2010年6月13日 使徒の働き19:21〜41 招詞
「臆せず、おそれず」
序文)「使徒の働き」の著者ルカは、使徒パウロのこれからの計画が、今までと同じように聖霊に導かれていることと、主イエス・キリストの福音がエペソ伝道のもたらした間接的な影響とを書き記しています。今朝はそれらに目を止めて学びましょう。
Ⅰ 聖霊に導かれたパウロの計画
エペソ伝道の実りの多くは、励ましの多い戦いで勝ち取られました。励ましが多いという事は、それだけ、パウロの身に降り掛かった困難、危険が多かったということです。その一例が後に出てきます。パウロの手紙の中にその事が書かれてあります。パウロは聖霊に示しによってエペソ伝道の後で、マケドニアとアカヤを通って、エルサレムに行く事にしました。そして「私はそこにいってから、ローマも見なければならない。」といいました。ローマは当時世界の首都で、そこでの宣教は、彼が熱く願っていたことでした。もっとも、のちになってパウロは「ローマ人への手紙」の中でローマに行く事が最終目的ではなくて、イスパニア(スペイン)にまで行くつもりであったことを書いています。パウロの福音伝道の推進のビジョンはとどまるところを知りませんでした。
パウロの伝道の視野は、聖霊の導きのもとに、本当に広がってゆき、一つずつ、確実に実りを積み重ねて進んでゆきました。その中で、今回は、前に出かけた伝道地マケドニアとアカヤに行くように聖霊の示しを受けたのは、そこにすでに立てられていた諸教会を訪問して、相談にのること、はげますこと、コリント教会内部のトラブルを解決することや、さらにはエルサレムの貧しい兄弟姉妹たちへの支援献金を募り、エルサレム救援に駆けつけるためでありました。そこでまず、テモテとエラストが準備のためにマケドニアに遣わされました。
ここから学ぶべき事は、現代においても伝道を続けることにおいて、同様の聖霊に導きと働きによって、宣教のわざが進み、あるいわ留められ、人々が派遣され、いろいろの励ましや、問題解決の祈りと話し合いがあり、支援献金が集められ、託され、送られているということです。人々が救われる事だけが聖霊の働きではなく、それらに伴ういっさいの労苦もまた、聖霊の教会を建てあげるためのわざであるという事です。そのようなわざにわたしたちも、海浜幕張めぐみ教会に遣わされ、召し集められ、仕えているのです。
ここで『祈りのネットワーク表』2010年版(週報に添付)を説明する。
セル活動において、福音のあかしとともに、細やかな心くばりで、祈りはげまし、問題解決に労苦し支援し、祈り戦うことは、聖霊にみわざに与っているのです。教会の働きの全体は、宣教の聖霊が私たち信徒をとおして行っておられるわざなのです。その視野がパウロのように広く、高く、長く続いてゆく事をこそ見習いたいものです。この教会がローマを見るとはどういくことか、自分の信仰生活においてローマを見るとはどういう事かを、聖霊に祈り求めて、成長してまいりましょう。
世界宣教の視野 受けるよりも与えるほうが幸いです。バイリンガル礼拝は、日本に居ながらにして、外国から日本に来ている方々への伝道ができる意味で、足下からする世界宣教です。また、海外に宣教師を送り出す働きは、私たちのビジョンの中に織り込み済みです。そのために宣教の主に遣わされる人が起こされるように、祈り求めてゆきましょう。ウィクリフ聖書翻訳宣教、オーストラリア宣教、などの経験、この教会から宣教師を送り出す事のビジョン、視野を訴える。6月8日に清水ネリダ宣教師が帰国しましたが、康之兄弟が、2011年2月に、シドニーで神学校に入学できて、数年後に学びを全うしたときに、どこに遣わされてゆくか、現時点では分かりませんが、お召しになった主はご計画をもちでしょう。海浜幕張めぐみ教会として、支援をして今後に備えて行けるようにと祈りましょう。
Ⅱ 主イエス・キリストの福音がエペソ伝道のもたらした間接的な影響
エペソには、世界の七不思議の一つに数えられている偶像の大神殿があった。そこに祭られているのは、女神アルテミスで、ギリシャ神話では、太陽神アポロンの双子の子どもの妹でした。「月の女神」といわれ、また「狩猟の女神」で弓矢の名手とされている。彼女が唯一気を許していた狩猟の名手オリオンを敵の奸計によって弓矢で殺してしまったため、天空のオリオン星座はその悲恋を物語っていると言われている。彼女は処女であった。それが宗教の混淆によりアジア地方の女神・豊穣と多産の女神と混同されるようになった。沢山の乳房をもつ女性像として祭られるに至った。女神は、「天から下ったそのご神体」と言われているが、隕石と考えられている。ギリシャ語で「下る」は現在形「ピプトー」が過去形になると「エペソン」となります。それで町の名前が「エペソ」とついたのです。その大神殿の銀レプリカを造って銀細工人デメテリオが生計を立てていた。彼は、エペソの町の人々が次々とパウロの伝道によって、福音を信じるに従って、自分たちが作成しているアルテミス神殿の模型の売れ行きが、がた落ちになってきている事に危機感を募らせていました。それで同業者を集めて、対策を練ろうとしました、彼は同業者にアジ演説をぶちました。自分たちの生活が、人々のアルテミス信仰によって支えられていることを確認しました。アルテミスのご威光が引き下げられ、傷つき、地に墜ちてしまいそうである。自分たちの仕事も信用を失いそうである。それほどの危機感をパウロの伝道はもたらしました。
その結果もたらされた群集心理による大騒動は、聖書に書かれているとおりです。パウロは捕らえられませんでしたが、アリスタルコとガイオが捕らえられました。また、ユダヤ人のアレキサンデルも騒動の中であやうく殺されそうになりました。彼らはキリスト教徒であろうとユダヤ教徒であろうと、見さかいがつかなくなるほどに、混乱し、興奮し、騒ぎたてました。しかし、この町の書記役が、この騒ぎを自分の首もかかっていたのですが、実に冷静に見事に治めてしまいました。「正当な理由もなく、このような騒動をおこした点で、ローマ帝国から騒擾罪に問われる恐れがある。」正式な市議会もあれば、裁判の日もあるのだから、それに訴えてでれば良い。第一パウロはアルテミスの宮を汚した訳でもなければ、女神をそしった者でもない。
この事件が示していることは、福音を信じた聖徒たちの信仰生活上の具体的な変化が、偶像崇拝者たちにとって、経済上の脅威となるほどにおおきなことであったということです。それほどの力を福音は、信じる者にもたらした。また主イエス・キリストの福音へのあらゆる反対、ののしり、あざけりは、実はそれをしている者たちの心の中にある罪が原因であって、どれほどもっともらしく語られ、伝えられ、書かれたとしても、何が本心かを見抜いて対処しなければなりません。
そのような者たちが引き起こす騒動を軽く見る事はできませんが、いちいち臆したり、恐れたりして、働きをやめたり、中断したりしないように、注意しなければなりません。
結び)コリント第一 1:18〜24