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2010.10.31 ルカの福音書1:1-4 連続講解 開始「ルカの福音書序文」

2010.10.31 ルカの福音書1:1-4 連続講解 開始「ルカの福音書序文」

序文)ルカの福音書は、「わたし」異邦人の著者ルカが書きました。宛先はローマ政府高官である個人テオピロ(異邦人)です。異邦人のために世界の救い主イエス・キリストを紹介しました。それは他の三つの福音書がユダヤ人によって書かれたことに比べて、民族的な視点を離れて世界大の視点で書かれたということです。主イエス・キリストの福音の真理は、すべての創造された世界の人々のために存在し、通用するのです。救いの真理の普遍性をルカは証明しようとしています。「使徒の働き」の序文にルカは書いていますが、「前の書(ルカの福音書)は、イエスの話しはじめ、教えはじめたことである。」といっています。ルカは、序言のあとに、イエス・キリストの生涯とその幼児時代のことを入れ、バプテスマのヨハネが登場し、次に本論であるイエスの公的生涯、受難、復活がくるように書きました。

 「使徒の働き」を先に学び終わりましたが、当時のローマ世界は、ギリシャ文明とローマ文明の交錯する物質文明の一番繁栄していた時代でした。ルカは異邦人の霊的必要を見て、彼らに向けて書いたのです。「ルカが福音書と「使徒の働き」の資料をAD57〜59年にパレスチナで集め、他の資料をローマで付加し、61年にテオピロに福音書を送り、つづいて、すぐに「使徒の働き」を送ったとする見解には、十分な証拠が存在しています。」(10.9.19使徒歴史講義資料より)

 ルカの記録の正確さは、ルカが歴史家である一面を示しています。彼は序文で福音書を書くに至った動機と、目的と、方法を書いています。ルカの序文のニュアンスを少しでも理解するために、ギリシャ語本文の語順で以下説明してみようと考えました。

Ⅰ ルカの福音書を書いた動機

1-2節 ルカが福音書の書き出しのことばは、「ので」(新改訳)「故に」(文語)—-すでにこころみております「ので」(ギ語–エピディーペルinasmuch as)です。書き出しが「今まで経験してきたことですが、」で記された堂々たる序文で,原文は4節の終わりまで、ピリオドなしで一気に書いています。語句のつながり具合を翻訳することが難しい文章です。「……ので」という重々しい語を冒頭に付して,執筆の動機・目的・方法を記しました。

何「故に」なのでしょうか。

それは「多くの人々が記事にまとめて書き上げようと、すでにこころみておりますので、」(新改訳)、他の訳では、「我らに伝えし其のままを書き列(つら)ねんと、手を著(つ)けし者あまたある故に」(文語)「物語を書き連ねようと、多くの人々が、すでに手をつけています。」(共同訳)文字通りには(原意「上に手を置く」で「着手した」の意味.試みたが失敗したという意味はここにはない)「着手する」(have taken in hand)です。新約聖書でここにしかでていない語です。すでに着手しているけれども、私もしようとおもう。「物語」もここにしか出てこない語です。「書き連ねる」という考えが大事にされています。ルカが手にしていた資料は、おそらくマルコの福音書と、イエスのロギア(語録)といわれた文書ではないかと考えられています。

それは「私たちの間ですでに確信されている出来事について」です。ここで「確信」と訳していることばは、むしろ「成就した」と訳したほうがより正確であると考えます。原語では、「成就」(プレレス)を意味する語根から出てきたことば(ペ プレロ フェレ メノンー完了受け身分詞which have been fulfilled)が使用されているのです。すなわち、何百年前からの預言を人々が、待っていて、それが「成就した。」とルカは冒頭に書いているのです。

すでに主イエス・キリストに関する出来事は、その目撃者情報とそれを伝える説教者がおり、その語られた事柄が記事(文書)になって存在していると言っています。「目撃者で,みことばに仕える者となった人々」は,ルカを含む〈私たち〉と対比される人々で,使徒を初めとする1代目キリスト者世代のことです。ルカは〈目撃者〉という語で「出来事」の歴史的真実性を強調しています。「みことばに仕える者」という語で「出来事」が神の御言葉の成就であることを強調します。「伝えた」は伝承を伝えるという初代教会の術語(Ⅰコリ15:3)で,ここでは口伝伝承のことです。

