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2009.10.18 使徒の働き13:4~12 「主の教えに驚嘆し」

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2009.10.18 使徒の働き13:4~12 「主の教えに驚嘆し」

序文)世界宣教の始まりについて、神様が天から主イエス・キリストを世に遣わされた所に、宣教の基本がすべて込められていることを先週学びました。異邦人教会であったアンテオケ教会が歴史的に主のみこころを実行しバルナバとサウロが選ばれて世界宣教に派遣されました。バルナバとサウロが最初に伝道に行った所はキプロスでした。

Ⅰ キプロス宣教

 バルナバとサウロは教会と「聖霊に」遣わされて、海岸の町セルキヤにくだり、そこから船でキプロスに行きました。なぜ、キプロスが最初の宣教地として選ばれたのか、想像するに、そこは古代から近東において重要な島で、ローマ帝国はこの島を直轄地として治めていました。さらにこの伝道旅行の指導者バルナバの出身地もありました。アンテオケにはキプロス出身のクリスチャンが大勢いましたし、普段から行き来が多く情報も集め安かったと考えられます。キプロスには幾人かのクリスチャンがすでにいたのです。また島にはユダヤ人たちが活動していました。彼らの友人たちのギリシャ人にも伝道することができるので、糸口として、好都合な場所でした。またアンテオケから近いところでもありました。

彼らはシリヤに面するサラミスに上陸しました。ギリシャの都市としてサラミスは盛んな商業中心地でした。ユダヤ人社会で先ず伝道をし,町々を巡って福音を伝えました。サウロは後になっても、「福音はユダヤ人を初め、ギリシャ人にもすべての異邦人にも救いをもたらす」(ローマ1:16)という原則で、その順番にふつうは伝道をしていった。そして、会堂の聴衆にすでになっていた異邦人で「神を敬う人々」がユダヤ人についで、福音を受け入れる野に近い存在であった。

サラミスでの伝道の結果については、ルカ はほとんど触れないで、キプロスの西の都市で起こったことに焦点をしぼっている。そこはパポスで州都であった。そこはギリシャの女神アフロディーテと同一視されている「ハビアン」とよばれる女神崇拝で有名であった。

バルナバとサウロは、ローマ帝国の地方総督に、ここで会見できた。又総督に仕えていた魔術師バル・イエスにも出会った。二人へのバルナバとサウロたちの取り扱いを知ることにより、福音の教えと力を理解する一助としたい。

 

Ⅱ 魔術師バル・イエス

魔術師バル・イエスはユダヤ教を背教して、あらゆる種類の魔術や、いかさまな治療行為をして人々に取り入っていた。ルカはかれのことを偽預言者といっています。この場合は、詐欺的ないみです。

あだ名がエルマでした。エルマとは魔術師という意味です。ちなみにバル・イエス とは救いの子といういみです。彼は総督セルギオ・パウロに取り入って、総督が福音に興味を持つことを妨げようとし、福音に対して偏見をもつようにと、自分の知恵を絞り振りかざし、神からら遠ざけようとしました。イエス・キリストとその宣教師たちに敵対した。

サウロ別名パウロは聖霊に満たされて彼をにらめつけ「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、あまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。」と言いました。

人間が自分の知恵や知識を振りかざして、神の救いの道を妨げ曲げるわざは、意識的になされるとき、それは救い主イエスの十字架と復活の福音を効果なきものにしようとする悪魔の技に荷担しており、伝道への妨害でした。聖霊はパウロの口を通して厳しく咎めました。「おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」といった。そのとたん、そのようになった。霞と闇が彼を覆った。彼は手を引いてくれる人を捜しまわった。彼がよりどころとしているものは、何の役にもたたない。いままで見えていた世界、自分の知恵才覚で、欺くことができた世界は見えない。闇の中に一人放り出された。他人に手を引いてもらわなければならない。惨めであわれで、とぼしい自分の姿に直面した。

あのダマスコ途上でパウロの身に起こったような出来事が、みことばと共に働く聖霊の力によって起こった。はたして魔術師エルマは、その名前の通りイエスの子に変えられたでしょうか。しばらくの間、盲目になっても、本当の自分の惨めな姿に気がつき、福音を受け入れることができるなら、なお、霞と闇に覆われたような一生を送ってゆかなくてすむでしょうに。 いさぎよく、主イエスの子なるために、十字架の福音によりすがり。十字架の愚かさに頼るべきでないでしょうか。

 

Ⅲ セルギオ・パウロ入信

さて、地方総督についてルカは「この総督は賢明な人で、バルナバとサウロを招いて、神のことばを聴きたいと思った。」と紹介しています。ルカはこの賢明な人が魔術師に騙されていたことを、そして福音によって魔術のまどわしの罠から解放されたことをはっきりと記しています。

現代は、この人は逆で、神のことばに逆らうことが、自分の賢明さを示すと考えている人々が大勢います。主イエスの福音を信じることが、いかにおろかであるかという風にであります。 それにしても、この賢明な人が魔術師に騙されていたという所に、罪に歩み人間の霊的な無知、暗さがはっきりと示されています。サタンの欺きを見抜けない人の賢さということをルカはしめそうとしている。そのむなしさを見せているのです。

現代もかわりがありません。神のみことばが光を輝かせていないところでは、人間はその主張する賢さに関係なく、実におろかで狂気じみた偶像崇拝に走り、恐ろしい迷信と驚くような神々を、密かに身に着けているのです。学問、経験に関係なく霊的な真実を判別することができないでいるのです。

そのような中で、総督は満足を得ていなかった。たましいの空白、すきま風の吹くのを感じていたのではないか。それで、バルナバとサウロから神の教えを受けたいと考えた。迷信に嫌気をさしていたのかもしれない。それに代わる本当のものを又発見できないでいた。

おもいがけないところで、おもいがけない人が、霊的な必要に乾いた心をもっているものです。あの人は、地位も名誉もある。反映している。だから満ち足りているだろうと勝手に決めてしまわないほうがよいのです。むしろ、すぐそばに福音を聴きたいと求めている人々がいるのです。

総督はパウロたちが聖霊の名のもとに魔術師エルマを盲目にしたことを見ていた。そしてその教えに驚嘆した。エルマが彼に絡めていた縄目は、福音の教えと、それを裏付ける力ある聖霊の働きによって断ち切られてしまった。教えに驚嘆して、というところが大切です。奇跡を見てではないのです。それはかねてパウロたちから聴きつつあった福音の真理を証拠立てたにすぎない。彼は教えを敬い受ける者となりました。

かくして世界宣教の初めの実りとして記録されたのは、ローマの高級官僚・地方総督でありました。ふつうならば信仰に入るのに千倍も難しい人物を、神は信仰に導き入れました。彼も又、皇帝崇拝のなかで、その地位もあやうくなるかもしれないにもかかわらず信仰に入りました。そこに聖霊に満たされた伝道の力と結果を見せていただく。

結び)祈りを込め、みことばを伝えましょう。人を意見して満ち足りでいるようで、しかし、その実、自分たちの宗教では満足できない、魂の乾きを持っている人々に、主イエスの福音の力と知恵を教えなくてはなりません。

未だに、まよっている方々は、自分を縛り付けている、さまざまな魔術的な縄目から、自分を解放するために、福音のことばに耳を傾け、心を開いてくださるように強くお勧めします。

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