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2010年9月12日 使徒の働き27:1〜44「パウロと同船して」

2010年9月12日 使徒の働き27:1〜44

「パウロと同船して」

序文)使徒パウロはいよいよローマに向かって護送されることになりました。主イエス様がエルサレムでパウロに,幻の中で預言して励まされたように、物事が動き出しました。

 

Ⅰ 出船

1節に「私たちが船でイタリアへ行くことが決まった時」とあります。この時から医者のルカが,再び登場し、ローマにつくまで、同行取材記者として,彼の目でみた事柄を詳しく書いています。また当然航海中、医者としてパウロの面倒をみたのです。さらにテサロニケのマケドニア人アリスタルコも同行する事となりました。パウロの研究家である聖書学者ラムゼイは、二人はパウロの奴隷として登録されて、囚人護送の旅の一員となる事が許されたのではないかと考えています。他の囚人たちは、死刑と刑罰が決まっていてローマの円形劇場で動物と戦うために護送されているが、彼らと違ってパウロは,ローマ市民権を持ち皇帝に上訴した囚人として、しかも、二人の奴隷を従えたものとして船に乗る事となりました。それで、護送責任者で皇帝直属の百人隊長であるユリアスは、パウロに一目も二目もおいて親切に取り扱ったし、後には、パウロが同船している者たちの指揮官のような位置に立つ事を許したほどでした。

相当の人数が、最初にアドラミテオの船に乗船した。ローマへの直行便は無く、どのような船も便乗して乗り継ぎをしながらローマを目指して行くこととなった。カイザリヤから出航して、シドンに寄港した。そこで、パウロたちはシドンの教会の兄弟姉妹たちを訪問する事が許され盛んな交わりを楽しんだ。そこからさらに進んで,キプロスの島影を航行して、ルキヤのミラに入港した。

ここは、ローマとエジプトとの間を往復する穀物船団の立ち寄る主要港に一つであった。その船団でローマに行く船が丁度停泊していた。それはローマの重要な貿易相手アレキサンドリアからの船で、船主はローマとの間に特別の許可をえて政府の代理人のような力をあたえられていた。その船にユリアスはパウロたちと囚人一行を移した。このため、この船には総員276名が乗った事になった。大きな穀物船として、おそらくは長さ42メートル、幅10.8メートル,喫水9.9メートルあったと考えられている。しかし重大な欠陥は嵐に弱いことである。船首も船尾も同じように造られており、近代の船のような舵もなく,船尾の下から両側に突き出た大きな水かきで、舵を取っていた。マストは中央にあり、そこに四角の帆が張られていた。このような帆で大嵐の中を航行する事は困難で船がバラバラになる危険性は大変大きかった。進む速度は遅く、クニドの沖についたが逆風に遮られて進む事ができなくなった。サルモネの沖につき、クレテの島影を航行して、「良い港」と呼ばれるところにようやくついた。

問題は、これ以上、航海を続けるかどうかを考えなければならない。なぜなら断食の季節がすぎていた。もう航海は危険である。断食と危険が結びついているのは、航行するには、季節外れになったという事であろう。「これは贖罪の日の断食で、レビ記16章に規定され、第7月の10日、今の暦では9月から10月頃になる。この年は断食の時期が遅く、10月の終わり頃だったらしい。

季節の変わり目が来てしまった。この時を過ぎると、風向きが逆になり、西北の風になる。聖書に親しんだ人なら知っているが、冬に近づくと地中海からの風がパレスチナの陸地に吹き込み、雨を降らせ、種蒔きの時期になる。海ではイタリア行きの交通は逆風で危険になるから休む。冬を越してからでないと、西向きの航海は出来ない。」(渡邉信夫牧師)

パウロは、航海の専門家ではない。しかし、彼は経験者である。船で地中海を航海し過去に既に三度も難船を味わい、一昼夜、海に漂っていたこともある。航海の危険については経験豊富である。彼は提案し「積み荷も船体も私たちの生命も危害と損失を被る」と発言した。しかし、ローマの百人隊長は、船長、航海士たち専門家の意見を採用した。パウロの声よりも、大多数の声に従った。クレテの港ピニクスまで行く事とした。常に専門家の声が正しいとは限らない、時に間違う事もある。パウロ以上の経験者として声をだしていた多数がいた。

丁度おりから、穏やかに南風が吹いてきた。このピニクス行きの計画はすぐにも果たせそうに思えた。それっ、と船出した。ところが,間もなく北東の暴風が一行に襲いかかった。ユーラクロンと言った。クレテの山々は2千メートルの高さに聳えており、そこから吹き下しの風となり、風に向かって船を進める事はできなくなったために、ただただ、風まかせに流されるだけであった。このままでは、スルテルの浅瀬か、北アフリカの流砂にまで吹き流され、多くの船と同じように、そこを船の墓場とする事となる。人々がそこを「地中海の砂州」と呼んでいた。もはや誰が悪いなどと言っている余裕はなく,全員生命の危険にさらされた。

クラウダという小さな島の陰にはいったので、風下となり、この好きに、彼らは小舟を甲板に引き上げ、船自体に綱を巻き付けて縛り、恐ろしい風と波の力に良く耐えるようにした。また、船具を捨てて船を軽くした。さらに翌日には積み荷を捨てた。三日目には滑車などの船具も捨てた。それから太陽も星も見えない日が幾日も続いた。ルカは「私たちが助かる最後の望みも絶たれようとしていた。」と絶望的状態である事を記していた。

