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2010年2月7日 使徒の働き 16章6~10節 「聖霊の導きで」

2010年2月7日 使徒の働き 16章6~10節

    聖書の話 「聖霊の導きで」

序文)「わたしの上に主の御霊がおられる。主が貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主は私を遣わされた。」(ルカ4:18)このことばは、「主イエス様が天の父から遣されて、御霊によって福音を伝える働きを進めておられることの証拠として当てはめられています。福音を伝える働きの一切の事柄は、聖霊が主導権をもっていることを知らされています。そして、「使徒の働き」は聖霊が助け主としてペンテコステの日に天から降り、伝道の業を推進しておられることの歴史的証言となっているのです。聖霊が働かれ、使徒たち、伝道者たち、聖徒たちを用いられた結果、新しく信仰へと導かれたクリスチャンたちは、それから全生涯を御霊に導かれて進む者となったのです。

今朝の主題は、「パウロたちが聖霊によって、アジアでみことばを語ることを禁じられた」と書き出されている点で、とくに注目しなければなりません。福音伝道における聖霊に導きについて明白な論拠となる箇所でもあるのです。先ず「聖霊の導き一般」について学び、その上で今朝の箇所を調べましょう。

Ⅰ 聖霊の導き一般。その受動と能動

私たちが、今、主なる神を仰いで礼拝を守ることができるのは、聖霊の働きによって新しく生まれ変わらせられたからです。それで、「もし私たちが御霊によって生きるなら、御霊に導かれて進もうではありませんか。」(ガラテヤ5:25)と勧められているのです。私たちはこころの内に住まれる聖霊によって導かれて、日常生活を歩まなければならないのです。ですから、わたしたちの聖霊に対して取るべき態度は「導かれ」とあるように受け身である面と、「進む」とあるように能動である面があるのです。日常生活に導きを与えるのは聖霊ですが、進むのはわたしたちです。毎日、そのように進んでゆきます。聖霊が私たちに示される方針に従って慎重に歩んでゆきます。

主イエス・キリストを信じて救いに与かったことにより、以前は滅びに向かって生まれつきのままの思いに従って歩んでいたのをやめて、方向を転換して、永遠のいのちの内に天の御国をめざして、聖霊に導かれて進むものとなったのです。

聖霊は、私たちの全存在に働き導かれます。理性だけとか、身体だけとか、なにか欠けている部分にとかいうのではなくて、いのちそのものに働きかけ、真理を悟らせ、真理に従って生活させ、聖められます。また真理をあかしさせ伝えさせます。

Ⅱ 聖霊の導きを知るには?

では、どのようにして、私たちは聖霊の導きを知ることができるのでしょうか。根本的には、神はいろいろの方法で、その人の内に聖霊による確信を与えることによって導かれます。その方法の第一は

1 最も普通でしかも、もっとも大切なことですが、すでに神が啓示しておられるみことばである聖書によってみちびかれます。はっきりと聖書に書かれてある、みこころは変えられることがありません。自分の人生の重要な判断や、根本原則は、はっきりと聖書に示されているのです。そしてすでに聖書に示されたはっきりとした真理に反するような導きが、個人に特別な方法で行われるということは決してありません。神の真実なご性質からいってもありえません。みことばにはっきりと示されていることに反して特別な事情により例外があると、人は自分の理由を並べ立てて逆らいます。神様のことばはそうはいっているけれども、本当は私のほうが正しいと言うようなことですが、しかし、そのようなことはないのです。ですから、すでに、みことばに明白にしめされていることがらに従いつづけましょう。神は真実で正しい愛と慈しみに富んでおられるのですから、みことばに従う者を決して見捨たりはなさらないのです。あなたが、明白な導きに逆らえば、そのときは自分の賢さに自己満足を得るでしょうが、結果は人生の中で裁きを刈り取って、本来にあるべき導きの場に、迂回措置を神はなさって、あなたを引き戻されることとなります。それは、天の神様はあなたの主であって、あなたはしもべだからです。御国の栄光に入れたいと願っておられるからです。

2 次に、キリスト者の交わりを通して導かれます。 使徒信条のなかに「我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会・聖徒の交わりを信ず。」とあります。教会は聖霊により成り立っている交わりの場です。信仰者は一人ひとりが聖霊を宿している者として集います。そして聖霊の愛の一致のうちに入れられており、交わるのです。聖霊はそのような教会を通して交わりの内にある一人一人を導かれるのです。特にみことばの宣教互いのあかし、祈り合いなどをとおして語られ導かれます。

3 神は信仰に成長した他のクリスチャンをとおして導かれます。私たちよりも経験と知恵と思慮に恵まれている聖徒たちに助けを求めることは賢いことです。コリントの教会の人々は多くの問題が生じたとき、パウロに手紙を書いて相談をしました。導きを求めました。パウロは質問に答えています。その結果が、「コリント人への第一の手紙」です。神は信仰に成熟したクリスチャンを用いて導かれることは新約聖書の大事な原則です。教師や牧師や他の聖徒たち、クリスチャンの助言を十分に重んじるべきです。

