2010年4月11日 使徒の働き17章16~21節 招詞第一コリント1:20~24 聖書の話 「アテネのパウロ」第一話 「憤るパウロ」
序文)使徒パウロたちは、テサロニケからべレヤにやってきたユダヤ人たちの敵対行為によってべレヤを去らなければならなかった。パウロたちは南隣にあるアカヤ州にはいり、海岸線まで逃れて、そこから船に乗って一気にギリシャのアテネまで移動した。そこで、後発のシラスとテモテを待つ計画であった。待ち合わせのために、この町に滞在したパウロは、おびただしい偶像のあるのを見て、心に憤りを感じて伝道を始めていた。福音はアテネ人にどのように受け取られたのでしょうか?「憤るパウロ」「知られない神」と二回に分けて学びましょう。
Ⅰ アテネについて
「パウロがアテネに入った時は、この町の最も盛んな栄光ある時代からすでに400年ぐらい後の事であった。紀元前5世紀〜4世紀のアテネは人間精神の絢爛豪華な花を咲かせたので、哲学(ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ゼノンたち)や芸術、雄弁術、ギリシャ詩人の宝庫ともいえるほどの才人が存在していた。政治的に自治民主政治を実施した町という名声をもち、文化と学問も栄える都であった。様々な偉大な記念碑、建築物が往事のアテネを彷彿とさせていた。しかし、今は、アテネはすでに過去に生きる町と成り下がっていた。それでも過去の遺産と様々な学派の哲学、各種類の芸術、教師たちが溢れ、あいかわらず新しい知識を追い求め、外国から旅行してくる知識人たちの好奇心、知的趣味を満足させた。町に移住する人々も大勢いた。」(ジェームズ・ストーカー[1])
アテネには、おびただしい偶像の数々があった。ギリシャ神話に登場する神々を祭る神殿が、壮大な建築物として立てられ、町の角角には、偶像が配置されて拝まれていた。ギリシャ神話の神々は古代ギリシャ文明から造られた。古代オリンピックは、神々の王といわれているゼウス神にささげられる祭典であった。ゼウスは全能なるオリュンポス12神の長である。今日でもオリンピックに先立つ採火式はこの神の祭典儀式に則って行われている。水を支配し海の王といわれる神ポセイドン、暗黒の地下世界を支配し、死の世界の王ハデス、火の神で賢者プロメテウス、最強の戦士ヘラクレス、多才なる太陽神アポロン、月の女神アルテミス、完全武装の女戦士アテナ、愛の女神セックスシンボルであるアフロディーテ等々ほとんどこれらの神々がまつれていた。これらの神々は、ギリシャがローマ帝国の支配に落ちても、名前を変えて存在を続けて、崇拝されていた。世界各国ほとんど同じ種類の偶像が名前と形を変えて存在している。日本も例外ではない。太陽神あり、月神あり、水の神、海の神、火の神、セックスシンボルを祭った神社など、ほとんどすべて、大伽藍を建造し、大神社が社会の中心地に立てられ、さらに地境の角角に守りの神々がおかれている。それらが、当時一等の文明世界を言われているギリシャのアテネに溢れていることがらは、現代にも共通の事象である。その中に人間の神についての無知蒙昧さがある。
「アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。」(使徒17:21)現代に共通する知識人たちの特徴が見事に描かれている。好奇心に溢れ、新しい情報を求め、手に入れ、それをおしゃべりの具として用いることで日を過ごしている。ギリシャの哲学者たちばかりでなく、一般人もまた同様の生活態度であった。使徒の働きの著者ルカは、あたらしいことや情報を求めることに問題があるといっているのではない。「だけで」という生き方に問題があった。本来知るべきこと、みるべきこと、存在の根底にあるべきはずの事柄を抜きにして、付和雷同する人生への警告である。人間存在を支えている創造者である聖書の神、主イエス様の尊い十字架の犠牲により救いをもたらし、新しく生まれ変わらせようとしてくださるお方。事実聖霊により、永遠のいのちを付与して、私たちの存在の根底を豊かに支え、めぐみつづけられるおかたについて、求めることをそっちのけにしている生活態度に疑義ありなのです。
Ⅱ パウロの憤り
パウロがこの異教文化の花咲くアテネで、先ず感じたことは、憤りでした。まことの生きておられる聖書の神を信じてきたパウロの心に憤りは沸々とわき出して来た。アテネと同じほどの現状にある日本に置いて、私たちの心情はどのようでありましょうか?
