コメントはまだありません

2010年6月6日 使徒の働き19:8〜20 「以前は暗やみ、今は光」

100606_001.mp3

2010年6月6日 使徒の働き19:8〜20  招詞エペソ5:8〜9

「以前は暗やみ、今は光」

序文)使徒パウロはエペソの教会に手紙を送って「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。—-光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。」(5:8〜9)と書いています。先回から、エペソ伝道の記事を学んでいます。今朝は、エペソに満ちていた暗やみのわざと、パウロの戦いぶり、主イエスさまが勝ち取られた徹底した勝利の様子に心を向け、わたしたちにも与えられている主イエスの福音の光を再確認いたしましょう。

Ⅰ 伝道するパウロ

1 使徒パウロはエペソの町でも、他のところでするように、まずユダヤ人の会堂に入って伝道しました。前回立ち寄って時にユダヤ人たちはもっと留まって福音を聞かせてほしいと言っていたのですから、ごく自然に「神の国」について、彼は三ヶ月のあいだ、大胆に語り続けました。メシヤであるイエスによって神の国が近づいたことを宣べ伝えました。しかし三ヶ月経って、いつものお定りのことがおこりました。心をかたくなにして聞き入れない者たちが、この道をあしざまにののしった。パウロは、説教を続けてゆける状況でないと判断して、身を引き会堂を捨てて、弟子たちとともにツラノの講堂で働きを継続しました。

2 ツラノとは、人の名前です。彼自身が講堂を使わない時間帯に、パウロは借りる事ができて、毎日伝道をしました。ある写本によるとパウロが使用したのは、午前11時から午後4時と書かれています。ツラノは朝早く講義をしていたと考えられます。ギリシャの植民都市では、朝11時にあらゆる仕事が活動をやめ、午後遅くなると再開しました。それは苦しく熱い時間帯で、体がだるくて仕事にならなかったので、皆が休息を取る時間でした。昼寝の時間帯は、他の人が借りる事ができたのです。パウロは朝早くから、天幕造りの労働で汗を流し、11時になるとこの講堂で伝道をしました。さぞ心身疲れがたまったことと推察します。しかし、伝道への熱心と精力は、聞いている者たちを同じ勢いに引き入れて、多くの者たちがパウロの話を聞くために昼寝の時間を犠牲にして集まってきたのでした。それが毎日二年間も続いたのでした。

3 その結果、福音は「アジアに住む者はみな、ユダヤ人もギリシャ人も主のことばを聞いた」と言われるほどに広まりました。パウロはエペソに留まっていましたが、ツラノの講堂が福音伝道センターの役割をして、そこから弟子たち、信徒たちがエペソ周辺都市に福音を伝え、様々な地方から人々がエペソに来たことにより、ペウロの説教を聞き、信仰に導かれた者たちが増え、その彼らが自分の町に帰っていって、聞いて信じた福音を家族や友人や知人に伝えた。弟子の中で、コロサイの町にはエパフラスが遣わされ、ラオデキヤにも弟子たちが遣わされました。諸教会は、この期間に立てられていった。アジアにある七つの都市の教会も、この時期に立てられていったのではないかと考えられます。集中伝道が行われた。私たちの役割は、主イエス・キリストが、ご用意くださった福音を持ち運ぶ器となって運ぶ事です。これらを用いて主は選びの人々を救われるのです。それは聖霊なる神様のお働きによるのです。

この際、大事なのはペウロたちのように伝道の視野を広く見上げることです。交通機関の発達と通信手段の発達の発達、人物往来の激しさを考えますと、海浜幕張めぐみ教会の働きの広がりは、この地域に福音をみたすとともに、キリストの弟子たちの移動に伴い、ここを拠点として広くあってよいのです。

 

Ⅱ エペソ伝道の特色

1 さて、「使徒の働き」の著者ルカが、エペソ伝道の特色として記している事は、悪霊や魔術や悪魔崇拝との激しい戦いです。神の国が目覚ましく進展するときは、抵抗も激しいのです。そこで神様ご自身が力を顕著に表され、普段滅多におこらない奇跡を次々と示されました。それは使徒「パウロが身につけていた手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。」ことです。この驚くべき奇跡はパウロがしたというよりは「神はパウロの手によって驚くべき奇跡を行われた。」と注意深く書かれているとおりでした。神がなさったわざだったのです。パウロが天幕つくりをするときに使っていた汗ふきタオルや前掛けが用いられたのでした。神の力が発揮されたわざでした。

