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2010年2月14日 使徒の働き 16章11~15節「心を開いてくださる主」

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2010年2月14日 使徒の働き 16章11~15節

    聖書の話 「心を開いてくださる主」

序文)ピリピの町に使徒パウロはシラスとテモテとルカと共に入って行った。ピリピの町は当時マケドニヤ地方第一の町として、軍事的,通商的に重要な位置を占めていた。もともとこの町は紀元前4世紀の中頃、アレキサンドロス大王の父、フィリップ2世によって近くの山の金鉱脈開発のために建てられた町でした。通商、工業に恵まれ金鉱脈が大量の金を産出したので、発展は著しく紀元前31年にローマのオクタビアヌスは支配下において都市といえるほどに拡張した。軍事植民都市「コロニア・アウグスタス・ユリア・ピリペンシス」となった。市民はローマ市民として免税と自治を含む権限を与えられた。住民はローマ人が退役軍人などの軍事関係者を中心に約半分、ギリシャ人が半分で、ユダヤ人はごく少数であった。ユダヤ人は自分たちユダヤ教の会堂を持っていなかった。ローマ色の強い都市であった。

Ⅰ ユダヤ人たちは、会堂がないので、川岸に祈り場を持って集まっていた。そこに集まったのは女子たちだけであった。その中の一人にテアテラ市の紫布の商人で神を敬うルデヤという女子がいた。彼女はアジア州のテアテラ出身でそこは染め物工業で知られた市であった。特に「紫布」の「紫」の染料は、フェニキア地方の海岸に生息する特殊な軟体動物アツキ貝の腺から分泌する液を原料としていたので、きわめて少量しか入手できず、非常に高価なものであった。王家か裕福な人々しか入手できなかった。このため「紫」は王家を象徴する色とみなされていた。

ただテアテラ市の「紫布」は、この貝の染料ではなく「あかね草の根」から取った者とも考えられている。いづれにしても高級品なので、これを専門にあつかうルデヤは相当資本を持っている裕福な女性であった。 彼女には家族はいたが、夫はいなかったようである。職業を持ちピリピに進出して商売を拡大していたのですから、行動的、積極的な性格の人でありましょう。パウロは祈り場で福音を語りました。集まった人々は、皆、旧約聖書の神を信じ敬う者たちでした。祈っていたのです。そして彼女たちは「メシヤはイエス・キリストである」との福音をパウロから聞きました。

同じ説教を聞いた人々の中で、主が心を開いてくださったルデヤ

が救いをいただきました。彼女は、ヨーロッパで最初の信徒となった。

Ⅱ 心を開いて(ディエノイクセン テン カルディアン)

同じことばは、復活の主がエマオの途上で、二人の弟子たちに連れ添って横に並んで歩きながら、復活を信じられないでいる彼らに話しかけられたときの記事に、「そこでイエスは、聖書を悟らせるために、彼らの心を開いて(ディエノイクセン)こういわれた。」(ルカ24:45)とあります。さらに「わたしたちに聖書を説明して(ディエノイゲン)くださった」ルカ24:32)も同じ原語です。

聖書を与えてくださった神様が、ご自分のことを教え、分からせるために説教や教えや翻訳本を通して、私たちの理性に働きかけ、同時に内なる心に働きかけて、心を開いてくださる。その時に意味がわかりみことばは自分のものとなる。自分と深く結びつく。復活の主が絵エマオの途上で弟子たちの心を開かれたように、ルデヤの心も開かれた。そしていま、私たちの心も開いてくだったのです。また開いてくださるのです。そして、聖書の真の意味がわかり、目が開けて、そこにしるされているのは救い主イエス・キリストだとわかるのです。礼拝において、主に出会うのは、そのような心のふれあいの中なのです。

心が熱くもえるのです。神は私たちに語られるとき、外からの聖書のみことばと、内からの聖霊の照明(イルミネーション)の働きによって、みことばが真理であることを分からせてくださるのです。ですから外からのみことばは、どの人々にも、全世界の人々に語られなければなりません。それが伝道なのです。通常の能力のあるものにとってみことばを聞くことなしに信仰は与えられません。「「主の御名を呼び求める者は誰でも救われるのです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がいなくて、どうして聞くことができるでしょう。」(ローマ10:13〜14)私たちも福音のことばを伝えるために招きます。誘います。出て行きます。みことばを分かちあいます。しかし同時に内から心を開いてくださる主の一方的なめぐみを信じて祈り求め、取りなしをします。祈りによって主にとりなすこと、主が豊かにお働きくださる用に求めることは大切な伝道の働きの大きな部分なのです。

Ⅲ ルデヤから学ぶべきもう一つは、彼女の反応のすばやさです。主イエス様を受け入れたとき、「彼女も、またその家族もバプテスマ を受けた。」家族そろって洗礼を受けたという記事は新約聖書では特筆されている。この後でピリピ牢番もまた、全家族そろって洗礼を受けている(33節)。ルデヤは自分が信じただけではなく、伝道者を家に迎え入れて家族にもパウロの説く福音を聞かせ、家族も信じて洗礼を受けたとかんがえるべきでしょう。家族の一人が信じて自動的に全員が洗礼を受けたのではないでしょう。機械的に行われたわけではないのです。彼女が福音の真理に目が開かれ、救いに与ったとき、速やかに家族にも救いに与る機会を整えたのでした。

さらに、パウロはじめ伝道者たちを自宅に招きいれました。4人もの人々を受け入れ宿泊を可能ならせ、彼らがピリピの町中に伝道をする間拠点として提供しました。さらに ルデヤの家はキリスト教の集会場となりました(40節牢を出たふたりは、ルデヤの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出て行った)。これ以後、パウロの伝道を支え続けたピリピの教会はルデヤの献身的な奉仕の精神をみならう教会として、福音のよきあかしをたててゆきました。「主に忠実な者」であるならば、男子か女子かではなくて、男子でも女子でも、教会たちを助けで大いなる奉仕を全うできるのです。

結び)私たちの救いのために、みことばを聞いたときに心を開いてくださった主に感謝しましょう。また速やかに、家族の救いのためにも祈り仕え、みことばを聞いてもらうために、自分にできることがらをしましょう。現代でも、自分の家が宣教の拠点となる幸いを経験することができます。セルグループの働きは現代版宣教の拠点でもあります。この小さな教会がルデヤを初めの信徒とした、ピリピの教会にみならうことができますように祈ります。

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