Ⅱ パウロ乗員全部を励ます

ここでパウロは幾日も食事もとっていない人々に「21〜26節」と言って励ました。

パウロが仕えている神はみ使いを遣わしていった。「おそれてはいけません。あなたはかならずカイザルの前に立ちます。そして神はあなたと同船している人々をみなあなたにおあたえになったのです。」他の人々やルカやアリスタルコまでが絶望している状態の中で、パウロは確信を与えられ、増し加えられ、望みを厚くしました。望みのないときに望んだのです。神がローマにもと召され、カイザルにも福音をと使命を与えられたからには、現況がどのようであれ、必ず達成される。パウロの確信の根拠は、昨夜、神のみ使いが私の前に立ってくれたから。それは彼が神の前に礼拝していたからです。人々が食事もとれず絶望していたときに、礼拝していた。主のみ旨をうかがっていたのではないでしょうか。幾日も太陽も星もみえない荒れ狂う海の中で、人々が右往左往していたときに神はたった一人の礼拝者を見つけられ、その人に事柄の成否を示されました。全員いのちは助かる。ローマにまでパウロは必ず行く。どこかに私たちは打ち上げられる。

この素晴らしい励ましは、信仰からでている。日頃仕えている神様を知っていることから来る確信でしょう。私たちは絶望状態で神様を礼拝することもしなくなります。そうするとあのヨナのように大嵐のもまれる船の底で眠り込んでしまうのです。神は他の人を用いて眠り込んだ信仰者を起こそうとされます。それでも従わなかったら,絶望から抜け出られなくなります。時に神様からすっかり離れさってしまうのです。しかし絶望状態でも主よ、と呼びかけて、礼拝しようとしているならば、神はその人にみ旨を示し、再び使命に立たせられるのです。勇気と信仰を与えて,周りの人々を立たせ励ますものとしてくださるのです。

Ⅲ 皆 無事

276人を載せた船は、嵐にもまれて漂流し、14日目を迎えた。ついにその夜水夫たちは波の様子から、どこかの陸地に近づいたように感じた。水深を測ってみると、だんだん浅くなっている。それで、どこかの暗礁に乗り上げる心配があったので、鞆の部分から四つの錨を下ろして船が流されないようにして、夜明けをまった。

ところが水夫たちは、パウロの先の励ましを信じていないようで、自分たちだけが助かろうと思って、小舟を海に下ろして逃げ出そうとした。パウロはそれを目撃して、急いで、百人隊長や兵士たちに「あの人たちが船に留まっていないとあなた方もたすかりません」といった。船を操船する水夫も小舟もなくなり、残された者たちは哀れな状態になる。パウロはすべての者のいのちは助かるといいましたが、同時にたすかるための方策はすべて尽くそうとしました。兵士たちは小舟の綱を切って捨て、小舟は流されて失われた。之は兵士たちがあわててしたための判断間違いで、後になって陸の上がるための手段を失ってしまった。とにかく危急のときに判断しなければならない立場の人々が次々と間違えてしまった。

そのような中でパウロは状況把握をしっかりとして、もはや指揮官のように語り行動していた。まず14日間も食事をしないでいたので、これから助かるために体力気力が大事になる。食事をしなさいとはげました。髪の毛一筋も失われないと再び保証した。これは単なる楽天主義ではなく、パウロの信仰であった。神に感謝して食事をした。元気回復。そのうえで船をかるくするために積み荷の麦を海に捨てた。夜が明けてマルタ島の入り江に見える砂浜に向かって、船は進んだが,浅瀬に乗り上げてしまった。激しい波のために船は後ろから壊れ始めた。

兵士たちは、囚人を皆殺してしまおうと考えた。一人も失われないというパウロに対する神の約束を信じないていた。囚人を逃がすと護送者たちは同じ刑罰を受ける事になるからで、途中、嵐で死んだと言えば自分たちは助かるからである。ところが百人隊長のユリアスはパウロに対する自分の責任を明らかに認めており、ローマ市民であり、カイザルに上訴したこの人を助けようと考え、兵士たちに勝手なまねをさせなかった。泳げるものは海に飛び込み、あるものは板に捕まり、他のものは船にある物を浮かべてつかまりして、とにかく皆、無事に陸にあがった。

ルカは読者に何を伝えたかったのでしょうか。神様が約束されたことがらは、必ず成就する。そのためには自然世界や、人間や、特に信仰者の存在を中心にすべてを益として働かせられる摂理の見事さということでしょう。みことばを信じたパウロも自分のなすべき分をはたしたということでしょう。

結び)信仰にない者たちに囲まれているパウロのように、私たちも日常生活という船旅において、いろいろの出来事にみまわれています。しかしそのおりごとに,信仰にある者として、祈りと責任と配慮は、神の約束を自分の家族に成就するために大事になります。あなたが家族の中で神様を見上げる方向に導く唯一の存在であり、主イエス様の栄光を見させていただくために中心的な存在である事を忘れてはいけません。

主イエス様は、わたしたちにかかわる約束の素晴らしさとともに,皆無事といってくださり、永遠のいのちとよみがえりの恵みを成就してくださいます。信仰の良心を保ちつつ、まだ信じていない人々のなかで、希望を保ちつづけ、それゆえにみことばに立って励まし続ける者となりましょう。

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