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2010年5月16日 使徒の働き18:18~23  招詞 ピリピ 4:8〜9 [みこころなら]

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2010年5月16日 使徒の働き18:18~23  招詞 ピリピ 4:8〜9

[みこころなら]

序文)使徒パウロがシラスを連れてスタートした第二次伝道旅行は、コリントにおける一年六ヶ月という長い滞在で終結しました。今朝の聖書箇所は出発地アンテオケ教会への帰り道と、途中で彼が髪の毛を剃ったこと(誓願について)、またエペソでの短期間滞在、帰りついてすぐに始められた第三次伝道旅行のスタートなどが、何気なく記されております。順次見て参りましょう。

Ⅰ 誓願について

アンテオケへの帰り道、誓願していたことのために髪の毛を剃ったこと

パウロはコリントを離れてアンテオケに帰るために出帆します。同行者としてプリスキラとアクラがいました。ずーっと一緒にいたテモテとシラスはコリントに残っていたのか、それとも一緒にエペソに来たのか、あるいわテモテはルステラに、シラスはエルサレムに帰ったのかは、よくわからないのです。何も言われていないからです。

ケンクレアという港で、使徒パウロはかねてから立てていた誓願のために、いままで剃っていなかった髪の毛を剃りました。何のために誓願していたのかわかりません。コリント伝道で、ある目的を持っていて、自分を主にささげ聖別して、その誓願の期間中、髪を伸ばしておいた。髪の毛を剃ったのは、誓願の期間が終了した事を示しています。パウロは当時のユダヤ人の間で行われていた、生活様式を信仰的な決断の表現として用いて、ユダヤ人にわかりやすいようにあかしをしたのかもしれません。それによって福音の真理がゆがめられたりはしなかったのです。

誓願を立てることについて、私たちのウェストミンスター信仰告白は22章にその項目があります。「合法的宣誓と誓願について」。「宣誓」は、式文でよく「誓約」として私たちが、神を証人として、人と人の間に立てることなどをさします。先日、長老任職式の時に、長老の誓約と信徒の誓約をしましたが、あれですね。結婚式のときの誓約などはその典型です。これらは約束的宣誓といいます。誓願について告白にしたがって少し説明をしましょう。

ウェストミンスター信仰告白22章第五項「誓願は、約束的宣誓と同じ性質のものであり、同じ宗教的注意をもってなし、同じ忠実さをもって履行すべきである。」

六項「誓願は、どのような被造物に対してもなすべきではなく、神にのみなすべきである。そして誓願が受け入れられるためには、自発的に、信仰と義務の良心とから、受けたあわれみに対しあるいはわたしたちの必要を得たことに対する感謝として、なすべきである。それによってわたしたちは、しなければならない義務や、適切にその助けとなる限り他の事柄を、一層厳密に果たすことを誓うのである。」

七項「だれでも、神のみ言葉が禁じているどのようなことをも、あるいはそれが命じているどのような義務を妨げるようになることをも、あるいは自分の力の中になく、その履行のために神から約束や能力を得ていないことを、果たすと誓ってはならない。これらの点において、終生の独身、公約した貧困、修道規則への服従という教皇主義者の修道誓願は、より高い完全の度合であるどころか、迷信的な罪深いわなである。キリスト者はだれもこのことにかかわり合うべきでない。」

約束的宣誓は、神を証人として、人と人とが約束をするが、誓願は、神と人との間でなされる約束的宣誓である。

パウロは誓願にしたがってケンクレヤで髭をそった(使徒18:18)。

詩篇76:11「あなたがたの神、主に、誓いを立て、それを果たせ。」

誓願は主として、特定な恩恵に対する感謝の表明の一種である。即座に感謝献金をするのでなく、一定の期間の予約を申し出るようなものである。もちろん、教会を相手とすることではなく、神への誓いである。従って、普通の場合以上に約束に反することは許されない。

ローマ・カトリック教会の修道誓願がここでは問題になっている。カルヴァンは此の問題を「網要」の第四篇13章で徹底的に論じて、その偽善性、迷信性を指摘している。修道誓願が彼らが言っているように「より高い完全の度合」であるどころか、「迷信的な罪深いわなであるか」を告白は示している。ここでどういう誓願が罪であるかを教えている。終生の独身、公約した貧困、修道規則への服従等の誓願は、創造の秩序にも、罪ある人間性にも、無理な事柄である。