パウロの憤りは、主イエス様が、エルサレムの神殿の庭で商売をしている人々に向けられた聖なる怒りと同様の心情である。あまりにも、まことの神様がないがしろにされていることへの聖なる怒りである。主は言われた。「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」ヨハネ2:16
神の御名が冒涜され、神礼拝の清さが、これほどにゆがめられていることへの憤りが噴出している。それほどまでに聖書の神礼拝は、高い尊厳を払われるべきである。他の何もののも代えてはならないのである。十戒の第一戒、第二戒を心から覚えて歩むことは、その正反対の人間の罪を憤る。「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それを拝んではならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」(出エジプト20:3~6)
パウロは、主イエス様の行動を見た訳はないが、同じ心情にあった。
そして「あなたの家を思う熱心が私を食いつくし、あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです。」(詩篇69:9)とのみことばを彼も経験した。これほどの偶像崇拝にふけるアテネを見て、まことの神へのひどい侮辱を黙っておれなくなった。神の家を思う熱心が、伝道への心をかき立てた。
偶像にあまりにもなれきってしまっているわたしたちは、時として、これら偶像崇拝の事実にあきらめてしまい、それらの勢力に絶望感をいだいて、福音宣教の熱心を失い、なにをしてもすべてが徒労という感覚に捕らえられがちである。さきごろ札幌で行われた日本伝道会議は、そのような徒労感、福音宣教への厭戦もよう、などを払拭しようとした会議でもあったことを思い出す。偶像崇拝の満ちた社会になれすぎて、ときに不快感をだきつつも、何もできないでいる。このような反応のしかたは、自分たちの神礼拝をどれほど大切で、真実なこととしているかの裏返しでもある。恵みを施して千代にといわれた神の祝福のことばの大きさ深さに驚くべきである。その約束の真実、忠実さに目覚めるべきである。偶像崇拝するものへは、神の裁きは三、四代で止まるのである。だから、神は私たちが、福音に生き、宣教の喜びにあずかり、恵みの数々を味わうようにと招きつづけておられる。
偶像にたいして聖なる憤りを覚えるほどに、聖霊に満たされましょう。そして霊とまことをもって神礼拝をつづけましょう。
Ⅲ パウロは論じた
ユダヤ人の会堂で論じた。アテネの広場でそこに居合わせた人々と論じた。何を論じたのか。もちろん、主イエスの福音である。エピクロス派、ストア派の哲学者たち幾人かとも論じた。ストア派、エピクロス派の学説は次のようなことである。以下ブルースのまとめです。[2]「ストア派はクプロ人ゼノーンを開祖とした。本性と一致した生活を目標とし、実践においては、人間の理性的能力の優越性や個人の自己充足性を力説した。神学においては、本質的に汎神論で、神を世界霊魂と見なした。真に自由な精神の持ち主が平等の市民権をもつ。世界国家を信じる彼らの信仰心は、民族や階級の差別の破壊に役立った。ストア主義の最高のものは、偉大な道徳的情熱と高貴な義務意識とを特徴としていたが、同時にキリスト教の精神とは全く無縁な、精神の尊大を特徴としていた。」「エピクロス派は、エピクーロス(紀元前341~270年)を開祖とする。デモクリトスの原始論的自然学に基く倫理説を奉じ、快楽を人生の主要目的とした。最も享楽に値する快楽は、苦痛や、心を乱す情熱や、(特に死の恐怖を含め)迷信的恐怖を免れた、静かな人生であった。彼らは神々の存在を否定しなかったが、神々は人間の生活に何の興味ももたないと主張した。」「万物は偶然によって生じる」とも主張していた。
二つの哲学派は、以来、これを超える新しい論がないままに、一方を採用すると一方は捨てなければならない関係にあった。
そこに、パウロは彼らのいう「新しい説」を持ちこんで論じたことになった。彼らの反応は、アテネ人に通用する俗語で答えた。「このおしゃべりは、何をいうつもりなのか。」「彼は外国の神々を伝えているらしい」と言った。『「おしゃべり」とは、「種をついばむ鳥」を表し、そこから広場で物を拾う「拾い屋」「不浪人」、ついには、あちらこちらから知識を受け売りする「受け売り屋」を意味するようになった。』(ブルース[3])パウロは哲学の古物を安売りする人物と見られた。
「外国の神々」は「パウロがイエスと復活とを宣べ伝えた」からとある。これはギリシャ語の理解から、聞いた人々が、「いやし」と「復活」の力を宿した新種類の神々を伝えようとしていると誤解したために言われた。
パウロはアレオパゴスの評議所に連れて行かれた。アレオパゴスの評議所は、外来者にたいする宗教と道徳に関して威厳ある裁判所の役割を負っていた。パウロは裁かれるためではなくて、彼の学説を説明するためにつれていかれた。それは彼の説を新しいと判断したからである。
わたしたちの信仰について、聞いてくださる人々がいるときは、どのような場所、機会であっても、パウロのように、いつでも臆することなく遠慮なく福音を解き奨めましょう。パウロがそのようにしましたが、その結末については、次回に学びましょう。
結び)パウロの伝えるイエスの福音は、既存の哲学者たちや、文化人たちにとって、「新しい」と受け取れたのです。私たちの信仰内容が古びた手あかにまみれたものではなく、常に新しい十字架と復活のいのちに溢れた福音であることをしっかりと自覚して、弁明し、論じ、あかし
してまいりましょう。