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2010年7月25日 使徒の働き21:15〜40 「縛られたパウロ」

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2010年7月25日 使徒の働き21:15〜40

「縛られたパウロ」

序文)パウロは第三回伝道旅行を終わってエルサレムに帰ってきました。この時60歳近かったと考えられています。20年近く次から次へと伝道旅行をし、諸教会を立て上げ、心に多くの心配をかかえ、押しつぶされそうになりながら、迫害と暴行で傷だらけになり、肉体も持病と突発する病に苦しみながら戦ってきた。 それでも、精神はキリストへの奉仕の情熱に、熱く燃えつづけ、ローマにまでも進みたいと願っていました。しかし、エルサレムに帰る事は、自分の働きが終局を迎える事と予想する合図が、聖霊によって重ね重ね与えられてきました。鎖と牢獄が彼を待っていると預言もありました。しかし彼はどうしても帰らなければならない理由がありました。

Ⅰ ユダヤ主義者の告発

パウロ一行は、ついにエルサレムに到着しました。それはペンテコステの祭りの時でした。この季節、エルサレムは世界の各地から集まってきたユダヤ人巡礼者たちでごった返していました。エルサレムのクリスチャンたちの重立った者たちは、パウロたちを歓迎しました。ヤコブと集まっていた長老たちは、パウロの報告を熱心に聞きました。異邦人の間でなされた神の働きを聞いて、一同は神をほめ称えました。エルサレムの教会の指導者たちは、パウロに対して誠実で安心できました。しかしユダヤ主義者たちが、キリスト信仰に入ったユダヤ人たちに、パウロについてせっせと蒔き続けたいろいろな噂、特にパウロは律法に背くようにユダヤ人を教えている、というデマを流し続けていたことについて、パウロに知らせなければなりませんでした。その解決策も用意していました。

以前にエルサレム会議が開かれたとき、信仰に入った異邦人については、結論が出ていました。モーセの律法から解放すべきであることが決まっていました。偶像に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきであると決定した。

しかし、ユダヤ人クリスチャンについては、何も問われませんでした。彼らは先祖の習慣を守るものと考えられており、使徒たちも、そのように振る舞ってきました。いわば、ユダヤ人については、論理的には、キリストが律法の欠けたるところを補い、完全に成就したのだから、本来は旧約聖書の習慣を守る必要はもうなかったのです。旧約律法のついては、守ることが間違いと言われた事がなかったし、パウロもそのように教えたりしませんでした。彼らは、このことを長い間、考えなかったのです。自分では、律法を守り、すべてのユダヤ人たちがそうするものと思ってきました。ここに実際的な矛盾がありました。

パウロはユダヤ人への伝道上の配慮から、テモテに割礼を受けさせたことがあるし、彼も誓願をたてていたので、ケンクレアで髪をそったとあります。「私は誰に対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。」とまで言ってきたのです。ですから、エルサレムでユダヤ主義者たちが言っている事は、デマでありました。なぜ、そのようなデマを流し続けたのか、というと、それは彼らが異邦人たちにも律法を守らせようとして、パウロによって失敗させられたからでした。パウロを憎らしく思っていました。自分たちの伝統に対して敵意をもっていると思い込んだ心が、パウロを告発しようとし、陥れようとした。同じ心がステパノを告発して殺したのでした。主イエス様へのパリサイ人たちの告発も実は、イエスが自分たちの伝統に敵意をもっていて、之を廃止しようとしていると、彼らが思い込んだからでした。思い込みは人を積み深く誘導します。

かつてステパノを告発する側にいたパウロは、今、自分が同じ間違った論理で告発されていると思ったことでしょう。以前と違っているのは、彼の立場を曲げて理解し、噂を流し続けているものたちが、同じ信仰にあるユダヤ主義クリスチャンたちであるという点でした。

さらに悲しむべき事に、彼らが、はっきりと確かめもしないで、流したうわさ話を、エルサレムの多くのクリスチャン仲間たちが信用する気になっていたことです。さすがに指導者たちヤコブたち、使徒たちはそのような噂に乗せられることはなかったのですが、その影響を心配していました。人について、悪いうわさはすぐに信用するという、人間の罪深い思いが、クリスチャンたちの中にも残っていることをはっきりと知らされる出来事です。推測と思い込みと悪意は、異邦人のために戦ってきたパウロが、ユダヤ人クリスチャンについては、何も言っていないにもかかわらず、陥れる事となりました。