2 ルカはこれらのことがらが、神のわざであることを理解させるために、一つの出来事を紹介しています。当時、ユダヤ人の巡回魔除け祈祷師たちが、プロの用いた主イエスの名が、悪霊を追い出す大きな力があることが分かったので、自分たちも利用しようとしました。悪魔払いの祈祷師たちは諸国を巡回しているさすらいのユダヤ人たちが多かったのです。古代からユダヤ人たちは特別に有力な呪文を用いると思われていて、他の祈祷師たちから尊敬を受けていたのでした。イスラエルの神の名はとくに一般大衆が口にしてはならない名であることが異邦人に知れ渡っていました。ユダヤ人祈祷師たちは、神の名を呪文として用いていたものがいたことが、考古学で発見されたパピルス文書に書かれています。

3 もちろん、これらの行為は、旧約聖書において、十戒のなかで、神が「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないではおかないであろう。」と戒められていることに真っ向から違反することでした。神様のみ名は、聖く敬虔にもちいなければなりません。主イエス様が「わたしの名によって祈りなさい」と命じておられます。神礼拝と交わりにおいて敬虔に感謝をこめて用いる事は祝福となります。しかし不敬虔に汚らわしく、迷信的に用い、呪文としてや、罪深い欲望と習慣のために、誤って用いる事を禁じられました。魔術の道具として利用する罪を警告しています。罰しないではおかない、と神様が見逃されることはない。強い警告です。(ウェストミンスター大教理問答112〜114問)

4 ユダヤ人で祭司長とここに記されているスケワという者の息子たち7人も、イエスの名を用いて、悪霊に憑かれている者に向かって追い出そうと試みた。祭司長というのが本当にそうであったのか、こけおどしで、呪いをするときに権威づけるために用いていたのかはわかりません。祭司長じゃ「口にできない名」を発音していそうな存在であるから、自称して、之を利用した可能性がたかいのです。

5 結果は悲惨でした。15〜16節。悪霊はイエス・キリストを知っている。信仰者であるペウロを知っている。もちろん主イエスを信じている、私たちを知っている。わたしたちが救い主イエスの名前で祈り、主イエスの名において生かされており、神の子とされた特権に与っている存在であることを知っている。だから、恐れる事はありません。かしらである主イエスによって守られ、勝利を得ているのですから。しかし、スケワたちは信じているわけではありません。主イエスの名を用いる権利はありません。悪霊は、彼らを散々な目に遭わせたので、彼らは命からがら逃げ出しました。

このことがエペソに住むユダヤ人とギリシャ人の全部に知れ渡り、彼らは恐れを感じたのでした。主イエスの御名をあがめるようになりました。

 

Ⅲ エペソ伝道が信じた者たちにもたらした変化

1 主イエスの福音は闇の中に歩む者たちに光を照らし、永遠のいのちの恵みに与らせるだけではなく、神の圧倒的な支配の御手に包んでいてくださる。悪霊でさえ、もはや主イエスのいのちに結びついている者たちに、何もできない。キリストから引き離す事はできないのです。私たちはそのような者として、神の前にどのように生活を続けたらよいのでしょうか。

2 エペソのクリスチャンたちは、18〜20節にあるように、隠れた闇のわざをさらけだして告白し、魔術ときっぱり手を切り、罪の痕跡をぬぐい去り、偶像に通じるすべてを焼き捨てました。自分自身と地域社会の迷信的な生活に致命的な打撃を与えたのでした。多くの憎むべき罪からきっぱりと離れたのでした。神のお働きをみて、外科手術を自分自身の生活態度にしたのでした。お守りや、安全祈願のお札、大安吉日、仏滅などにこだわり、仏画、偶像に結びつき、悪霊崇拝となるいっさいの痕跡にきっぱりと手をきることです。あなたにとって闇のわざであったことをきっぱりと切る事により、悔い改めの実を示して、福音の光にいる神の子としての生活を、隅々に整えてゆくならば、その幸い、祝福が神からどれほど注がれる事でしょうか。恵みを施して千代にいたると、神は約束しておられます。

3 エペソ5:8〜21「 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。 —-光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。—-そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。

実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」

そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。

ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。」

 

結び)おひとり一人の上に神の力とめぐみが鮮やかに表され「こうして主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った」とある恵みを味わうことができますように祈りましょう。

コメントを投稿