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2010年7月11日 使徒の働き20:28〜38 「神の教会」

2010年7月11日 使徒の働き20:28〜38  招詞

「神の教会」

序文)パウロがミレトの港でエペソの長老たちにした決別説教を先週に続いてまなびましょう。先にパウロは働きの回想から、どのような中で仕えたか、その謙遜、涙、試練の中での忍耐などを述べています。今また危険を承知でエルサレムに行こうとしているその心境を話しました。エペソの長老たちにどのように仕えるかの模範を示したのでした。今朝の箇所には、将来についての注意事項と勧告があります。その中に教会が何であるか、長老たちはどのよう任務を託されているか、どのような注意が必要か、そのはたらきを続ける根本的な心構えが教えられています。

 

Ⅰ 28~31節

1 教会は何であるか?

パウロは、教会の事を神がご自身の血を持って買い取られた「神の教会」といっております。買い取るとは、別のことばでは、贖うこと、身請けすることをさします。身代金を払うことによって釈放してもらうことです。

私たちの罪が、私たちを引き入れた束縛から、解放して自由をいただくために贖い買い取るということが行われました。それは律法ののろいからの解放のためであり、律法遵守という行いによって救われるという、私たちにとって不可能な救いの方法からの解放であり、また、罪の奴隷状態からの買い取りであります。それはキリストがご自身「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」(マルコ10:45)。といわれたことによっても明らかにしておられるのです。ですから、ここで「ご自身の血」とはもちろん霊で在られる神には身体がないので、血が流されているはずはありませんから、ご自身が地上に人としておつかわしになった御子イエスの血です。十字架の上で流された「血」をさします。かけがえのないひとり子の血を身代金として支払って買い取ると言うことは、私たち贖われた教会に対する、神の計り知れない愛の現れであります。教会の所有権は血をもって買い取られた神にあります。決して伝道を開始した人や、宣教団体のものではありません。あくまでも「神の教会」なのです。それで聖霊は、み父とみ子によって買い取られた教会をしっかりと立て上げるために、働かれているのです。その働かれかたは、この世から、信じる者を呼び出し、召し集める事から始まり、それぞれの信仰を成長させ、キリストの身体にふさわしく整えることにまで及びます。また、終わりの日に完成させるまで責任をもって支え、みちびかれるのです。

そのために、聖霊は地上の教会に特定の職務を負う者たちを立てて、運営をまかされ、からだなる教会の組織体・有機体としての特性を生かすことをはかられたのです。

2 その特定の職務の一つが長老です。又、執事です。教師です。牧師です。聖霊がお立てになったのです。(エペソ4:11,使徒20:17と28,テモテ第一3:8〜13。)小会、中会、信徒総会などで、それぞれの職務に従って人が選挙します。その背後で聖霊が働いてお立てになったのです。それで立てられた者たちは、神に対して職務を行う責任と、権限を委託されています。導きを祈り求めつつ、忠実に果たすように心配りをしなければなりません。パウロがここでエペソの長老方を「群れの監督」と呼んでいます。監督ということばの意味は「上から見ている者」というのです。良く見ていて、面倒を見る者、羊飼いが羊を見るように面倒をみるのです。群れの安全を守るために、見張り人としての役割と、群れを養う牧会者の役割があります。エペソの教会にいつから牧師が立てられたのか、分かりませんが、少なくともパウロがミレトの港に長老たちを呼んだときは、まだいなかったのです。長老たちだけだったのです。現代の全時間奉仕者としての牧師が登場するまで、長老が群れ全体の牧師、監督者であったのです。それで、「自分自身と群れの全体に気を配りなさい」といわれているのです。それはきょうかいのかしらで主人であるイエス・キリストを愛する故に託された務めです。ペテロは復活の主から「わたしをあいしますか」と三度も問われて「はい」とこたえました。そのとき「わたしの羊を飼いなさい」と職務を託されました。悩む者を慰め,誤った者を正し、群れを養う務めが長老たちに務めである。それは牧師の働きと重複する部分があるのです。

3 さてそのようなつとめを果たそうとするならば、「自分自身に気をつけなければ」なりません。教会を見守り、治め、牧会してゆこうとするなら、自分自身が養われていなければなりません。みことばと恵みによって養なわれていなければなりません。教会の指導や会員の信仰上の世話をする内に、自分自身の必要を忘れてしまいやすくなります。自分もまた、主ご自身から養って頂かなければなりません。いのりにおいて自分の必要を祈るのでなければ、恵みを受け取る筋道が切れてしまいます。このような背景をもとに、日本長老教会政治規準第一部35〜37条が作成されました。以下にある通りです。

