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2010年9月26日 使徒の働き28:11〜15「勇気づけられたパウロ」

2010年9月26日 使徒の働き28:11〜15

「勇気づけられたパウロ」

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序文)マルタ島で三ヶ月間冬を過ごしたパウロ一行は、航海の危険な季節が解除されたので、イタリア本土に向けて船出した。これに関してプリニウス と言う人が「博物誌」の中で「2月8日に西風が吹き始めると船舶の航行が再開される。」と書いている。この旅程で一気に帝国の首都ローマまで達した。

Ⅰ ついに船旅終了

パウロたちは三度船を乗り換えた。先の船は難船してマルタ島の一行は命だけは助かった。今回の船もアレキサンドリアの穀物船であった。わざわざ「船首にデオスクロイの飾りのある」と書いている。デオスクロイとは、「双子の兄弟」といってゼウス神の子カストルとポルクスのことである。航海の守護神としてあがめられ、この神々の象徴である星座「双子座」は嵐の中でも見ることができると幸運のしるしであるとされ、難船の危険がつきまとう大型船にお守りのように船首に飾られていた。この言及はとくに文脈からは意味がない説明であるがルカがパウロの同行者であったので、詳細な描写をすることでより現実味を読者に与えている。

船はシシリー島の東岸のある港シラクサに寄港した。シラクサはシシリー島の第一の都市であった。ここに三日間とどまった。そこからまっすぐ北に向かって航行して、イタリア半島の先にある「レギオン」に寄港した。レギオンは現在のレギウムである。一日風を待って、それから丁度良い南風が吹いてきたので、一気に船は速い速度で メッシナ海峡を抜けて、最終入港地ポテオリ(現在のポツオリ)にすすみ、無事到着した。ここは当時の小麦取引の主要港であった。世界各地から運ばれてきて、一大消費地首都ローマに運ばれる小麦は全部ここで降ろされ、取引されては陸路運ばれた。パウロ一行は実に苦労のおおい船旅が、ここで終わった。

Ⅱ ポテオリでキリスト者たちとの交わり

大変長く危険な船旅が終了したとき、そこにはクリスチャンたちが待っていた。一大貿易港である、ポテオリにはいろいろの民族が住んでいた。もちろんユダヤ人居住区があった。ここはかつてギリシャの植民地であった。デカイアルケイダとよばれていた。ギリシャ人、ユダヤ人、ローマ人たちがいた。エジプトの穀物をたくさん受け入れていたこともあり、町にはエジプトの偶像神の神殿があり、ここにはセラピス神殿(商業の守護神)、イシス神殿が建っていた。しかしここにもすでに福音が伝えられていて、クリスチャンたちがいた。

旅のはじまりで、シドンで兄弟たちと交わりをして以来、クリスチャンたちと出会った。しかも百人隊長の何らかの計らいで七日間も、この地に滞在することとなり、ゆっくりと主イエスにある信仰の交わりをすることができた。七日間もいたということは主日礼拝も一緒にできた可能性が大きい。いよいよ皇帝の前に行くために、パウロ一行はすばらしい霊的な準備をすることができた。

旅先の行く先々でクリスチャンたちと出会い交わりができ、礼拝を共にできることはなんと幸いなことでしょうか。丁度今朝は、私たち海浜幕張めぐみ教会を開拓伝道開始以来、長く支援し祈り短期の伝道チームを送って、助けてくださったダラスのパークシティーズ長老教会から、その責任者の長老方が来会してくださいました。彼らは中国に支援のために出かけた帰り道をよってくださったのです。礼拝後に、食事を共にして交わりと分かち合いを計画しています。

Ⅲ 首都ローマのクリスチャンたちの歓迎

パウロたちが首都に入るために陸路を進むうちに、アッピア街道ぞいの二つの宿場町アピオポロとトレス・タベルネにローマ在住のクリスチャンたちが出迎えて歓迎してくれた。アピオポロは首都からは69km(43マイル)急いで歩いて一日の距離、通常は二日間であった。トレス・タベルネは53km(33マイル)であった。ポテオリからアピオポロまでは110マイルあって歩くと3〜4日間かかった。ポテオリからローマまで歩いて5〜6日かかったと考えられる。

実はこの出来事はAD60年代初め頃に起こった。そのとき首都ローマにはすでに教会があった。パウロが「ローマ人への手紙」を書いて送ったとき、それはAD56年ごろで、コリントから書かれた。だから彼はまだローマの教会の人々に会った事がなかった。(ローマ1:8「あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられている」と書いている。)その上、彼は書簡の終わりでローマにいる知人たちの名前をたくさん上げている。ローマの教会の成り立ちは、次のようでなかったかと考えられています。かつてローマからエルサレムに行っていた者たちの中で、ペンテコステの時に聖霊が降られ、信者となった人々が帰国しました。そして彼らが福音をあかしし始めて、ローマの教会が生まれた。(使徒2:10)ローマの教会のうわさと信徒の働きが広く当時の世界に伝わり、パウロは彼らのために感謝し、祈るとともに、機会を得て、そこを訪ねたいと願っていました。しかし未だその機会を得られないでいました。丁度パウロが滞在していたコリント教会の近くのケンクレア教会の女性執事のフィベがローマに行くこととなったので、パウロはこの手紙を書いて届けてもらったのでした。16:1「ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。」だから今まさにパウロは念願のローマに着きローマのクリスチャンたちに会うこととなった。

さて、パウロたちが七日間もポテオリに滞在している内に、パウロがローマに着いたことが首都に知らされた。そこで、首都の教会のクリスチャン知人たち、教会からの公式歓迎団が二組来たのでした。ローマ人への手紙の著者パウロがやってきた。大歓迎!!もちろんパウロたちはこの歓迎を神に感謝し、本当に力づけられ、勇気付けられた。

パウロは首都ローマに教会を建てようとして来たのではなかった。皇帝にキリスト教の福音を正式に伝えようとして来た。そのために上訴という手段を使った。ユダヤ教徒の反対運動をとどめつつ、すでにローマ世界に展開しているキリスト教の正しい教説を皇帝に分かってもらい、公式に活動してよい宗教の一派として認めてもらおうとしていた。それは恐れを伴う覚悟のいる使命であった。パウロが、いよいよ首都に到着するにあたり、クリスチャンたちのこのような歓迎と交わりと祈りの支援は、勇気をあたえた。おおいに神に感謝した。

私たちは福音をあかしする際に、主にある兄弟姉妹からの大いなる祈りと支援を必要としている。主イエスはその愛の交わりの中に臨在してくださる。そしてあかしする勇気を与える。パウロが殉教をする前に  テモテ第二の手紙4:7で「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を全うしました。」と言えたのは、彼一人の勇気だけはなく、このような、いたるところのクリスチャンたちから受けた勇気づけにもよっていることがわかる。

私たちがいろいろの機会に互いに出会い祈り合うことは、信仰の勇気づけのために本当にだいじである。またおおいにこの出会いの機会を生かして励まされてまいりましょう。

結び)私たちをとおして広げられる神の国の拡大は、それぞれの分を果たしてこそ可能です。それは勇気を必要として、ビジョンを全うしようとする信仰の持続を必要とします。そのために、互いの祈りと交わりによる力つけが聖霊によって与えられる事を求めましょう。あなた方の行く先々に主はそのような信仰の仲間を起こしておいて、励ましお支えくださることを信じます。テモテ第二の手紙4:7で「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を全うしました。」

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