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2010年1月31日 使徒の働き 16章1~5節  「愛する子テモテ」

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2010年1月31日 使徒の働き 16章1~5節

聖書の話 「愛する子テモテ」

序文)使徒パウロは、第二次伝道旅行の途中で、同行者シラスに加えて、テモテをルステラで得た。今朝は、テモテについて学び、続けて彼の母親ユニケと祖母ロイスについても思いを広げてみましょう。

Ⅰ テモテについて

使徒パウロは第一次伝道旅行のときにルステラに来た。そのとき彼の母ユニケや祖母ロイスとともにテモテを信仰に導いた。パウロは第二テモテへの手紙の中で「愛する子テモテ」(1:5)と呼びかけています。第一コリント4:17では「テモテは主にあって、私の愛する忠実な子です」と紹介しています。パウロは最初のルステラ訪問のとき、この若い青年の立派な性格と敬虔な生活ぶりに強く心を打たれました。パウロが福音を伝えたところ、純粋な信仰を持ち、その進歩はやがてパウロたちがそこを去ったのちに現れました。特にテモテの信仰の進歩は「ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。」と書かれているとおりに推奨に値するほどでした。

パウロがこの度の伝道旅行にテモテをつれて行くことを決めたのは、なぜか?その理由となると、信仰の純粋さと進歩の他に、ユダヤ人たちやギリシャ人たちの入り交じった世界に進んでゆくために、彼の生まれ育ちが役に立つと考えられたのです。父親はユダヤ教徒でもなく、クリスチャンでもなく、ギリシャ人だったのです。その父親から受けた感化とユダヤ人の母、祖母から受けた感化、特に旧約聖書を学び神を敬う心を身につけていたことから二つの文化、二つの考え方が同時に身についているのを見たのです。パウロは伝道旅行の行く先々でギリシャ人もユダヤ人も主イエス様への信仰に導こうとしていたのです。

しかし、既にクリスチャンになって活躍しているテモテではあるが、これからユダヤ人にも福音を伝えようとすると、母がユダヤ人でありながら割礼を受けていなかったために、ユダヤ人社会からはギリシャ人で異邦人であるために受け入れてもらえる可能性が小さくなる。ユダヤ教の会堂で福音宣教をテモテだけができないということになる。そのために、すでにユダヤ人でありローマの市民権をもっているパウロやシラスと同じようになって、何も問題なくしたほうが伝道をしてゆく上で、好都合であると、パウロは考えた。それで、テモテに割礼を施した。宗教上の救いとの関係からではなくて、実際的な伝道目的を達成するためであった。パウロがあの極端なユダヤ主義者たちに妥協したということでは決してないのです。割礼なしで救われるかどうかという根本問題で妥協することは決してしない。

テモテはこの伝道旅行においてばかりか、それからも、継続してパウロの教えと訓練を受けました。神の働きの為に教会と伝道者に仕える立派な働き人に育ちました。彼への信頼度は抜群でした。ローマでパウロが囚人となったときもともに苦労し、またエペソの教会にパウロの名代として遣わされて戦い、二通の「テモテの手紙」では、牧会上の深い教えや励ましをパウロから受けていました。彼は後になって、エペソ教会の監督になったが殉教したと伝えられています。

 

Ⅱ ユニケとロイス

このような信仰者テモテを育てた母はユニケで、祖母はロイスです。二人は孫にあたるテモテに共通の関心がありました。それは彼の神に対する敬虔さについてでした。

パウロは、最初にこの母親と祖母に会ったときの印象を第二テモテ1:5と語っています。テモテに芽生えた主イエス・キリストへの信仰は、そのロイスとユニケによって既に始められていた聖書を教える生活の上に花開いたのでした。種まきは祖母と母が家庭において静かに進めていたのでした。テモテ「神をおそれる者」という名前が彼に付けられました。母がなぜ異邦人の父と結婚したのかは告げられていません。母ユニケの夫は妻が信じる聖書の神様とは個人的に出会ってはいなかったのです。未信者だった。テモテは生まれて八日目にユダヤ人として割礼を受けることがありませんでした。父親が彼の小さい頃死に、母が生活の糧のために働きに出て、育てるのはもっぱら祖母ロイスであり、教育を祖母が一手に引き受けていた可能性があります。どうであるにしても、母と祖母は協力して、幼子テモテに神の言葉を教えました。決して、「中立の立場で育てよう」子供が大きくなったら自分で聖書をよむようになり、決断できるだろう」とは考えませんでした。「この子はまだ小さすぎる。もっと良く判断できるようになったら、みことばによる訓練をはじめよう」等と言ったりはしませんでした。

