2010.3.28 詩篇118篇25−27節 聖書マルコの福音書11章1−11節 聖書の話し 「平和の王 」
序)初代教会が福音のどこに強調をおいていたかは、福音書の中のイエスについての記事の扱い方からわかります。記事は、イエスの生涯よりも死について、示された模範よりも贖いについて、ベツレヘムよりもゴルゴタについて多くしるしているのです。マルコは福音書の1章から10章まで、主イエス様の3年間に渡る宣教記録を載せました。そして11章から16章までを生涯の残りの16日間のことに充てました。
Ⅰ エルサレム入城
旧約聖書の時代に、神様は預言者に、みことばを授けて人々にメッセージを伝えさせました。人々が聞こうとしないときは、何か劇的な行動でメッセージを伝えました。耳を貸さない人々に目で見せようと迫ったのです。主イエスはエルサレム入城に際して、メシヤであることの計画的な劇的主張をされたのでした。それまでは、ご自分が救主であることを誰にも語らないようにと戒め、自らも身を隠してこられました。しかし、主イエス・キリスト様はこの日から堂々と王様として首都エルサレムに姿を現し、人々の熱狂的な歓迎を受けられたのです。
1 1−6節 イエス様は、ベテパゲに二人の弟子たちを遣わして、子ロバを引いてこさせようとなさいました。その状況を見ると、この事は前もってエルサレムにいる友人に子ロバを用意させておいて、合い言葉に「主がお入り用なのです。」と言うことを打ち合わせてあったというようなことではないのです。「もしだれかが、あなた方に、何故そんなことをするのかと言ったなら」という言葉から分かります。とすると、この出来事はイエス様の全く超自然的な予知能力と相手が誰であっても自分を用いようとするときに好みの方法で動かせる支配力をお持ちであることを指し示しています。
次にロバの子は「まだ誰も乗ったことのない」といわれています。聖なる目的のために用いられる動物は他の目的のために用いられたものであってはならなかったのです。このことはイエスご自身が神ご自身であることを暗黙の内に主張しておられるのです。エルサレム入城に備えるとき、主はメシヤとして自らが全知全能である主権者・神であることを示されたのです。
2 次に7節「そこで、ロバの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。」このことは旧約預言の成就でした。ゼカリヤ書9:9「 シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ロバに乗られる。それも、雌ロバの子の子ロバに。」ゼカリヤは紀元前6世紀ごろにシオンの娘・すなわち選民イスラエルの都に向かって契約の血ゆえに、世界的な改心をもたらす主人公を紹介しています。ロバの子に乗る王様は「正しい方」といわれ、神様との関係では正しい王様です。また「救いを賜わり」は「救いを自らの内に持つ」王様であり、「柔和な」王様です。この王様がロバの子に乗ると言うことは「平和の王」としてやってくることを意味していました。通常、王様は軍馬に乗って威風堂々とやってくるのです。
さらにロバにではなく子ロバに乗ってです。へりくだりを顕しています。このことは契約の血との関連でキリストのへりくだり(謙卑)と受難を暗示しているのです。ですからこの王様のすがたは、この世の王のような壮麗さや、権力や軍事力、富と共通するようなものは一切なく、神の前に正しく救い主であり平和の王として君臨される霊的な王であることを外面的に象徴していたのです。イエス・キリスト様は、エルサレム入城をなさるときに、このゼカリヤに示されている王様としてご自分を顕わされたのです。
Ⅱ 8-9節 エルサレムの人々の反応
1 自分たちの上着を道に敷き(列王第二9:13参照 )流血の王エヒュウが預言者エリシャの使者から油を注がれて王様に就任するときに、同僚たちが急いでおのおのの服をとり、それを階段の上のエヒュウの下に敷き、ラッパを吹いて「エヒュウは王である」と言ったのと同じことを人々がしたのです。王様として認めたことを示します。
2 他の人々は葉のついた枝を野原から切ってきて敷いたのです。ヨハネはこれをシュロの葉枝と言っています。これは王様や凱旋将軍を迎えるときに用いました。イエス様の時代から100年ほど前にマカベヤ家のシモンがイスラエルの敵をうち破ってエルサレムに入城したときに「ユダヤ人はシュロの枝を振り、歓呼の声を上げ、竪琴やシンバルや他の弦楽器を奏でて賛美の歌を歌いながら要塞に入った。イスラエルから大敵が根絶されたからである。」(第一マカベア書13:51)としるされています。
