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2009.7.12 使徒の働き9:10〜19前半 「兄弟サウロよ」

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2009.7.12 使徒の働き9:10〜19前半 「兄弟サウロよ」

序文)今週は、大会世界宣教委員会が定めた世界宣教週間です。丁度良い時に良い説教箇所にみちびかれました。私たちはキリスト教の世界宣教の最大の担い手となった使徒パウロの召命を今朝はまなびます。

迫害者サウロが、主イエス・キリストを信じる者に変えられました。しかし復活の主の栄光輝く光で目が見えなくなり、仲間に手を引かれてダマスコの街に入って、ユダの家にとどまりました。神は、このサウロをクリスチャンの仲間として受け入れるために、弟子アナニヤを備えられました。

Ⅰ 主はアナニヤに現れ

アナニヤは、もともとダマスコに住んでおり「そこに住むユダヤ人全体の間で評判がよい人、律法を重んじる敬虔な人」と後にサウロが証言しています。彼はすでに伝えられた主イエスの福音を聞き信じていたのです。その内、エルサレムから多くのクリスチャンたちが迫害によって逃げて来たので、多くの交わりが与えられ、彼らの中で評判が良い弟子でした。彼は「多くの人から、サウロがエルサレムで主の弟子たちにどのようなひどいことをしたかを聞いていました。」サウロの迫害を自分で経験したのではない。伝え聞いたのです。また、サウロがエルサレムで始めた恐ろしい迫害をダマスコでもしようとしてやってくることも聞きました。

その彼に、主イエスが幻に現れて「アナニヤよ」と呼びかけて「立って ” まっすぐ ”という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで彼は祈っています。」とおっしゃったのです。それは「サウロが幻で、アナニヤがやってきて、自分の上に手を置くと再び見える用になると」示されているからです。

全く驚くべきおことばでした。アナニヤが驚くのは無理がありません。13〜14節「アナニヤはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。 彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」主イエス様より弟子アナニヤのほうが聖徒たちの安否をもっと心配しているという珍しい例が見られます。もちろんアナニヤはダマスコ門外でサウロの上に起こった大変化を知りません。しかし主の聖徒たちが互いの安全のためにどれほど心を配って互いに情報を交換し警戒をしていたか、よくわかります。

主はアナニヤに「 こう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。 彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」

サウロに神様が与えられた新しい使命すなわち、世界宣教の使命をはっきりと示してアナニヤを安心させて遣わしました。

Ⅱ 兄弟サウロよ

アナニヤは、主のことばに従って、でかけました。羊の皮をまとった狼としてサウロに接するのではなく、狼から羊に変えられたサウロとして、否、「兄弟」として歓迎するために出かけました。

ユダの家に着いてサウロの前に彼は立ちました。手をサウロの上に置いて開口一番「兄弟サウロよ」と呼びかけました。

アナニヤがサウロに会ったとき、これまで迫害されてきたクリスチャンたちの事を思い、非難のことばを、責める言葉を投げかけることもできたでしょう。しかし、彼は「兄弟サウロよ」と言ったのです。すでに心の中に主イエスにある家族の一員として迎え入れたことをそれは示しています。

キリストの愛と赦しに満ちた呼びかけです。この一言ですべてが尽くされています。兄弟姉妹と言う呼び方は、この世のあらゆる区別を超えた意味があります。サウロとアナニヤの間には、今までユダヤ教徒とキリスト教徒という区別がありました。迫害者と被迫害者の区別がありました。それらはもはやいっさい関係なくすべてが共にとなりました。兄弟・姉妹とは自分で好きとか嫌いとか言って選べる関係ではありません。そのように生まれついているのです。生まれてみると自分の上に兄がいた、姉がいたという関係なのです。自分の後に弟が生まれ、妹が生まれてきたのです。ですからアナニヤは信仰においてはサウロの兄にあたるのです。ただ霊的な家族なので、兄弟といい、姉妹というのです。たしかに、あのようなサウロを兄弟と呼びたくない、といって拒否できるかというと、それはできないのです。召し集められたのが主イエスさまですから。すばらしい存在として受け止める必要があり、また、同時にむつかしい存在の部分も秘めているのです。すばらしさは、その人も神の救いに与った神の子であるという点です。むつかしさは、お互いがまだ罪のきよめられていない部分が実質的に残っているという点です。

信仰的には兄弟・姉妹というのは、信仰年齢や霊的な経験を超えていて、信じたとたんから兄弟であり姉妹なのです。サウロが信じてすぐにですが、アナニヤからは兄弟となるのです。

それまでにどれほど敵対視、迫害され、苦しめられても、民族同士のあらそいや、戦争や、罪の数々によって引き裂かれ、修復しがたいような関係があったとしても、キリストはそれらの敵意を十字架にかかって和解させてくださったのです。それは、神と人間の仲保者となってくださったからです。