Ⅱ 告発に対する回答と思わぬ挫折

ヤコブをはじめ指導者たちは、パウロが到着する以前に、このために回答を用意して、このようなうわさを否定する方法を考えていました。23〜24節

パウロはその勧めを採用して、ユダヤ主義者の偽りのうわさを、事実でもって、否定しようとしました。そしてパウロの行いが、以前の異邦人にかんする決定を反古にすることではないということも確認しました。実行して、それは成功を治めるかのように思えました。予測できる範囲では、パウロに対する忠告は賢く真実な事でありましたし、それにしたがってパウロも立派でありました。そのようにすることでパウロは多く得るところがありました。

99%エルサレムのユダヤ人クリスチャンたちは、パウロの行いを歓迎し、誤解を解きました。しかし祭りの最中には、世界中から多くのユダヤ人がエルサレムにおり、その中に、アジヤからきたユダヤ人たちがいました。彼らはもちろんクリスチャンではありませんでした。エペソ伝道におけるパウロを知っていました。彼らの中には、エペソでの大騒動の中でパウロを窮地に陥れ群衆を駆り立てた者たちがいたのです。その彼らは、エルサレムの町の中でパウロがギリシャ人トロピモとともにいるのをみた。また別の日にパウロが宮の中にいるのを見た。彼らに取って、之で十分、パウロがトロピモたちをつれて神殿の中に入り込み、この聖なる所を汚した、と「想像」しました。

「思い込みプラス想像」に加えて、以前からの「恨み」もこめて、28節「イスラエルの人々。手を貸してください。この男は、この民と、律法と、この場所に逆らうことを、至る所ですべての人に教えている者です。そのうえ、ギリシャ人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所をけがしています。」と叫びました。

そして悪意ある偽証の火の手が上がると、彼らはさっと姿と消して、あとには大騒動が残ったのでした。してやったり、というわけです。あとは何がなんだか分からないままに、乗せられた人々はただ騒ぎ回り、この結果、パウロは殺されそうになり、縛られて、再び自由の身になるまでに5年間歳月がかかりました。

あなたがたは偽証してはならない。心の悪意を秘めているならば、いつの日にか偽証をすることになる。それが主イエスを十字架につけ、ステパノを石で撃ち殺し、パウロを縛って5年間の苦しみを加えた事を忘れてはならない。そのような仕業が、神様の目の前にそのままで無事にすむはずはありません。

キリストのためのパウロの働きに反対している者たちと、そのことさえしらないほとんどの暴徒が、このようにしてエルサレム神殿を守るという口実によって、異常なまでに怒りの渦を巻き起こしたのです。

Ⅲ ローマの守備隊による救出

このような危機に陥ったパウロを救ったのは、祭りのあいだエルサレムの特別警備に当たっていたローマの守備隊でした。千人隊長と兵隊たちでした。ローマの剣がパウロを救ったのです。これほどの怒りと興奮をよんだパウロは一体何者なのか?千人隊長は知ろうとしましたが、群衆からは情報を得る事はできませんでした。兵営の中で、隊長はパウロがギリシャ語をできることがわかり驚きました。以前にユダヤの超国家主義者で刺客4千人を引き連れて暴動をおこしたエジプト人がいました。彼ではないかと間違いました。

パウロは「自分はれっきとしたキリキヤのタルソ出身のユダヤ人で生まれながらのローマ市民である」と主張しました。隊長は意外にも目の前の人物が教養あるタルソの市民であると聞いて安心しました。そしてパウロが群衆と話ししたいと願ったので、それを聞き届けました。許可しました。パウロは彼らが救われるためには自分のいのちは惜しいと思わないといっていましたが、今こそ彼らに話すべきであると確信しました。実に堂々としていました。群衆に向かって手を振って、沈黙するように合図しました。奇跡といっていいぐらいに静かになりました。自分をリンチで殺そうとしていた群衆を身振り一つで静かにさせる事ができる人がいるだろうか。その上、彼はヘブル語で話しはじめたのです。神の力がパウロを通して流れ出していたのです。今、彼は神のめぐみの福音を自分を殺そうとしている同胞にあかししようとヘブル語で話し始めました。

 

結び)テモテ 第二 4:1〜2

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