3 9節 「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た。われらの父ダビデの国に。ホサナ。」この叫びは、過越の祭りや仮庵の祭りで巡礼者たちとエルサレムの市民が、詩篇118:25-28「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。 主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。 主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。」を交互に唱和しあった後にエルサレムの神殿に到着したときの挨拶でありました。
「来られる方」メシヤのもう一つの呼び名でありました。ユダヤ人はメシヤについて言うときに「来られる方」といっていました。ホサナー「今救ってください。」「どうぞ救ってください」という祈りのことばです。このことばは王様の助けと保護を求める人々によって使われています。(参照サムエル第二14:4,列王第二8:26)人々がホサナと叫んだときに、それはイエス・キリストを賛美する叫びと言うよりも、いまやメシヤが来られたので、神様が介入してその民を救ってくれるようにと言う叫びだったのです。
以上の事柄を考え合わせると、人々はイエス・キリスト様を王、メシヤとして迎えたと言うことがよく分かります。
しかし、よくよく見ますと人々がイエス様をご自分が顕されたとおりにメシヤとして認めたかというと、どうもそうではないようです。人々は柔和の王、謙遜の王、平和の王としてのメシヤの謙遜と受難により救いをもたらす王様としてではなくて、征服者であると考えていたのです。流血のエヒュウのように王は王でもローマ帝国の支配を破壊し粉砕し押しつぶす王様と考えていた風であります。エルサレム入城の歓迎ぶりはロバの子にあえて乗られたお心を理解していると思えないのです。
少なくともイエス様が主張されようとしていた、メシヤ・平和と義と愛の王様を迎えるにふさわしい歓迎だったかは疑問が残ります。人々があまりにも旧約聖書のメシヤ像を取り違えていたために、イエス様はあえてこの入城に姿によって人々の目に訴えようとされたのでしょう。新約聖書の時代になり主の救いが成し遂げられてからは、この「ホサナ」は賛美のように取られて歌われていますが、この時点では人々の心は、現代の私たちの心とは違っていたのです。そのために5日の後には、同じ口で彼らはイエス様を「十字架につけよ。十字架につけよ」と叫んだのです。人々はロバの子に乗るイエスをついに理解できないままだったのです。
Ⅲ 平和の王は十字架に
「 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。 」(第一コリント2:8-9)まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」人々の考えによると平和の道が謙卑と受難であり、救い主がロバの子に乗ってくるとは理解できませんでした。
ヨハネは黙示録で7:9-10「その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大勢の群衆が、白い衣を着、棕櫚の枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」シュロの枝を手に持った大勢の群衆が叫んでいる言葉を書き留めています。救いは、まことの平和は、神の国は、武力や政治力や駆け引きで来るのではない。物質的な富からくるのでもない、この世の人々が考える世論からでもない。世論を作り出すジャーナリステックな意見から来るのでもない。救いは十字架にかけられた子羊である主イエス・キリスト様、平和の君から来るのです。
結)彼こそまことの平和の王です。平和を神と私のあいだに、わたしと人々のあいだにもたらすことの出来る和解の主です。彼にあって平和を作り出すものは幸いです。主イエス様を抜きにして平和を作り出そうとするときに私たちは当時のユダヤ人たちを同じ過ちを犯し、十字架につけろと叫んでしまうのです。ロバの子に乗るイエス様を終生心に刻みましょう。彼は今、王の王・主の主です。