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2010年1月3日 使徒の働き 14章21~28「恵みのみわざを報告し」

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2010年1月3日 使徒の働き 14章21~28

聖書の話  「恵みのみわざを報告し」

序文)教会として新年度をむかえました。主イエス様がまことの大牧者・良い羊飼いとして、この年度の歩みを導き、豊かないのちの恵みをくださることを信じて、み前に従ってまいりたく存じます。

礼拝で「使徒の働き」を学び続けております。全部で28章ありますが、今朝はちょうど半分の14章の終わりの部分です。2010年度中に終わることができればと学びを進めます野で、ともに励みましょう。

Ⅰ 諸教会の強化

使徒パウロたちが、デルベの町に移動して、第一次伝道旅行の最後を全うし、あとはアンテオケに帰るばかりとなりました。デルベの町での働きはほとんどしるされておらず、ただ「多くの人を弟子とした」とだけ書かれています。帰国すべき時が来たのです。帰り道、伝道してきた都市や町や村を巡って帰りました。

彼ら一行は、第一次伝道旅行の終わりを締めくくるために、三つのことをしました。まず、一番気にかかっていることで、そこ、ここに建てられつつある教会をどのようにして強めることができるかということです。迫害のために十分な心配りをして教え導くことができないままに、次の町にと移ってきたのでした。帰り道に、このやり残した仕事を補い、教会を強めようとしました。もしこのことができるならば、伝道の働きは長く実をむすびつづけます。伝道は種まきだけではなく、教会形成まで視野に入れなくてはなりません。

主イエスご自身も人格と教えにしっかりと信じた人々の心を結びつづけるようにと強め、また、信仰に執着しつづけるようにと励まし、神の国にはいるには多くの苦しみを経験しなければならない、といった将来の艱難に備えさせようとしました。

キリストを信じ続けることは、困難をともなうということ、これは初代教会にとって自明のことだったのです。「テサロニケ第二 1:3〜5」[十字架なくして栄冠なし]といわれております。それだけに幾度も心を励まされ、強められなければなりません。苦難は、神の国にふさわしい者とするための、訓練となりますが、そのたびに、自分が主イエス様にあることを確認つづけ、苦しみをとおして従順を学びます。キリストを信じているための苦難は、そこにとどまり続けることを通して、いのちの冠をいただく道を発見させ、鍛えられてゆくのです。

 

Ⅱ 教会を組織立て

次に、第一次伝道旅行の終わりを締めくくるために、パウロたちがしたことは、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈ったことです。

教会を組織立てたのです。異邦人教会を設立することでした。伝道者は福音の種をまき、信じた人々に洗礼を授け、信仰の心を育てる牧会を行い、その上で、教会の存続と発展を願って組織化することをしなければなりません。それは最初の教会の基本的な開拓伝道の進め方でありました。組織を作ることは、信徒が一人では負いきれない苦しみや、戦いが、福音の前進に伴ってあるからです。教会が全体として、取り組む戦いがあり、担い合ってゆくことで、一人一人を支え合いし励ます道が必要なのです。

神の羊たちが一匹で成り立つことはなく、群れとして養い成長が不可欠で、そのために主イエスは、羊の大牧者といわれています。また「み子は、そのからだである教会の頭です。」さらにイエス様は、聖書では、使徒・教師・監督・長老・役者・ただひとり律法を定める方ともいわれています。主イエスはこのような、ご自分の群れを、具体的に地上で養い、教え、はげまし、訓練し、使命を果たさせるために、ご自分につけられている名前の役割を果たす者を教会に起こされました。それらを群れごとに主は、任命しておられるのです。

パウロとバルナバは、教会ごとに長老を選びました。新約聖書の他のところでは、 パウロとバルナバたちが、そのような者を直接選べない場合は、どのような人物を長老として立てれば良いかを指示し、注意し、それによって立てさせました。

長老を選び、立てる基準は、この世の中のように、名声があるとか、財産があるとか、世慣れているとか、交際上手とか、声が強いとかいうのでは決してありません。その人の主イエスへの信仰のあり方、姿勢をみるのです。そのために、信仰を持って間もない人は、これから育ってゆきますので、今は避けるようにといわれています。生活において貞潔な結婚をしているかとか、夫婦がクリスチャンか(これは一方がクリスチャンでない場合は、家庭の中で信仰の戦いが激しいので、長老として家庭生活を指導したり、教会の働きをするのを妨げるからです)、両親の信仰の努力が子供に反映しているか、世の中から非難されていないか、性格が異常でないか、頑固でわがままでないか、怒りぽくないか、酒飲みでないか、けんか好きですぐに人を殴る人でないか、不正の利益を求める人でないか、等などが、聖書に書かれています。さらに霊的な特徴として、神への敬虔さ、善を愛し、善を推奨する人で、慎み深い心を持ち、自分の心を支配できる人か、これは他人に奉仕するために自分の心を治めきれないといけないからです。また教理的に正しい信仰を求めつづけ、実践的に生きてゆく人かなどです。

