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2009.8.30 使徒の働き11:19~26 「キリスト者」

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2009.8.30 使徒の働き11:19~26 「キリスト者」

序文)18節までの経過をおさらいしましょう。ローマの百卒長コルネリオが使徒ペテロから主イエス・キリストの福音を聞き、その場に集まっていた人々も信仰に導かれて、洗礼を受けました。この事は当時のエルサレム教会のユダヤ人クリスチャンにとって大問題でありました。ユダヤ人が異邦人に対して持っていた偏見の故に、ペテロが罪を犯したと考えていたからでした。ペテロがエルサレムに帰ってくると早速、やってきてペテロに釈明を求めました。その結果、福音が異邦人にも何の分け隔てなく届けられ、聖霊が注がれた事実をもって、神のみこころが立証されたのでした。エルサレムのクリスチャン達は、それを聞いて神を讃美しました。

神が異邦人を異邦人のままで救われるのです。割礼を受けてユダヤ人律法を守る必要はないという事がはっきりと示されたからでした。

丁度、そこに、今朝の聖書の出来事が入ってきます。「アンテオケでも大勢の人々が主に立ち返った。」というニュースがエルサレム教会に聞こえたのです。アンテオケ教会誕生ニュースです。このアンテオケで、主イエスの弟子たちが初めて「キリスト者」(クリスティアノス)と呼ばれるようになったのです。神様のなさることのタイミングの良さを知ります。

Ⅰ アンテオケ教会誕生のいきさつ

エルサレム教会のクリスチャンたちは、異邦人にも伝道することが神のみこころであるということが分かりました。しかし当面はユダヤ人をキリスト信仰への改宗のために働いているので、すぐに異邦人伝道をしようとする準備はできていませんでした。

しかし、神の御手はすでに働いており、あの迫害者サウロがエルサレムから追放した弟子たちの内で、ある者たちはエルサレムに帰る事をしないで、フェニキヤ(現在のレバノン)、キプロス、アンテオケまで進んでいきました。アンテオケは当時ローマ世界で第三位の大都市でした。ちなみに第一位はローマ、第二位はアレキサンドリヤでした。人口80万人。商業、教育、文化の都でした。シリヤ地方の首府でした。彼らは、ヘレニスト・ユダヤ人(ギリシャ語を語るユダヤ人)以外には福音を語らなかったのです。ユダヤ人にとって旧約聖書に啓示された救い主・メシアの出現は意味があるが、異邦人には意味がないのではと考えたのかもしれません。ところが、彼らのある者たちがキプロス人とクレネ人であったので(彼らはギリシャ語を話せた)、アンテオケに来てからは異邦人にも福音は通用するのではないか、特にギリシャ語のキュリオス(主)やソーテール(救い主)という言葉は、当時の世界で使用されていたので、実験的にギリシャ人にも話しかけ、主イエスを述べ伝えました。福音を聞いた彼らは、ギリシャ語を語るユダヤ人ではなくて、ギリシャ語を語るギリシャ人だったのです。

主の御手が語る者たちとともにあった。主の力がそそがれた。信仰に入るものが大勢であった。ペテロとコルネリオの出来事とは別に、この事柄は生じた。使徒たちの働きと関係なく、これらのことは生じた。聖霊が導かれたのです。新しい事態です。エルサレム教会は、いままでにない事態であるために、アンテオケの状況を調査する必要を覚えました。異邦人の中に使徒達と関係なく、独自の教会が誕生しようとしている。この微妙な出来事、しかし重大な出来事を受け止めるために派遣される人物は、おおきなカギを握っている。人選は難しいのです。

Ⅱ バルナバの働き

エルサレム教会は慰めの人バルナバを選びました。慎重で、勇気のあるバルナバ、あの回心したサウロをエルサレム教会に執りなした彼を選んだのです。正解でした。前に9:27節のところで、バルナバの学びを既にしました。ここのところを触れたので重複しますが。アンテオケ教会誕生という視点で話しを進めます。

ギリシャ語をはなすことができ、しかもキプロス出身であるバルナバは、アンテオケ教会のために、そこで働かれる神様の力を認め、信じた者たちと共におおいにそれを喜びました。神の恵みを見る事ができた霊的理解力と、それを喜ぶ信仰がありました。そこに彼の立派さがあります。自分の名声が上がったり、自分の気持ちがすっきりしたりすると喜ぶ、そうでないと、神の恵みの働きにも難癖を付けて非難するなどというのでは、信仰において立派とは到底いうことができません。お互いにバルナバのように聖霊と信仰に満たされることを追い求めましょう。恵みの働きを喜びましょう。