4 聖められた常識や、聖い良心により導かれる

あることが間違っているときは、聖い良心がはっきりと教えます。その場合、神が他の導きを与えられると考える必要はありません。盗むことは正しいかどうか、神にたずねるために祈ったりしません。みことばにはっきりと書いてありますし、また、聖い良心がまちがっているとつげます。

信仰は理性を超えることがあります。しかし、理性を無用であるとしません。それで、聖められた常識は有効になります。

5 生活環境への導き

これが今回のパウロたちに起こった導きの出来事です。

聖霊は、全世界を支配しておられるので、摂理により、今に働きかけ、聖徒たちを導かれます。生活の全分野にそれらはわたっています。特に伝道においてはっきりと摂理による導きが示されます。

Ⅲ 使徒 16:6〜10

16:6からを学ぶために、週報にパウロの伝道旅行地図をいれました。ルステラでテモテを仲間に入れて、ピシデヤのアンテオケに行き、さらにパウロたちはアジアで伝道しようと計画していました。しかし、その伝道計画は聖霊によって禁じられたと書かれています。どのように禁じられたのでしょうか。預言者が遣わされてきて、アジア地域の情勢をパウロに語り、今回は伝道しないほうがよいと言ったのか、あるいはまた、以前ルステラやイコニオムでパウロたちを迫害した者たちが,州の当局者たちを動かして、何らかの方法で禁止令を出させたのか、さらに、聖霊がパウロに直接語りかけたのか、その理由は何も書かれていません。しかしパウロたちが、はっきりと確信できるかたちで伝道できない状況になったのです。計画断念です。

それで、伝道計画を練り直して、フルギヤ・ガラテヤ地方に行き、ムシヤに面したところでビテニヤに行こうとしました。それもまた、聖霊が許されなかった。どのようにしてかはわかりません。しかし現実にビテニヤに進んでゆけなかったし、行かなかったのです。聖霊は彼らの伝道計画を、またまた変更するようにと迫られたのです。それでムシヤを通ってトロアスに下りました。

パウロたちは綿密に様々な要素を考えて伝道計画を立てて実行しようとしましたが、二回も連続して聖霊が計画の変更を迫られた。神は彼らが考えていた方に進まないようにと警告された。普通ですと、この辺でがっくりときて、もう帰ろうかとなるところですが、彼らは福音を伝えるために前進しようと祈っていました。神の摂理的な導きに迅速に従ってゆくことにより、彼らを遣わそうとされた所へと聖霊は導かれました。それはアジアからヨーロッパへの道でありました。

トロアスにおいて、伝道旅行の方向が何処に向かってゆくべきかについて、神ははっきりとわかる方法でパウロたちに確信をあたえました。「ひとりのマケドニア人が彼の前に立って、マケドニアに渡ってきて、私たちを助けてくださいと、懇願する」幻を見た。

さて、ここで「私たち」ということばが突然出てきて、「使徒の働き」の著者ルカがパウロたち一行に同行していることがわかります。4人目の宣教チーム登場ということです。「彼ら」ではなく「私たち」となります。当時医者ルカがトロアスで開業していたのかどうか、他の目的で、そこにいたのかどうか分からない。しかし、ここからルカはパウロたちに同行してマケドニアに行くことにしました。以後、「私たち」と書かれてあるところはすべてルカの体験取材による記事であります。

幻を見たパウロはテモテ、シラス、ルカと相談をしました。そしてこれまでの導きと総合して考えてみるに、アジアからさらに伝道の視野をヨーロッパに広げて、マケドニアこそ、聖霊が導こうとしておられる伝道地であると一同は確信した。

そしてすぐに行動に移った。いつでも、神のみむねを行おうと備えている者たちには、その導きはあざやかというべきでしょう。また、計画の大変更があっても、すぐに従う熱心が見られることは、私たちの模範とすべきです。

結び)伝道のために誰を、何時、何処に遣わすかは、全く聖霊の主権に属することであります。どのような計画で実行するかもです。それで、祈りを込めて教会は何時の時代でもよく状況を判断しつつ伝道地を定め遣わす人を選び、世界宣教を実施してきたのです。聖霊は福音を伝える人を備え、伝えられる選びの民を備え、出会いを与え、福音のことばを豊かに用いて救いに、一人又一人と招き入れてくださるのです。わたしたちが、そのように用いられることを、いつも信じて従う備えがあれば環境を通して摂理の導きは豊かに実行されることでしょう。

神は私たちを用いて出会った人々に福音をあかしさせてくださるのです。その人々が救いの恵みに与るきっかけを、私たちを通してお与えになるのです。その光栄をおぼえましょう。

全生活の分野で聖霊は私たちを整えて、信仰の成熟へとお導きにあるのです。まず神の国と義を第一とするとき、約束通り、すべてのものは、添えて与えられるのです。聖名をほめたたえましょう。

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