さまざまな国のクリスチャンたちが出会うと、そこでは「兄弟よ、姉妹よ」と呼びかけがなされます。それは主イエスによって与えられた愛と赦しのこころが互いを溶かすからです。

このサウロに対してこれ以上の歓迎のことばはありません。しかも、「あなたが来る途中でお現れになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」と言いました。 サウロにとって十分なことばです。サウロしか知らない事実をアナニヤが知っている。ですからアナニヤのいうことは真実だと確信できました。もちろん先に幻を見ていたのですが。手をアナニヤがおいてこのように言ったとき、サウロの目から「うろこ」のようなものが落ちて、目が見えるようになりました。聖霊が与えられました。これは奉仕への備えとしての聖霊の満たしでした。サウロは目が見えるようになって初めに自分を歓迎して手を置いて祈ったアナニヤを見たのです。なんと嬉しい出来事でしょうか。彼がクリスチャンとなって初めて出会った兄弟がアナニヤだったのです。この後アナニヤは聖書に登場しません。ただ一度主イエスのことばにしたがって、一番困難と思われたサウロへの個人伝道を彼はしたのです。かくしてキリスト教会最大の世界伝道者サウロ兄弟の誕生となったのです。

わたしたちも、個人やセルの集まりで、救われるべく神様が導かれ招いておられる方々に兄弟姉妹として初めて出会う特権が与えられているのです。主イエスの福音よって生まれ変わった喜びを与えられたときに、その前にあなたがいるということは、どのようにすばらしいことでしょうか。お互いに神様に用いられたいものですね。み言葉に従い、さまざまな救いを必要としている方々の元に、遣わされて、お招きを続けましょう。

Ⅲ サウロの洗礼と活動開始

目がみえるようになったサウロは単に肉体の目が見えるようになっただけではありません。霊の目も見えるようになりました。サウロは後になって、このときの様子を次のように言っています。22:12〜16「 すると、律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、 私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい。』と言いました。すると、そのとき、私はその人が見えるようになりました。 彼はこう言いました。『私たちの先祖の神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』

サウロすでに復活の主イエスに出会っていました。自分の罪、キリストを迫害した事実を悟っていました。さらに手をおいて祈ってもらって目が見えるようになりました。聖霊が満たされました。主イエスの弟子となるためにバブテスマを受ける支障は何もありませんでした。直ちに立ち上がって洗礼を受けたのです。

サウロは、主イエスがダマスコで彼のなすべき事が示されると言われた事を覚えていました。アナニヤは主からのことばを伝えました。主イエスから正当に遣わされた代弁者・預言者としアナニヤは振る舞いました。主はアナニヤを使いとして用いサウロに対面され使命を伝達されました。

世界伝道への召命によって、サウロは主イエスのために断念すべき多くのことがありました。それはピリピの手紙であきらかです。血統の誇り、家族、信条、地位、名誉、指導者などユダヤ教徒としてのすべてを断念しました。キリストのために損と思うようになった。彼はそれ以来愚痴をこぼしたりしないのです。クリスチャンにならなかった方が良かった等とは断じていわなかったのです。今までの自分の生まれ、育ち、を誇ったりしませんでした。

キリストから与えられた世界伝道への委任状によって、新しい人生がはじまったのです。一人の人がその生涯を神様の召しのうちに変えられるのは、選びという事実と共に、実にわずかなおことばによっているのです。それは一生わすれられないことばとなります。

彼はキリストのために多くを捨て去りました。そして代わりに何が与えられるのかを知っていました。「彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを。わたしは彼に示す。」といわれていたのですから。幸いなことに、彼はその全部を一度に見せられていたのではないということです。コリント第二の手紙11章にあるような苦難が最初から示されていたら、大変だったろうとおもいます。少しずつ丁度良いときに経験をしました。

アナニヤによって洗礼を受けたサウロは三日間食べる事、飲むこともしていなかったので、食事をして元気づいた。霊的な力とともに体力も回復しました。

結び)さてサウロがキリスト教徒として、兄弟として受け入れられ、正式に活動を開始する用意ができました。主イエスご自身からの任命により、キリストのはかり知ることのできない富を異邦人に伝えるしもべが誕生したのです。これは単にサウロの使命ばかりでなく、すべてのクリスチャンへの使命でもある事を覚えましょう。説教者にだけ与えられている使命ではなく、万人預言者としてすべてのクリスチャンに与えられた責任です。世界宣教の広がりによって福音が、私たち一人一人に届いたことは何というめぐみでしょうか。いま、私たちの礼拝には、韓国人、中国人、台湾人、マレーシア人、アメリカ人、オーストラリア人、ニュージーランド人、カメルーン人、日本人が出席しています。ここから、さらに世界に信仰を持って出て行き、あかし人、宣教者、祈り人、捧げ人が起こされますようにとねがいます。バングラディッシュのムル

族のMr.Lal Jubiさんの働きのために昨年来献金を毎月しています。ますます世界宣教の一環として継続しましょう。神の国の広がりのために、教会の主がお入り用なのですから

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