バルナバは信じた主イエスに対して忠実な奉仕と従順を持ちつづけ、応えるように彼らを励まし続けました。バルナバの純真な性格と信仰は、聖霊に満たされていることともあいまって、アンテオケの信徒たちをさらに刺激して、回心者が増し加わりました。

そして、バルナバは独自な判断を下して、このアンテオケ教会のためにタルソ出身のサウロに、今後を任せようと考えて、彼を捜しにタルソに出かけました。明らかにエルサレムの教会は、アンテオケ教会にサウロを派遣しようとは考えていませんでした。だからこそバルナバを派遣したのでした。しかしバルナバは、エルサレムにいた頃のサウロを見ていましたし、その後のキリキヤ地方やシリヤ地方での彼の働きも知っていました。それに12使徒たちは全員パレスチナ出身のユダヤ人だから、ここアンテオケ教会の指導は難しい。アンテオケ教会のこれからの働きは異邦人世界で独自なものになると考えると、サウロが適任である!ヘブル語だけではなく、なによりもギリシャ語を話す。教養は文化都市タルソで充分に身につけている。

アンテオケの出来事はこれからあらゆる異邦人への伝道の好機をなるのであって、この時点で人選を間違ってはいけない。サウロはアンテオケに連れてこられた。かつてはエルサレムからクリスチャンを追放した彼が、今やその結果生まれたアンテオケ教会で働く身となった。主イエスさまがサウロに現れたときに、彼に異邦人への使徒として遣わすということが示されていた。ついにその時が到来した。伝道において人と時が一致することは大切です。

人事問題に対する神様の導きを受け止めるこころをもっていたバルナバは、それを行使しました。この時サウロが回心してから八年目ぐらい経っていたと考えられています。AD44年頃、サウロ43~44才、人生の最盛期。神は今や異邦人伝道への門戸を広く開かれました。

神は備えられました。そして遣わされます。神の摂理的配剤があるのです。しかし、人は自分の遣わされた働きの場について、どのように働いているかによって、遣わされたことを証明しなければなりません。バルナバはサウロとともにアンテオケで一年間ともに異邦人教会と伝道のための基礎づくりに励みました。エルサレムに帰らなかったのです。サウロもその実力を発揮したのです。全世界を相手にする伝道事業のためにアンテオケで信徒となった者たちは教化されてゆきました。

 

Ⅲ あなたはキリスト者

アンテオケ教会の中にユダヤ人教会にない新しい精神が生まれました。ここではユダヤ人という言葉も、思いも、前面に出てきたりしなかった。主イエス・キリストという、ことばが前面に出ていました。これはユダヤ教の一派ではない。キリストの宗派である。それは人数でも生活態度でも、ユダヤ教徒とずいぶん違っていた。しかも26節「彼らは教会に集まり」とあるように、彼らの集まるところは「教会」と呼ばれている。異邦人キリスト者たちに「教会」という名称が使われている最初の例である。アンテオケの人々は、彼ら信徒が何かといえば「クリストス(ギリシャ語)」(キリスト)を宣伝するので、それをもじって「キリスト党員–クリスチャン」とあだ名をつけて呼ぶようになった。少々侮蔑的な意味を込めていた。あきらかにアンテオケの人々の目にはユダヤ教徒と違う、キリスト者と映ったのです。

率直に、大胆にアンテオケのクリスチャンたちは、自分たちの信仰を告白した。キリスト者と呼ばれた。もともとクリスチャンは自分たちのことを、弟子、聖徒、兄弟たちと呼んでいた。でもだんだん「キリスト者」とも呼ぶようになった。それによって主イエス・キリストの名による福音が全世界に伝わって行くために、すばらしい幸いとなった。

結び)わたしたちも、あかしの力を増し加えていただき、喜びの溢れた信仰姿勢をもって前進しましょう。あなたのいるところどこででも「ここにキリスト者がいる」と言われるほどに主イエスのあかし人と、言葉も思いも行いもなれるように、聖霊の助けを祈りまとめましょう。

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