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2010年9月5日 使徒の働き26:1〜32「パウロ、王に伝道」

2010年9月5日 使徒の働き26:1〜32

「パウロ、王に伝道」

序文)使徒パウロがアグリッパの前で弁明している内容と彼らの反応を今朝まなびます。「使徒の働き」で、パウロの弁明を著者ルカが記している中で最後の、しかし一番長い記事です。パウロを召された主イエス様は、彼に「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」(使徒9:15〜16)と言われました。パウロの第一回、第二回、第三回伝道旅行の記事で、イエスの名のための宣教の苦しみが縷々つづらてきました。福音の弁明については、主要な記事は、18章ギリシャのアテネでの異邦人伝道の説教と反応の記録、22章イスラエルの人々(暴徒)にたいして、23章ユダヤ議会と大祭司にたいして、24章ローマの総督にたいして、そして今朝の箇所では、王たちのまえで、主イエス様の福音を説いています。

 

Ⅰ パウロ、アグリッパの前に喜んで弁明する

1 アグリッパへの挨拶 2〜3節 パウロは手を差し伸べて弁明し始めた。パウロは29節によると鎖にしばられていたのですが、両手の鎖は、ゆるゆるで相当自由に動かすことができたと考えられます。「手を差し伸べた」のですから。この動作は、当時の雄弁術の作法にかなっているのです。王様の前で堂々としています。前のいろいろの例と違っていました。反対者たちの大騒ぎの中、懸命に必死で説得するように語る必要は無かったのです。真実に王様に個人伝道をするような心つもりで、主イエスさまのことを熱心に説いています。聞き手が静かに関心をもって注意深く聞こうとしているのです。パウロは喜んでいます。

しかもアグリッパは、ユダヤ教について相当深い知識をもっており、彼は大祭司任命権限も持っていたのです。「精通し」というのはおべっかを言っているのではなく、その通りとパウロが認めていたのです。その前提で伝道を試みているのです。「忍耐をもってお聞きくださるよう、お願いいたします。」とは、パウロが相当長く話すつもりであったので、前もって要請しているのです。

2 パウロ自己紹介 パリサイ人だった 4〜8節

王様に知っていただきたい第一のことは、自分は、ユダヤ人として育ち、「最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活してまいりました。」規律正しく生活していた。彼と同じ場所、時代の人々はみな自分の事を良く知っています。証言しようとすれば,十分できるはずです。

しかし、今、私は彼らも同じように持っている信仰上の希望について裁判を受けています。不思議なことです。神が先祖たちに約束されたものを待ち望んでいることについてです。神が旧約聖書に記されている、「約束と預言」を成就されると期待する信仰は、ユダヤ人たちも持っているのです。ここで問題は、復活信仰についてです。パリサイ人は全人類の復活を信じています。しかしパウロの復活信仰について疑問を呈しているのです。

パウロは「神が死者をよみがえらせる」ということについてです。と問題の焦点をしぼって弁明しようとしています。特別に「イエスの復活という事実」を証明しようとしている。

そのためには、自分も以前は、彼らと同じように考えていたと告白せざるをえなかったのです。(9〜12節)

Ⅱ 復活の主イエスに出会った 13〜18節

1 ダマスコ途上で、復活の主に出会ったことの、説明が、之までと違った焦点をしぼった説明になっています。ダマスコの町の中のアナニアとの出会いなどは全部省略されており、その内容が、ここで披瀝してある。長々と説明しないで、伝えたい事柄への最短距離を話して、短縮をはかっている。それは、主から直接受けた使命についてです。「起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現われたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現われて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」(16〜18節)

2 使命:パウロが見た事とは復活の主の幻、これから見る事とは,将来見る事になる幻(18:9〜10、22:17〜21、23:11、これらは既に学びました。第二コリント12:1〜4、7)についてです。それらに基づいて奉仕者、証人となる。ユダヤ人と異邦人の所に、遣わさす。

3 人々の目を開かせる。暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせる。復活の主イエスの存在を信じ受け入れるときに、

救われる人々に起こることがらが伝えられている。主イエスが、パウロを用いて、人々の霊的な目を開かれる。人生に復活のイエスが入ってこられる。「わたしは世のひかりである」といわれた,主イエスが、罪の暗やみに伏し、もがいている者たちに、いのちのひかりを照らしてくださる。罪とサタンの束縛に囚われの身になっていた者たちを赦し解放して、神の支配の中に入れてくださる。神の支配、国の民となる。御国を受け継ぐ者となる。

4 天からの啓示にそむかず 19〜23節

主イエスから受けた使命は、「天からの啓示であった。」「啓示」は、わたしたちに分からない神についての真理を、神の側から、ご自分を私たちに「ひろく示す」ことです。神様からの一方通行の行為です。その中心は「主イエス・キリスト」です。復活の主イエスはパウロに見えていなかった、生きておられる主イエスの現臨を見せ、使命までも与えられた。彼は之を聞いて,使命に背くことなく歩みを進めてきた。

 

Ⅲ フェスト、アグリッパ王の応答

アグリッパ王様、天からの啓示を受けた私が勧めます。主イエスの福音を信じて、あなたも背く事が無いようにしてください。悔い改めて救いにあずかってください。

ここで突然フェストが口を挟みました。「フェストが大声で、「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている。」と言った。 するとパウロは次のように言った。「フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。

パウロの博識を認めていたフェストが、その博学が彼を混乱させ気を狂わせたと思った。彼はパウロの言う事を全く理解できなかった。これに対してパウロは単純にそうではないと打ち消しただけである。むしろ王様に攻勢をかけている。

パウロが伝えている真理は世界の片隅で起こったことがらではなく、ローマ世界公然の事実である。キリストの生涯と十字架と死と葬りは一般にしられている。復活に関しては十分証明がある。それも目撃証言であう。パウロ自身にも現れてくださったのだ。

アグリッパ王様、あなたはおわかりでしょう。パウロが今まで縷々述べた事柄を裏付けることが王様にはできた。預言者のことば

を知っているからだ。王様が真にユダヤ教について信じているのなら、メシア到来についての預言者のことばを受け入れているでしょう、と聞いた。

ここでアグリッパはパウロのことばにのせられて信じているといえば、キリスト教の片棒を担がせられると気づいた。そう答えると、パウロは続いて、ではメシァはイエスでしょう、と来るなと思った。これはますますやばいことになる。「あなたはわずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている。」と応じた。これはあきらかにパウロの仕掛けた論理的な必然から逃れようとした答えである。

会談は終了した。パウロの無罪であることがますます明らかになった。

 

結び)人がクリスチャンになるのは、ことば数の多い少ないではない。歴史的公然の事実を素直に認めるかどうか、神様の主イエス様を通して示された救いの愛と、そのための完全な成し遂げられた赦しの道を受け入れるかどうかで決まる。もしそうでなければ、相変わらず「とげのついた棒をけりつづけ」、人生の痛みを最後まで経験し、死んでのちの裁きに直面することになる。

聖書に啓示されている救いの真理を認めて心にうけいれることこそ、アグリッパの道を避けて、神の民とされる最短距離である。

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