人間は生まれながらにして神の前には「霊的に罪と罪過の中に死んだもの」として存在し、そのままほっておけば何時かは目覚めるといった者ではありません。霊的に「死んでいる」のですから「目覚める」ことはありません。聖霊様が、聖書のみことばを用いて、働かれることで、霊的に「新しく生まれる」のです。みことばは、幼いときから教える必要があるのです。

ロイスとユニケは、幸いにして、聖書の絶大な価値を認めており、そこに自分たちの全生活がかかっていることを告白していました。自分たちの生活の仕方を聖書の原則を当てはめて適用することに心を砕きました。「神は恵み深く」テモテの心の中に幼い頃から働いておられたのです。契約の子供に対する親の確信はこのようにして天の神が答えられるのです。

さてみことばに養われても、「神は恵み深く」は個人的に十字架と復活の主イエスを救い主として信じなければ、新約聖書の信仰キリスト者たりえません。パウロはロイスとユニケが、テモテに蒔いたみことばの種を主イエス・キリストの十字架と復活の救いの恵みを伝えたことで、実りを刈り取ったのです。他の人が蒔いた者を、別の人が刈り取るのです。 クリスチャンの親がその子供が生まれてくる前から祈り種を蒔き、生まれてからはみことばに基づく生活を進めるようにとさらに育てるのです。それは神への敬虔の種をまくのです。神を侮らないようにと蒔くのです。罪を犯したときは、悔い改めの祈りを一緒にして、イエス様におわびし、愛に富む良いことを経験したときは、心から賛美し、恵みをいただいたときは一緒にことごとに感謝して、そだてるなら、その子供は生活のすべての点で常に、神を目の前において生きるでしょう。聖霊はそのようにあゆむ子供の上に働かれ、救いのときをこさせてくださるのです。その時が来るのを信じて親は待ちます。

ロイスとユニケがしたことは、自分たちは気づかないでしたのですが、テモテが救いに導かれ、伝道者になって神と教会に仕えるための土台を据えたのです。母と祖母はもちろん旧約聖書の信仰しかまだ知らなかったのです。しかし、福音を受け入れる備えを自分たちと子供、孫のために確かにしていたのです。まして、新約聖書の時代に生きている私たちは主イエスの福音をそのままに受け入れているのですから、心して、予期信仰の母、祖母でありつづけましょう。

祖母が信仰をもっており、母が持っていないで、孫に信仰が芽生えることもあります。そのような場合、祖母の祈りの責任は重大です。ゆったりと距離を置いて落ち着いて孫に信仰を伝えることができる特権を祖母はもっているのです。

それは、子供や孫に受け継がれてとどまるのではなく、さらにおもいもつかないほどの広がりを持って、多くの人々に救いの恵みが及んでゆくこととなるのです。神の約束は「めぐみを施して一千代におよぶ」なのですから。

ロイスとユニケはテモテの将来の働きを予想することはできませんでした。信仰を持って子育てするときに、神様は、私たちの子供や孫たちを神の国の栄光のためにすばらしい働きにと召しお用いになるのです。遠くの人々に福音を伝える熱心とともに、すぐみじかにいる子供や孫たちに愛を込めて主イエスさまを紹介しつづけましょう。

結び)テモテはパウロの殉教後も、初代教会の信仰を立ち上げる重大な役割を担い続けました。その信仰の種を蒔いたのは母と祖母でした。刈り取ったのはパウロでした。訓練したのは初代教会の信徒たちでした。直接にはパウロとシラスでした。若い伝道者が、まだまだ、これからたくさん与えられなければなりません。主から神の子供たちを与っている信仰の親たちの祈りとみことばに即した養育が祝福されますように!!

また子供たちは、そのような祈りを込めて育ててくださっている母親、祖母たちへの感謝を豊かに溢れるばかり表しましょう。

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