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2010年3月14日 使徒の働き 17章1~9節  「イエスという別の王」

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2010年3月14日 使徒の働き 17章1~9節

聖書の話 「イエスという別の王」

序文)パウロたちの伝道旅行は、マケドニアの州都テサロニケに及んだ。現在もサロニカといって首都である。ここはローマの行政機関が集中した政治的軍事的根拠地であり商業の中心地であった。パウロたちは途中の町は通過するだけで、ピリピに継ぐ集中伝道地として、ここを選んだ。都市を取り巻く三つの河は水上交通を盛んにし、都市に沿ってある軍用道路は内陸地との通商に多くの地点を持っていた。種々雑多な人々が集まり、多くの民俗宗教が入り乱れて共存していた。ギリシャ古来の神秘宗教、皇帝崇拝、ヘレニズム世界をめぐりながら自分の哲学や神々を伝える者たちが渾然と混じり合っていた。

ここでは、ユダヤ人は大勢力をもっており、ユダヤ教の会堂があった。「神を敬う異邦人」たちとともに唯一生ける神を信じる自らの立場を誇示していた。

Ⅰ パウロの宣教

パウロはテサロニケで彼らの会堂を利用して三回の安息日に渡って福音を説教した。会堂だけで三回、それ以外に町の中で相当期間、異邦人伝道を行ったことが「テサロニケの手紙」から推察することができる。また第一テサロニケの手紙2:9「兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなた方に宣べ伝えました。」といっているところから生活のために働きながら伝道していた事が伺えます。

パウロは救い主は苦難を受け、死に、葬られ、再びよみがえる事を照明するために、旧約聖書に訴えて、ユダヤ人に取り熟知している論法で話しを進めました。預言されている事実(すなわち神のことばの事実)と、イエスが成就された歴史的事実(すなわち実際に行われた事実)が一致することを並べて見せました。そして私が伝えているイエスがこれらのことをことごとく成就したのであるから、イエスこそキリストであると説きました。みことばが伝えていることがらと、歴史に起こった事柄が一致する。それがイエス・キリストという人物に置いて共に成就している。だからイエスはメシアである。

結果は、幾人かのユダヤ人たちが納得して信じた。それに神を敬う異邦人ギリシャ人たちが貴婦人を含めて大勢信じた。そしてユダヤ教徒の群れから離れ、パウロとシラスの群れに加わった。その中にもヤソンもいた。ユダヤ人でヨシャという名前の多くがギリシャ名でヤソンを名乗っていたといわれているから、彼もユダヤ人であったと考えられます。使徒の働き20:4「テサロニケ人アリスタルコとセクンド」もこのとき信じた人々であると考えられています。

 

Ⅱ 迫害者たち

ところがユダヤ人たちの大多数は、パウロたちのこの成功をねたみ、迫害しました。自分たちの仲間であった者たちの中から次から次へとパウロたちに従ってゆくからでした。その迫害の方法は大胆でした。町の、ならず者を雇い入れ、暴動を起こして町を騒ぎに巻き込み、その責任者にパウロたちをでっち上げようとしたのでした。パウロとシラスをヤソンの家にいると目星をつけて、捕らえるために家捜ししました。この辺のことが第一テサロニケ2:14から16節に書かれていて、驚くほど激しい表現です。当時の異邦人社会でユダヤ人たちは敵と見られていた可能性が大きいのです。神の救いのお心を拒み、預言者や救い主や、伝える者たちを迫害して殺し、追い出す彼らを、パウロはすべての者の敵であると決めつけています。そのようなユダヤ人の行為は「いつも自分たちの罪を満たす」結果となっている。

福音を伝える働きは使徒たちが気まぐれで行っているのではなく、神の主導権のもとで聖霊の導きのままに推進されているのであるから、このような判断が示されている。

ヤソンは町の役人たちから保証金を取られて釈放された。きっともう二度とパウロたちを泊めたりしません、と誓約させられたに違いありません。この処置は町の役人たちにとって効果的と思われました。ヤソンたちはこのような紛争が繰り返されないようにする責任を負わされました。本当はユダヤ人たちが陰謀を巡らしたにもかかわらずにです。訴えられたパウロたちが見当たらなかっため権力による強引な処置でした。パウロは後になってこの事柄のため伝道を続けることができなくなった。この町から夜のうちに立ち去りました。彼は「テサロニケの手紙」の中で「サタンにさまたげられた」と言っています。

Ⅲ 抗議理由

ユダヤ人たちが町の役人たちに訴えるためにでっち上げた抗議理由について考えてみましょう。「世界中を騒がせてきた者たち」「イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅に背く行いをしている。」

「世界中を騒がせてきた者たち」=政治的メシア運動家たちをかくまった。この人たちはローマ帝国の他の州で革命運動の罪を犯し、このたびはテサロニケにやってきて宣伝を始めた、その宣伝は非合法であるだけではなく、ローマを統治している皇帝に対抗する。イエスという名の皇帝を実際に宣伝している、と言った。陰険な訴えであった。事実無根で嫌疑が晴れても、いったんそのように言われると多くの人の生活を狂わせ破滅させる効果があった。現代でも,再審裁判などにおいてこのような取り返しのつかない人生を送らされた方々がいます。また、マスコミ関係者が、犯人であるような扱いをして、裁判所が正式な判断をくださないうちに、とりかせいのつかないような影響をそのたえに受けて人生を狂わされたりすることがあります。

もっとも、彼らの訴えがそのような一大事であると思わせるような見せかけの事実がキリスト教に確かにあった。使徒たちは世俗の帝国と違った国であるが、「神の国」をのべつたえ、イエスのことを「王」というギリシャ語の言葉を当てはめて使っていた。この「バシレウス」ということばは、新約聖書でリーマ皇帝を表す言葉として用いられています。(ヨハネ19:15,第一ペテロ2:13)

さらにパウロたちの説教は「テサロニケの手紙」から察するに、キリストの再臨を含む終末論に及んでいた。為政者たちから悪用されて治安を乱す恐れありと解釈され安いのでした。

 

日本の為政者たちが、第二次世界戦争中に「イエスが王」であると告白するキリスト者たちを取り調べ、天皇が王であることと、どちらが偉いかなどと迫害し、また、ことに再臨信仰を強調しているキリスト教会が治安を乱す恐れがあるという、「治安維持法」違反という名目で指導者たちを投獄して中には獄中で死んだ牧師方がいたという事実は、ついに64年前の出来事であったことを忘れてはならないのです。「イエスという別の王」がいるという迫害理由は、天皇が王という主張のもとに、そのような尊崇を要求し、それを行わない者たちをついには投獄し、迫害し殺しさえしたという歴史の教訓であり、私たちはそのような為政者の策略に乗じられてはならない。まして同調者であってよいはずはない。

「イエスは別の王」なのではなく、「王の王、主の主」であることを告白し、その絶対的な王としての権威に栄光を究極まで帰するのです。イエスは十字架に私たちの罪を負って死んでくださった王です。また、墓に葬られてから三日目によみがえってくださり、死というすべての地上存在にとって究極的な王であると考えられていたことに打ち勝って、まことに王の王であることを証明されました。次いで、天に帰られて、天と地のすべての権威をもちたもう方であるのです。天皇のために多くの人々は死にました。犠牲は歴史的に古代以来多大に払われました。しかし、天皇が私たちのために犠牲を払い、死に、よみがえったわけでは決してありません。私たちの主イエス・キリスト様への忠誠心は、地上の何者にもとって代わることはありません。

結び)第一テモテ 6:13〜16

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