 

誓願は非常に特別なことである。しかし、ここで求められている態度は、クリスチャンの日常生活で責任ある、真実な生き方、神に対する感謝より生じる献身的な生き方と同じである。いつでも何処でも守られなければならない態度である。

 

Ⅱ エペソ到着

パウロはエペソに寄港しました。さきにエペソに伝道することを禁じられて、そのためにヨーロッパに福音が広がり、マケドニアとアカヤに伝道戦線が拡大しました。その帰り道エペソに寄って、伝道の小手調べをしたのです。会堂に入ってユダヤ人と論じました。ユダヤ人たちは歓迎してもっと長くとどまるようにと依頼しました。ところがパウロは、意外にもそれを聞き入れないで「神のみこころならば、また、あなた方の所にかえってきます」といって別れを告げました。実はこのときプリスキラとアクラをエペソに残しているのです。パウロが何故せっかく開かれたエペソ伝道の絶好の機会を、そのままにしてエルサレムに急いだのかわからないのです。しかし、彼の確信は「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰ってきます。」でありました。

彼はエペソに留まるよりも、カイザリアに上陸し、エルサレムに上り、教会に挨拶をしてから、アンテオケに帰る事がみこころと信じていたのです。

パウロが「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰ってきます。」と言ったのは、その場限りの言い逃れのように「みこころなら」と言ったのではありません。それは、あの誓願に対する態度からも伺いしれるのです。日常生活で責任ある、真実な生き方、神にたいする感謝より生じる献身的な生き方を進めているのですから、真実な姿勢で語ったのです。パウロに対する聖霊の導きは、エペソのユダヤ人たちの歓迎のしるしにもかかわらず、エルサレムに向かわせるだけのはっきりとしたことだったのでしょう。自分の事柄を優先して、せっかく歓迎されているのだから、エペソの続いて留まるとしませんでした。「みこころなら帰ってきます。」といって聖霊に導きに従いました。事実、後になって第三次伝道旅行でエペソにパウロは来て3年間も伝道することとなりました。

 

理由がいろいろと取りざたされています。エルサレム神殿の祭りに間に合うように行くことで、世界各地から集まってくる人々に伝道し、福音の広がりをあかしするチャンスとなる、とか、誓願の儀式を完成させるために、神殿の祭司に会う必要があったとか、第二次伝道旅行の結果を報告する(アカンタビィリティー)こととか、エルサレムの貧しい聖徒たちに各地の教会から与った支援献金を早く届けること、などなど。聖徒の交わりと支援が、今は、必要であるというのが、神のみこころであると信じていた。

いずれにしても、パウロにとって、現在、神のみこころはエルサレムに上ることであり、自分を遣わしたアンテオケに帰ることでありました。

パウロの生活態度は神の導きにたいする真実さで一貫していました。その時、一番するべきことはなにかについて、神のみこころをもとめつつ、進みもし、退きもしたのです。

 

Ⅲ 第三次伝道旅行に出発

23節 アンテオケに帰ったパウロは、宣教報告をしてから、しばらくして、また、出発しました。アンテオケは十分成長した教会であり、彼が留まる必要はなかったのです。彼は「ガラテヤ地方、フルギヤ地方を次々と巡って、すべての弟子たちを力づけました。」著者ルカはこの間の出来事を、大いに省いてしまって、読者に大急ぎで事が運ばれたかのような印象を与えています。

23節から19:1までのエペソ到着まで、距離にして2400KMぐらいの旅行が在った。先の伝道旅行で尋ねた町々を巡り、諸教会を励ましつつも、この間の働きについては、何も述べられていません。ただひたすらエペソに向かったパウロの姿がしるされています。

 

結び)主のみこころに生きることをねがって進む、聖徒たちのために。神はその真実を喜び、感謝を受け入れ、さらに明らかに聖霊によってみことばと、摂理を通して、みこころを示し、そのために用いられることを確信できます。

前向きの「神のみこころなら」ということばを、祈りを、私たちもパウロに見習って用いられる信仰を与えられたいと願いもとめます。

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