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2010.10.17 ピリピ2:4-8 キリストの富と貧しさ

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2010.10.17 招詞 ピリピ2:4-8 聖書Ⅱコリント 8:1-9

 序文)この文脈は、エレサレム教会の貧しい聖徒たちを、当時の異邦人教会ことにマケドニアの諸教会がどのように援助したかの記録であり、勧めが書かれています。マケドニアの諸教会とはベレヤ、ピリピ、テサロニケにある教会などを思い浮かべることができます。ここで扱われている内容は、慈善献金の事柄が中心ですが、献金全体についてのあり方を学ぶことができる箇所です。

Ⅰ パウロは献金に励むことを「恵み」と呼んでいる。

1節「マケドニアの諸教会に与えられた神の恵み」4節「聖徒たちをささえる交わりの恵み」6節、7節、19節「この恵みのわざ」9:14「絶大な神の恵み」

他の表現として「この奉仕」「このわざ」「支える交わり」ともいっている。これらのことばのなかにはサービスとか援助、人に与えることにおける分担の意味がこめられています。日本語の聖書で10節9:4節に「献金」ということばがありますが、ギリシャ語原文には、単に「このこと」といわれているだけです。

 

献金は、神様の溢れる恵みに感謝してでなければ、ささげることはできない。単に健康や財産や知恵や力ばかりでなく、何よりも永遠のいのちの恵みを賜わったことへの深い感謝からでる。神様への献身の表われとなり、ひいては主にあって恵みを人々に分け支援となる。貧乏だからできなく、金持ちだからできるという種類のことでない。持ち物や財産によるのでなく、主イエス・キリストの救いと守りと完成への恵みをどのように受けたかによる。マケドニアの諸教会の聖徒たちは2節といわれている。

さらに大事なことは「自分自身を主にささげる」ことです。恵みに目を向け、感謝し、自分をささげるとき、献金はみずから進んで、力に応じ、いや時には力以上にささげることができる。

 

Ⅱ キリストの模範

マケドニアの諸教会の例と共に、パウロは主イエス・キリスト様の模範を示した。

主イエスの恵みを、その払われた犠牲の大きさを覚えよう。

1 「主は富んでおられたのに」と書かれている。いかに富んでおられたか。

コロサイ1:15-17、ヘブル1:2-3

神にみ子として、すべてのものがキリストのために造られ、キリストによって造られ、全宇宙にみ子の支配と権能が及んでいた。この地球のみならず、全被造世界のまことの所有者、支配者である。

ヨハネ17:5世界が存在する前に、神として栄光に満ち輝いておられた。み父との間に完全な愛による交わりを保っておられた。

 

2 いかに貧しくなられたか。

キリストは神と等しくあることを固守すべきこととは思わず、かえって、おのれをむなしくしてしもべのかたちをとり、人間の姿になられた。さらに、おのれを低くして不名誉な十字架の死にまでつかれた。主はその誕生においては客間にいる余地がないというので馬小屋でお生まれになった。飼葉桶に寝かせられた。ナザレの大工の息子として貧しさのうちに生活を送り、公生涯にたたれてからは、人々を教え、いやしてまわられた。その道中でも「空の鳥には巣があり、狐にはほら穴がある。しかし人の子には枕するところがない。」といわれた。悪霊を追い出してもらったり、病気をなおしてもらった数人の婦人たちは、この貧しきキリストのために、自分たちの持ち物をもって、イエスに奉仕した。また主は宮の納入金を納めるために、ペテロを湖にいかせて魚をとらせ、その口の中から出てきた金貨を用いた。死にのぞんで自分の母親の面倒を見てもらうために、弟子ヨハネに頼み込んだ。十字架の死後は借り物の墓に葬られた。

さらにキリストは、当時、身分の卑しいといわれていた人々と交わられた。「取税人、罪人の仲間」とまで呼ばれた。罪人であった女が香油をぬったのを喜んでお受け下さり、彼女の罪を許された。弟子たちも皆、身分の貧しい人々であったが、主は天国の偉大な奥義を彼等に現わされた。主は仕える者として歩まれ、最後には弟子たちの足まで洗らわれた。

また、主はこの地上で本当のいみで理解してくれる友を持たなかった。その使命の特異さの故とはいえ、孤独という点では、主ほど使命の故に孤独を味わわれたお方は他にいない。十字架上では最愛の父なる神から、見捨てられた。「わが神、わが神、なんぞ我を見捨てたまいし。」と叫ばれた。

なぜこれほどの貧しい状態にて地上生涯を送らなければならなかったのか。それは主イエスの貧しさによって、わたしたちが富むものとなるためであった。

 

3 主は、どのようにしてわたしたちを富むものとしてくださったか。

まず、み子の十字架の贖いをうけたわたしたちは、霊的にはかりしることができない祝福を受け富むものとなった。ひとことでいうとキリストが持っておられた栄光を受け継ぐものとなった。ヨハネ17:22。ペテロはこのことをキリストのご性質にあずかるといっている。義、聖、子としての祝福、それらにともなう高挙、栄光の復活

ローマ8:17キリストと共同の相続人とされた。

エペソ2:7 これからの世において、キリストはさらに、これらの中身、内実を味わわせ、豊かに体験させて、その「恵み」の尽きないさまのなかに一人一人を愛し続けてくださる。

 

結び)ローマ12:1-2

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