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2009.9.20 使徒の働き12:1~19 「熱心に祈り続け」

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2009.9.20 使徒の働き12:1~19 「熱心に祈り続け」

序文)エルサレムでユダヤ人たちは再びクリスチャンたちを迫害しまじめました。そのことはローマ帝国の傀儡(カイライ)政権であるヘロデ・アグリッパにとって、普段は心が離反している民衆を積極的に取り込むためのチャンスでもありました。巧みにユダヤ人の心を取り込もうとして、派手になんでもやるのです。たとえ法律に適わないことでも合法にしてしますのです。それでいて一方では古来の宗教儀式を熱心に守ってみせるのです。「私はあなた方と同じ信仰を持っている。伝統的な宗教を大切にしている。」とポーズをとるためです。

 これは何時の時代にも政治家と言われる人々がよくやる手口なのです。今日の段落で、著者ルカは、主イエスの福音が、一人の使徒の死や、他の使徒の投獄によっても、妨げられることなく、祈りによって勝利をえて前進して行ったことを示そうとしています。

 Ⅰ 事件発生

 12使徒の一人。ヨハネの兄弟ヤコブをヘロデ・アグリッパは剣で斬り殺しました。それがユダヤ人の気にいったのです。それで次にペテロにも手を伸ばし捕まえました。

 ヘロデ王は厳重な警戒態勢を敷きました。4人一組の兵士、4組に夜も監視させました。ペテロは二本の鎖で繋がれ、その両脇を二人の兵士がめ固め、戸口に二人が番をしていました。そして獄屋の外には第一、第二の守衛所があり、最後には「鉄の門」までありました。ペテロは絶対絶命の状態におかれていました。

 人間をこのように捕らえる力は、何も政治的な力だけではありません。むしろもっと力強く、わたしたちを捕らえて離さないものが何と多くあることでしょうか。病気があります。悪い習慣があります。どうにもならなくなった人間関係や、金銭問題があります。家庭のいざこざがあります。困難な環境にはまりこんで抜け出られなくなることもあります。たとえそのようなことが何もなくても、聖書はわたしたちが「神に逆らう罪の奴隷である」といっています。また、そのままでは絶体絶命で「永遠の死にいたる罪の奴隷であるのです。」ヘロデがペテロに対して取った態度は、そのまま罪が人間に及ぼす力を示しています。第3の守衛所が「鉄の門」であったというのは象徴的です。このような状況下にある人々を救出する方法は、どのようにすればよいのでしょうか。当時のクリスチャンたちがペテロを救出するためには、何をすれば成功できたしょうか。

 1 獄屋を武器で襲撃するには、どうでしょうか?危険ですがスリルがあって魅力的な方法だと思うでしょうか。

 2 嘆願書を署名で一杯にして提出するのはどうでしょうか?当時クリスチャンも大勢になっていたし、有力者も名前を連ねているようにしたらいかがでしょうか。この方法は効果があったかもしれません。しかし、クリスチャンたちは、それをするように導かれませんでした。

 3 お金でヘロデを買収する。政治家が現代ばかりでなく、古来からお金によって決断を左右することがおおいようです。あのペリクスは囚われのパウロからお金をもらいたいとの下心があったと後の章(使徒24:26)にかかれています。しかし神様がみことばに反するような方法をクリスチャンに勧めるはずはありません。みことばに反して命令されることももちろんありません。  

 4 デモ行進も有力な手段です。獄屋の入り口にピケを張って座り込み話し合いをする。この不正な逮捕について抗議し、何も悪をしなかったペテロを釈放するように!とシュプレヒコールをするのです。

 

 Ⅱ 祈りによって解決?!

エルサレムのクリスチャンたちは実際にそのような方法を用いなかったのです。彼らが行ったのは祈祷会を開いて、皆でこころを合わせて熱心に祈ることだったのです。人間の力でなしうることには限りがあるのです。そして、ことに霊的な課題については全く何もできないのです。

 神の力には限りがありません。ペロデがクリスチャンの祈り会について聞いたらきっとあざわらい、この奇妙な救出方法に吹き出したことでしょう。番兵の配置の仕方からして、そのようなことに備えていたのでないからです。クリスチャンたちのことを臆病者とののしったことでしょう。ペテロが殺されるかもしれないのに、ただ、座して祈っているのですから。

 人間は「鉄の門」でかためられた罪から解放を受けるために神の力ではなく、人の知恵や、力によって行おうとするのです。祈っても何もよくならないと。

 しかし、クリスチャンたちは「祈りの力を知って」いました。「神が働かれること、現に働いておられる事」を知っていました。ペテロのための祈りが積まれました。このどうしようもない問題にぶつかって祈りました。神はわたしたちの状態をご存知です。罪人の状況をご存知です。

 男も女も、長い間どうすることもできずに、避けられないと思いこんできた困難な境遇の枷が人々から力を奪ってきました。しかし、神は祈りに答えられ働かれました。

第一、   第二の守衛所も通り過ぎ、今や「鉄の門」が目前に

控えているところまでペテロはきました。この門も神は開かれるのです。

 「自由を得させるためにキリストは私を解放してくださったのである。だから堅く立って二度と奴隷のくびきに繋がれてはならない。」

 神がペテロ を解放してくださったという事実の背後に神の使いの働きがありました。あとになって、我に返って「たしかに主はみ使いをつかわしてヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ちかまえていたすべての災いから、私を救出してくださったのだ」といえるのです。

Ⅲ 摂理的救済

罪深い人間どうしは、神のお心に反してその思いにおいて計画において行動において悪をはかり、災害や、災いや、悲惨をもたらします。しかし、神はそのような人間の行動を通して救い主である事を示し、まことの主権者であることを見せ、本来の人としての有り様を分からせようとされます。そのために熱心な祈りに答えることをとおして、神は生きておられ、たしかにすべてのことを支配していることを教えようとされるのです。

教会の使命はどのようにして果たされてゆくのでしょうか。主にある兄弟姉妹の使命はどのようにして実現してゆくのでしょうか。一見してすべての道が阻止されたように見え、絶対絶命のように感じられても、なお、神はそのような窮地にあるわたしたちを通して祈りの世界を見せ、霊的な本来の支配を経験させてくださるのです。人は自分の生活をとおして生きておられる主を体験させられるのです。

祈りは、そのことを知る最短距離であります。一切の人間的な方策をおいて、まず祈ることにより、成し遂げられるすべてのことが、主からきたことを感謝でき、ともにおられる主を仰ぐことができるのです。

結び)心に平安がなく、次々とおそう課題に心騒ぐときに、今一度祈りの世界に入れて頂きましょう。生きておられる主がともにおられると深く信頼するほどに、交わりを求めてみましょう。不安、人間的な一切に頼り続ける心によって、それが頼れなくなる心配、思い通りに行かないいらだち、それらあなたの心に起こる反応はすべて、熱心に主に向けて祈り続ける事により、神が気づかせて、主がみ使いを遣わして救ってくださったのだと、告白できるほどに取り扱ってくださるように求めます。祈りの豊かさが、神を知る事の豊かさにつながり、そのいのちと支配に触れることの豊かさにつながるのです。教会は一同が心を合わせて祈りに祈ったのです。

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