2010年8月15日 使徒の働き24:1〜27 招詞黙示録20:11〜15
「来るべき審判」
序文)使徒パウロがユダヤ人の陰謀により殺害されようとしていることから、ローマ軍千人隊長が機転をはたらかせて,地方総督ペリクスのところに夜中に護送したところでした。さて、今朝の箇所はペリクスによる審判です。大祭司たちの訴訟とパウロの弁明、そしてペリクスの判断です。歴史的には紀元57年か58年ごろの出来事といわれています。
Ⅰ 大祭司たちの訴訟
ローマの地方総督ペリクスがどのような人であったかについては、学者たちは一致して主張していることがあります。それは,ローマ地方総督の中で最悪の部類であるというのです。「あらゆる欲望や残酷な行為をするに当たり、彼は王者のごとき権力を、奴隷のような根性で行使した」とローマの歴史家タキトスによって言われています。私服を肥やす事、行政上の事柄を放置すること、収あい、すること,あらゆる悪徳を実行したこと。それでユダヤ人指導者たちは前任者ピラトの場合と同じように、彼の弱点を握っていて、ペリクスをローマ皇帝に訴えるぞと脅しながら、地方行政を有利に運ぼうとしました。パウロがどれほど彼の事を知っていたかは分かりませんが、大変不利な状況に置かれていました。
ユダヤの最高議会からの訴訟は巧みに提出された。大祭司アナニヤは弁護士テルトロはじめ数人の長老たちと共にペリクスの所に来て訴えた。テルトロはローマ名をもっていて、ローマの律法に従って弁護した。彼はペリクスのことを先ず褒めている。如才のない仕方でペリクスのことを改革者とまでいって賞賛している。実際は彼の時代にユダヤ地方では反乱事件が多発していた。テルトロはこびへつらって弁舌あざやかに述べた。
パウロのことになると「この男はペストのような存在」と罵倒し、ユダヤ教とは違った、異端「ナザレ人の一派の首領」で、これは非合法の存在であると決めつけている。この点については、ローマ皇帝が裁断を下さなければならなかった。おまけに「世界を騒がしている。」世界をさわがしていることについてテルトロは根拠をあげずに漠然とした言い方をしている。さらに「宮を汚した」とアジアから来た者たちの想像したことを事実として論じた。パウロが宮を汚したことはなかったし、汚そうとしたわけではなかった。いわば、大祭司たちの虚偽の訴えである。この弁護人は節操がないようで事実をゆがめるすべを知っていた。
Ⅱ パウロの弁明
パウロはおべっかを言うような事物ではなかったので、ペリクスに挨拶するときも事実にそむことのないように言った。ペリクスが裁判人であるということを認めている。訴えられたことについてエルサレムでの事実を話した。12日間いただけで、その間のパウロの行動は明白である。違反であるとの告発の根拠はどこにもない。私は無罪である。
しかし、宗教問題については、ナザレ人の道「一派」と彼らが呼んでいる道に従って信仰をもって歩んでいる。律法にかなうこと預言者たちが書いている事を全部信じています。また義人も悪人も必ずよみがえることを信じています。この訴えている人たちも信じていることです。「異端」ということばは「派」ということばです。パリサイ派、サドカイ派というのと同じで「ナザレ派」ということであります。この道を神と人とにたいして、まったき良心をもって歩み、自分が果たすべき義務は果たしています。それゆえ、現実にはパウロはユダヤ人にたいするローマの寛大な政策の中、キリスト教の法律的保護を見いだしていたのでした。宮を汚していたのではなく、彼は宮で清めの儀式に臨んでいた。もちろん暴動などはなかったのです。さらにエルサレムに来たのは同胞に義援金を渡すためであった。アジアから来た幾人かのユダヤ人が原因で悶着がおこりましたので、彼らこそここにいるべきです。それなのに姿を消しているのです。最高議会についても、議会でのわたしの発言のどこに問題があったのかを、今言ってもらいたいとおもいます。パリサイ人も信じている復活の教義以外に問題はなかったのです。
Ⅲ ペリクスの判断
ペリクスは千人隊長ルシアが,この件について意見をのべるまでは判断を保留し,裁判を延期することにした。その間、パウロは寛大に扱われた。友人たちにも会えるようになった。ペリクスはこの辺までは抜かりなく行動した。
しかし、やがて、パウロからさらに正確に「キリスト・イエスに対する信仰について」聞こうとして事情をさぐった。
ところが、パウロはペリクスと妻ドルシラを前にして、彼らの罪を私的した。彼らはペリクスが、すでに他の王様のお妃であったドルシラを,キプロス生まれの魔術師を使って離婚をそそのかして,離婚させ、自分の妻にしてしまった。ドルシラの父はへロデ一世で,使徒ヤコブを殺し、ペテロを投獄し、演説中に虫にかまれて非業の死を遂げた人物でした。彼女はキリスト教に少なからぬ興味を持っていたと考えられます。自分の運命について、キリスト教の信仰を問いかけていたのかもしれません。その彼らにパウロは真っ向からメント向かって正義と節制とやがて来る審判とを話したのです。その説教に彼らは恐れを感じたのですから、力ある説教だったとかんがえられます。
彼らは地上ではローマ帝国の権威を帯びた裁判官でありますが、実は、すべての者を裁かれる神の裁判があるのです。このことは、人間の良心がかたりかける意識であります。さすがに、ペリクスといえども、自分の心への審判があるとの語りかけを、無視できなかったのです。ユダヤ人であるドルシラはなおの事でした。
人間の前には、そんなこと何でもないよ、常識だよといってくれても、「自分のしていることは神の審判に耐えないのではないか。」との意識があるのです。それを良心の呵責といいます。ことがらの善悪をさばく神の審判があるという意識が,誰にでもあり、そのことを良心といっているのです。
わたしたちは、やがて来る神の審判の前に立つ日がくることを知って「神の前にも人の前にも責められるところのない良心を保つように」と生活しているのです。
ペリクスがこの場合するべき事は悔い改めて,パウロが伝える救い主イエスによって罪の許しを受けることだったのです。それなのに彼は「おりをみて、また呼び出そう」と言って、折角の機会を失いました。
ペリクスはパウロを帰らせて二年間も軟禁状態にしておきました。それは賄賂をもらいたい下心があったからです。また、このことで、ユダヤ人に恩を売って関心を引き止めて自分の政治上の失敗をカバーしようとしたからでした。
結び)あなたはやがて来る神の審判の日に、あなたの事を弁護してくださる唯一の方、救い主イエス・キリストを信じていますか。さまざまな欲望にかられて,幸いな救いを拒否したり,受け入れるのを引き延ばしたりしていませんか。
「いまが救いの日です、今がめぐみの時です。」