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2009.09.05 使徒の働き11:27~30「力に応じて救援」

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使徒の働き11:27~30 「力に応じて救援」

序文)エルサレムにあるユダヤ人を中心とした教会についで、アンテオケにある異邦人を中心とした教会が、神の摂理のうちに設立されました。主イエス・キリストにあって一つであり、同じ福音によって救われ、同じ聖霊の働きによって誕生したのです。今朝はその教会間の主にあるあたたかな愛の交わりをまなびましょう。

Ⅰ 飢饉発生

アンテオケにおいてクリスチャンたちの活躍が主イエス・キリストにある愛をもって盛んになり人々の目に豊かにとまり、あかしが続けられていました。その頃、使徒時代の預言者たちが教会に仕える働きをしていました。預言者たちは、神の直接の賜物をえて、神のみこころを受けて、普通のことばで、それらを伝えていました。その働きについてパウロは手紙の中によく示しています。

エルサレムから来た預言者たちの中で、アガボが聖霊の示しを受けて、ローマ世界全体に大飢饉が起こるであろうと述べました。事実この飢饉はクラウデオ皇帝の時に実際に起こりました。彼はAD41~54年の間おさめていました。彼の治世にはよく自然災害・凶作や飢饉が起こったといわれており、この飢饉は46年頃起こったと考えられています。

聖書学者ブルースは「ユダヤの歴史学者ヨセフスは、チグリス川の東のアディアベネのユダヤ人皇太后ヘレナが、その時エジプトで穀物を、クプロでいちじくを購入して、エルサレムの難民援助にあてたことを告げている」と書いています。おそらく、アンテオケの教会は、同じ飢饉のときにエルサレム教会を援助したのでしょう。

Ⅱ 援助の事実

飢饉ことを聞いたアンテオケの弟子達は、ユダヤに住んでいる兄弟達に救援物資や献金を送ることにしたのです。キリストの教会として同じ体につながるお互いとして意識し、エルサレム教会の窮状を汲んで、自発的に弟子達は援助する事を決めました

その援助の仕方は、それぞれが力の応じて献げることによって行いました。教会会計からまとめてどんと出すと行った方式ではなく、また一人いくらというように決めて割当式に集めたわけでもなかった。それぞれに自発的に力に応じてしました。この原則が、後になっても適用されました。ピリピの教会や、コリントの教会や、ガラテヤの教会から、エルサレムの教会に援助金が送られた時の方法が、この力に応じて献げられたのでした。

キリストの名において、愛の務めがなされました。この働きの原則は飢饉という自然的な困難においてばかりでなく、主にある兄弟姉妹の困窮や、同じ枝につながる教会同士の援助や、さらに広く無数の世界に散らばっている、主の教会のためにあわれみの業として実行されなければなりません。それによって教会の一体性が現され、霊的な分かち合いとともに、実際的な経済上の分かち合いもなされるのです。

 

Ⅲ 教会が行っている事

私たちの教会は対外献金のかたちで、直接・間接の教会的な働きに献げています。バングラディシュへの毎月の献金、学生伝道献金、聖書頒布活動、高校生聖書伝道協会、神学校生徒のアピールによるインドへの食料支援など、それらは教会会計と有志による献金です。また個人的に対外支援をつづけている方々もおられます。長老教会の大会や中会でも相互の間で、交わりの広がりと、有志による執事会活動などがあります。この働きはますます必要に応じて広がり、特に執事として、主の憐れみを表現するこころを広げてゆきたいとおもいます。

さらに、教会の外にも援助の働きは広がります。福音同盟は、対外援助委員会を組織して、国に内外の洪水、地震、台風などの被災地、飢餓対策援助、などが捧げられています。ちなみに現在委員長は西船橋の中台孝雄牧師です。

「受けるよりも与える方が幸いである。」と主イエス様が教えられました。

結び)アンテオケの教会は、集められた献金、援助物資をバルナバとサウロに託して、エルサレムに届けました。宅急便などという便利な制度のない時代です。アンテオケからエルサレムまで約500キロメートルはあります。届ける困難がありました。しかし、ことは急を要したのです。他の教会への関心の深さ、交わりの豊かさを見ます。即応するこころを見せられます。自由に愛の振る舞いにおいて豊かで、心のこもった働きの広がりが、私たちの教会においても、さらに育くまれますようにと祈りつつ、今、している事をさらに盛んにさせていただきたいと願います。

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