始めにイエス・キリストの出来事は、目撃情報者である使徒たちによって口で「伝えられて」きたのです。それは預言が書きしるされて旧約聖書となっているように、成就した事柄が順序よく書きしるされて、新約福音書として残そうとルカはしたのです。他の人々もそれはしてきたのですが、歴史家としての目で残そうとしてというのです。主イエス・キリストの福音は、それほど重大な出来事だったのです。

 

Ⅱ ルカの福音書を書いた方法

3節「私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。」

著者はここで「わたしが」と名乗っています。「私にとってそれは良い」(It seemed to me also)と書いているのです。この著者がルカで在ることは「使徒の働き」ですでに学びました。あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。ルカは自分がイエスの物語を書くことを決めたことは良いといっています。それは、今までの資料類は異邦人にとって不十分なので、異邦人である自分が、初めから綿密に調べたことを、順序立てて書こうとしているのだ。そのことの正当性を主張しているようなニュアンスが感じられます。

主イエス・キリストについて、初めから一歩一歩見落とさないように足跡をたどりながら、注意深く出来事をかきます。それは時間的順番というよりは、ルカが書いた目的に適った順序という意味でしょう。献呈しているテオピロに「教えを受けたことがらが正確の事実である」事を分かってもらうための順序正しさと理解します。

献呈は「尊敬するテオピロ殿」(Most excellent Theophilus)です。彼が誰であるかは、正確には分からないのですが、明らかに身分の高い個人です。信者ではない。兄弟といっていない。しかし、「私たちの間で」(1)という語句と「すでに教えを受けられた」(4)という語によって,彼がルカ及び原始教会と近い関係にあった人物であることはわかる。求道者だった可能性は十分にあります。

 

「ルカの福音書」も「使徒の働き」も個人「テオピロ」に当てられているのですが、それが、現在までも公に通用してきたのは、いかがなものかと考えられる方もいるかとおもいます。通常は、個人が書いたものは、今で言う日記とか、覚え書き、メモ、などは公刊するはずではないのです。手書きでした。今はワープロに打ち込んでおくとかありますが、当時は、すべて手書だったのです。新約聖書の時代もそうでした。しかし、これに献呈の辞が書いてありますと、個人の秘蔵(私文書)ではありませんので、献呈された人は、すでに公になったものとして、送られた文書を皆で回し読みしてもよいし、次々と写して広めてもよいのです。それで私たちまで届いたのです。感謝して読みましょう。

 

Ⅲ ルカの福音書を書いた目的

4節「 それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。」

「すでに教えを受けられた」は(ギ)「カテケーセース」で、「エケオ」英語のechoの前に「カテ」がついて「口頭でおしえる」「くどくどと教え込む」などの意味をもつ。「これは「カテキズム」(教理問答、信仰告白)の語源となった語です。

「事がら」(〈ギ〉ロゴスの複数形)は1節の「出来事」ではなく,「複数のことば」「もろもろのことば」の意味なので、これは教会が彼に教えた「ことば、文言、教理、教説」という意味にとれます。また、そういう観点からは、「出来事」、「ことがら」ともとれます。

「正確な事実であること」(「固める,堅固にする」の派生語で「信頼,安全,確実」という意味)が序文の最後に置かれて強調される.ルカはこの序文で,本書によって,キリストの福音が確固たる基盤の上に立つ,信頼すべき「ことば」(〈ギ〉ロゴス)であることを〈よくわかっていただきたい〉(悟ってほしい,理解してほしい)と読者に語りかける。

結び)ルカが福音書を書いた動機と目的と方法を、理解した上で、次週からの本文の学びに供えましょう。そして、歴史的な確実な事実の上にたって、救い主イエス様の出来事のすべてが起こったことを信じ、私たちの信仰の確信がまし加えられますようにと祈ります。

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