長老は牧師と共同して長老職にあたる。長老は各個教会において聖徒の群れの

指導者として選ばれ、按手をもって信徒長老の職を任ぜられる。長老はおもな務

めとして、牧師と共に教会を治め、教会訓練を行い、教会会議を構成する。

 長老は牧師と共に教会のかしらであるキリストに責任を負いつつ、みずからを選

んだ群れ全体に対して責任を負う。「よく指導の任にあたっている長老」は群れの

中で尊敬を受けるに値する。

 群れの指導者として長老は、その信仰生活において、みずからの群れの模範と

なるのみならず、群れの霊的成長と健全さのため、祈り、奉仕、学習、宣教、集会

に率先して励み、教会訓練を行うにたる信仰者としての賜物を有する者である。

どのようにやしない、注意し、見守るのでしょうか。「凶暴な狼が」外から入り込まないように注意する。誤った異端を道混む者を防ぎ、間違った説教をする者を立てたりしないこと・また、「あなたがたの中からも、いろいろ曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たち」から防ぐことです。分派的な行動をする者、主イエスのたとえばなしと会わせるなら、それは「羊」ではなく「山羊」でありますが、そのような存在によって教会がかき回され、破壊されないようにしなければなりません。

それとともに、教会の「弱い者を助ける」ことと、貧しい者を省みて「受けるよりも与える方が幸いである」といわれたことばを思い出し、実行するように。パウロは自分の働きを見本として提示しています。

Ⅱ 神と恵みのことばにゆだねる

さてこれらすべてのことの基礎として、わたしたちがいつも大切にするべき事は、何でしょうか?それは「神ご自身と恵みのことば」であります。

1「みことばに、あなた方を育成することができる」のです。パウロがエペソにいたとき「神の計画の全体を、余すところなく知らせておいた。」と語り、また、「神とみことばに、あなたがたをゆだねる」と語っています。教会を立て上げる力はみことばにあります。めぐみのことばにです。みことばの働きは多種多様です。どのような時代においても、真実の神が廃れることのないみことばを与えてくださっているのです。それらは、成就しており、成就しつつあるのです。自分の養いとして受け取る者を強めます。他の人々を満たします。教会を整えます。召された召しにふさわしく果たさせます。さらに伝えられるときには信じる者の心を照らし、救いに導きます。神の計画の全体は、私たちの日々と深く関わっていることを悟らせます。惑わす者から守ります。弱い者が強い者に変えられます。生まれつきの肉の思いが強く、霊的な真理を拒否しないまでも、無視したり、受け入れないでいるようなとき、聖霊が悔い改めに導かれる力によって

再出発を信仰生活に促します。その結果として、ついに御国を継がせます。神の国は、クリスチャン全員にキリストと共に継ぐべきこととして用意されています。「御国がなりますように」という祈りは、みことばを受け入れて力を自分に適用させていただくことにより、自分に成就します。

2 そして、「神にゆだねる」は、あらゆることにまさって、根本的な姿勢です。私たちが思うこと、できること、進める事、見守ること、はなすこと、理解することは、いつでもわずかです。しかし、教会の主は、そのからだを一番深く愛し支え守りはぐくまれるのです。神の御手にゆだねることは信頼と敬虔のあらわれです。無責任に言っているのではありません。みことばを示しても受け入れないようなかたくなさ、逆らい続ける不信仰があったとき、神ご自身が聖霊によって直接働いてくださいと祈るのはゆだねることです。予想がつかないような危険に対して、神にゆだねるのも、信頼です。それだけではなく、自分たちができていると思っている任務においても、それがわずかであり、間違いやすいということを謙虚に認めつつ、その導きと育成と結果をゆだねるのも、しもべとしての分限です。

教会の所有者である神様は、その群れの最善を常にはかりたもう方であり、すべてを益として栄光に結びつけてくださるかただからです。

 

結び) パウロはなし終わって、長老方とともに皆、ひざまづいて祈りました。特に地上での最後の別れであることを、一同は感じ取っていました。まさに、この祈りにおいて、群れは「神と恵みのことばにゆだねられました。」エペソの教会が、ののちさらに成長し、パウロもいよいよその生涯の最後をローマの獄中ですごしていたき、エペソ人への手紙が書かれました。パウロは後々までもエペソの教会を手紙により指導したのです。

第一種地区教会を設立して、一ヶ月はすぎました。定例小会会議が発進しました。一同ますます、神の教会の一員とされた幸いを喜び、特にその長老として立てられている光栄に留意して、さらにしもべとして、みことばを分かち合い、共にする祈りを分かち合い、群れの模範たりうるようにと励み、聖霊の力強い支えと100%の内住を信じて仕え続けましょう。

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