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2009.7.19 使徒の働き9:19後半〜31節 「弟子たちの仲間に」

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2009.7.19 使徒の働き9:19後半〜31節 「弟子たちの仲間に」

序文)迫害者サウロが、復活の主イエスご自身に直接捕らえられ,ユダヤ教徒として迫害の指導者から、キリスト教徒に大転換した。その結果、ユダヤ教の世界にも、キリスト教の世界にも大変化が起こった。その始まりの出来事が今朝の聖書箇所に書かれている。

主イエスはキリストであると宣教すること、迫害を受ける身になったこと、エルサレム教会に受け入れられる事、タルソへの派遣です。全部の出来事はキリスト教徒となったサウロにとって、初めての経験でした。

 

Ⅰ サウロ、主イエスを宣教する 19後半〜22節

ダマスコの弟子たちは、アナニヤに導かれたサウロが、復活の主イエスに出会った次第を聞いて,彼を仲間に受け入れたと考えられます。

ここでサウロは生まれて初めて主イエスが神の子であることを説教した。ダマスコの諸会堂で、サウロは自分がはっきりと分かっている事、経験して確信している事を語りました。それは主イエスが約束のメシア・神の子であるということでした。彼の心の内に信じた者としての喜びと平安が宿り,語らずにはおれないような心になっていました。主イエスにおいて発見した救い、それは彼が生涯をかけて追い求めていたことでした。

サウロはその口でイエスは神の子であると解きすすめながら、どのような気持ちであったでしょうか。生まれて初めて説教するときほど気後れして,どきどきすることはありません。いままでナザレのイエスが神の子であるはずが無いとクリスチャン達を論破してきたのです。こともあろうに、その自分の声が「ナザレのイエスは私の主・神の子」と耳に響くのです。「イエスはキリスト・メシアである」と叫んでいるのです。

力強い上に、徹底した弁護を主イエスのためにしました。当然ながら、彼の一信徒としての伝道は大変な騒ぎを引き起こしました。「この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやってきたのも、彼らを縛って,祭司長のところへ引いてゆくためではないのですか。」ダマスコのユダヤ人たちは憤然として憎しみを込めて,かつて自分たちの頭目であったサウロに立ち向かおうとしました。しかし、組織的な迫害は挫折し、個々に上げる反撃は、キリスト教徒となったサウロに簡単に打ち伏せられました。サウロはますます、今まで経験しなかったような新しい熱心がその心の底から湧いてきて大胆に語りました。恥ずかしいとか、立場がなくなるとか,メンツとかは、主イエスの救いの豊かさと大きさ深さに与って,吹き飛んでしまいました。それほど主イエスを誇りに思う心を彼は持ったのでした。福音の真実に深く触れることが、わたしたちにも大事なのです。

ダマスコでの宣教の結果、サウロは反対を押し切ってさらに進むか、エルサレムに帰るか、しばらく、知らない土地に引き込むかの,どちらかを選ばなければなりませんでした。

使徒の働きの著者ルカは、22節と23節の間に、サウロがアラビアで過ごした3年間の歳月を素通りしている(注:ガラテヤ人への手紙1:13~18)。また、3年間とは足掛け3年の事で,満3年ととらない事も通説であります。アラビアとはナバテヤ王国のことで、アレタ王4世が統治している王国の北西の端がダマスコに隣接していた。その間のことはほとんど何も分かっていません。これ以上話す事が出来ないのです。

 

Ⅱ  サウロ初めての迫害を受ける

さて,アラビヤでの3年を過ごした後、ダマスコに帰ったサウロは、そこで幾日も過ごしているうちに、ユダヤ人がサウロ殺害の企てをしました。「裏切り者」への憤怒は収まらなかったのです。サウロは初めて主イエスの故に、いのちを狙われる身になりました。迫害を受ける者の心が分かったのです。敵対するものたちは、アレタ王の代官を動かして、サウロを捕らえようとしました。ダマスコの街を監視させました。(第二コリント11:22).ダマスコの街にはナバテヤ王国の出身者が大勢すんでいて、その居留民を納めるために代官所が置かれていたのです。

