたのtまえに完了したと宣言なさったのです。あなたはこれ以上何を救い主に要求なさるおつもりですか?神様の側で用意するべきことはすべて完全に成し遂げられたのです。

今こそ信じて救いをいただいてください。

3 実は、主イエス・キリスト様が十字架にかかられる前に預言しておられたご自身の歩みがあります。ルカの福音書18:31-33「イエスは、十二弟子をそばに呼んで、彼らに話された。「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。 人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。 彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」

十字架の上で贖いの犠牲は成し遂げられましたが、まだ「よみがえり」はおこっていません。当然ですが。ところで主は「三日目によみがえる」と言われたのです。次に日曜日イースターでお話します。しかし、今日の時点で学びをしている私たちに取って復活はすでに起こったのです。ですから完了したのです。

しかしもう一つ大切な未だ成就していない約束があります。それはヨハネ14:1-3「 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」「またきて」です。再び主がこられる日がある。救いを受けたすべての民を完全に救い、完成させるためにこられる。その日には私たちの体の復活が起こるのです。

主の贖いのみわざにあずかったものは終わりの日によみがえるのです。私たちはそんれを信じて待ち望んでいるのです。

 

結び)主イエス・キリストの贖いのみわざは、公のご生涯の初めから、サタンの誘惑にさらされ、さまざまな障害をもって内から外から責め立てられました。最後はゲッセマネにおいて、その救いの道を曲げようとする誘惑もありました。

しかし、主イエス・キリストは、叫びと涙とともに、苦痛を忍び血を流しつつ、罪と悪との束縛の下に、滅びに向かっていた私たちを贖うために、ついに、その戦いを「完了」してくださったのでした。

それは大いなる勝利宣言でした。わたしのために、あなたのための勝利宣言でした。感謝いたします。

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