実は、これらは、長老に求められている資質というよりも、すべての信徒が目指すべきこととして求められている目標なのです。

パウロとバルナバが伝道しつつ選ぶときに、これらの特質にかなっている人を見つけたでしょうか?ルステラやイコニオムやデルベ、ピシデアのアンテオケなどで、どうだったのでしょう?きっと、この条件により近く適った信徒たちを任命したのではないでしょうか。教会が成長しつづけるに従って、より整っていったのではないかと、思うのです。

それで基本的には神への敬虔さであろうと思います。主イエスさまが12使徒を3年の間寝食をともにして訓練された最大の目的は、彼らに敬虔さを身につけさせることだったのです。信じて従っている人で罪をおかさない人は、誰もいません。聖化の道を歩みつつあるからです。しかし、神への畏怖と、素直に悔い改める真実と、恵みに生きる道を歩むものなら、選んでよいと考えます。

このようにして選ばれた長老たちの職務内容は、どのようなことがらでしょうか。具体的には、みことばが正しく語れるために配慮することです。今日では、説教者を招聘するときに具体的な配慮をする責任を負います。また礼拝への配慮、礼典の執行への注意、信仰を告白する者にたいする責任、試問会、戒規の執行。教会会議に出席し、教師たちを同じ発言権をもち決定権を発揮します。長老会議である小会、中会、大会を組織し公の務めを負います。決定したことは教会の決定として責任を負います。個人プレーをしているのではないので、個人的な感想を述べて小会の公的な決定を覆してはならないのです。長老の務めは個人にゆだねられているのではなく、教会会議にゆだねられているのです。祈りの勤めは長老と牧師の間に、ともに主に仕えているとの信頼関係が養われ、保たれるために、不可欠です。

治める務めは牧師とともにする牧会です。

教会は長老たちを立てることにより、信徒を主にゆだねることがきます。主のみ声を聞きやすくするのです。様々なタイプと人格性をもった長老方が任命されることにより、教会はより、客観的に主の御声を聞くことができるようにと計り、運営も一定の進め方ができるようになるのです。

私たちの好みに任せてではなく、主のみむねに適った教会形成を祈りも泊めましょう。17日の信徒総会に備えましょう。

 

Ⅲ 宣教報告

さて、パウロたちが伝道旅行の締めくくりとして、した事柄を最後に学びましょう。それは自分たちを派遣したアンテオケの教会に帰って、「教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのこと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した」のでした。

彼らは、神のめぐみにゆだねられて派遣したアンテオケの教会が、派遣した責任と光栄を分け合うために、宣教報告を聞きたいと願ったし、またパウロたちも詳しく報告をしました。希望通りに行えたことは何か、行えなかったことは何か、詳しく報告しました。いった先々で、ユダヤ人たちの反応は芳しくありませんでした。ユダヤ人たちはパウロたちを迫害しながら徹底して妨げまわりました。それに比べて異邦人たちは次々と信仰にはいり、各地に福音は広がり、教会の基礎ができました。この開かれた門は再び閉ざされることは今のことをないのではないか。世界伝道の始まり箱のように祝福されました。ギリシャ人に対汁伝道は、大規模に進めつづけて良いことがわかりました。伝道することはパウロにとって理論の段階から実践に写りました。ユダヤ人もギリシャ人も同じキリストの体につながる枝となりました。

現代においても、宣教報告は、その人々を派遣した教会なり、支援団体、理事会などに同様に行われています。私がボランティアで聖書翻訳宣教のウィクリフ日本委員会で、そのような派遣と報告に33年間立ち合ってきました。これは現代風にいうとアカンタビリティーであって、報告責任をどこに負っているかという大事な責任なのです。パークシティーズ長老教会やコロンビア長老教会、京葉チームや、長年の支援者の方々に、昨年、報告文書やDVD、CD集、写真集等をそえて感謝にいったのは、このアカンタビリティーを果たすことにあったのです。

信徒総会で、それぞれの一年間の教会活動の報告を互いにするのも、教会の頭であるイエス様にたいする、この責任なのです。個人プレーではなく、キリストの体である教会の公の一員として働きの報告です。神のめぐみと祝福のみわざや、はじめに考えていたことどおりにできたか、できなかったことは何か、それを担当した者が報告をするのです。牧師の働き、長老、執事の働き、教会学校(ラミークラブ)、セルグループ、聖歌隊、賛美グループ、ベイタウン・ゴスペルグループ、会計報告など、さまざまな活動を面倒がらずに時間を取って報告します。

パウロたちの報告は、主が異邦人に宣教の門戸を開いてくださったという事実が浮き彫りになりました。これは第一次伝道旅行の結論ともいうべきことでした。

各方面にわたる主の恵みを数えることは、自己満足のためではなく、成し遂げさせてくださった教会の主を賛美するためです。

 

結び)主が新年度もまた、みからだなる教会を愛して、さらに栄光を表してくあることを信じつつ、ともに宣教のわざに励みたいと存じます。

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