サウロは、これからの働きを思って,逃げることを決めました。そのときサウロを助けた弟子達は、ダマスコ伝道やひょっとしてナバテヤ王国での伝道の結果生まれた,弟子達でした。彼らはサウロの切迫した状況に判断をくだして、夜中に籠に乗せて城壁の外へと脱出させました。正門には見張りが立っていました。歓迎されてダマスコに入るはずだった彼が,今は城壁からつり下ろされてかろうじて逃れる身になったのでした。

 

Ⅲ エルサレムへの帰還 バルナバの仲介

サウロはエルサレムに帰りました。彼は困難な立場に立っていました。彼の古い友達は、ダマスコのユダヤ教徒たちから知らせを受けていました。サウロをキリスト教徒に寝返った裏切り者と思っていました。しかし,クリスチャンたちはサウロがキリスト教徒であることを証明してもらったわけではありませんでした。サウロが自分に起こったことの訳を説明して,弟子達の仲間入りをしたいと申し出た時,疑惑の目で見ました。恐れがありました。以前の迫害の勢いを決して忘れる事ができなかったのです。スパイではないか?そうでないという保証はどこにあるのか。

私たちは彼らを責める事は出来ません。新しいクリスチャンになった者を受け入れる教会の側の心配と,受け入れてもらおうとする者の努力を、私たちは経験しているからです。新しく教会員となる者がいろいろな意味で並外れている場合は,特にそうです。古い罪の性質が根深くあって、信じたといっても、ほとんど以前と変わりないのではないのか?といった振る舞いは,主イエスのあかし人となっているというよりは、これまで積み上げてきたあかしを破壊し,教会の主イエス様の評判を落としてまわっていくのではないかと心配する。

サウロの場合は,まかり間違えると、教会の出席者全員が、根こそぎにされかねないのです。しかし、最初の教会は、アナニヤにしても、ここに登場するバルナバにしても、その神様の紹介、保証をもとにして受け入れたのでした。

バルナバはキプロス生まれでギリシャ語を普段に使うユダヤ人でした。彼は勇敢にもサウロを「引き受け」たのです。「引き受けて」とは手をとるというほどのお世話をした事を示します。人が嫌う者や危険を感じさせる者の肩をもつことは勇気のいることです。

バルナバはサウロを使徒達のところに連れて行きました。サウロは後にケパと主の兄弟であるヤコブに会った、と、この時の事を書いています。そこで、ダマスコ途上での主イエス様の現れ,主イエス様の教えと召命、ダマスコでの伝道などについて伝えました。それで充分でした。ガラテヤ1:18によるとそれは15日間でした。

ペテロとサウロは15日間も何を話し会ったことでしょうか。多分ペテロの方が雄弁で主イエス・キリストとともに過ごした次第を延々と話したのではないでしょうか。サウロは、主イエスとの出会いを克明に分かち合ったのではないでしょうか。

エルサレムの弟子達、ユダヤ人たちの中で、彼は言葉を改めて主イエスはキリストであると語ったのでした。そのような中にも、ギリシャ語を話すユダヤ人たちは彼を殺そうと狙い始めました。ステパノ迫害以前はギリシャ語を話すユダヤ人たちはクリスチャン達に好意をもっていたのです。その彼らがクリスチャン殺害に走しらせたのは、ほかでもないサウロだったのです。今や彼はいのちを狙われる身となリました。どうしたらよいのでしょうか。

主イエスご自身の計らいが、使徒の働き22:17~22に記されています。「 こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。』 そこで私は答えました。『主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。』すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす。』と言われました。」

その結果サウロは友人たちによって最初に港町であったカイザリヤに、ついでキリキヤの首都タルソヘとサウロを送り出された。サウロは自分の故郷、両親が住んでいる街で伝道し、また、そこを拠点にしてキリキヤやシリヤ地方に伝道しました。

結び)31節教会はこうして平安を保ち,信者の数が増し加わっていきました。教会が異邦人伝道をするための準備がすべて整いました。サウロの攻撃は収束し、パウロとなった彼は、今後の宣教活動への備えを終わった。教会は平安な時期に入った。聖霊は教会をさらに力づけ、信じる人々の人数も増大した。

様々な困難の時代だけでおわりではなく、次への発展に神は備えさせてくださった。

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