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2011年10月16日 ルカ 8:26~39「霊の自由」

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 2011年10月16日 ルカ 8:26~39「霊の自由」

 序文)主イエス・キリストがガリラヤ湖上で風と荒波を叱りつけられたことで,自然界にたいする主権者でありたもうことを示されました。今日の聖書の箇所では、この主は霊の世界にも主権者であられることが証明されております。私たちの霊性にも力を発揮されるお方である事を覚えつつ学びましょう。

Ⅰ ガリラヤ湖の南、ゲラサ人の地には、おおぜの異邦人が住んでいました。そこの人たちはユダヤ人から見ると汚れた動物と見なされていた「豚」を飼っていました。彼らと共にユダヤ人達も堕落して、神様の命令に反した生活を送っていました。宗教的無知と迷信の地にイエス様と弟子達は上陸しました。

陸に上がられてすぐに墓場を住処としていた、汚れた霊に憑かれた人に出会われました。墓場に寝起きしていたのです。正常な感覚の人間社会から離れて、誰しもいやがるような死人の世界に住んでいたのです。それも、彼が時々発揮する超人的な力のために、鎖と足かせで繋がれて監視されていました。人々は彼の事を有害な存在と考えたし、彼も錯乱し理性を失った振る舞いに及んでいました。彼の人生は崩壊していました。この人は単なる精神病ではない。主イエス様が「汚れた霊よ、この人から出て行け!」と言われたとき、あきらかに彼を以上な霊力に支配されていた者とみておられました。悪霊に憑かれたために肉体的にも霊的にも調和や秩序が乱れに乱れ、不和、混乱が現れました。たしかにこれは病気以上のものでした。

Ⅱ 現代人の多くは、目にみえる物質世界しか実在はないと思っています。しかし、人間は昔から物質世界以外にも被造物が実在する事を本能的に知っていました。物質世界に動物、植物、鉱物があるように、霊の世界に人間の霊以外のいろいろの霊的存在がある。

聖書は「御使いたちは、すべて仕える霊であって,救いを受け継ぐべき人々に奉仕するために遣わされたものではないか」(ヘブル1:14)。と天使の存在を告げています。このみ使いは本来、人間の救いに奉仕する存在でありました。しかしみ使い達の中で、神に反逆して堕落した天使たちは、悪魔、悪霊となりました。あるものは、天上で、あるものは地上で、神に逆いつづけています。

この悪魔、悪霊は人間の救いを妨げるために、あらゆる努力をしています。救い主キリストに人々を渡すまいと働いています。福音に敵対して異端を持ち込みます。第一ヨハネ4:1〜3。また人々に偶像崇拝を行わせます。パウロは「第一コリント10:19〜21」で偶像崇拝は悪霊崇拝であるとはっきりと言っています。だから人間の救いということは、霊の世界では神とみ子と良い天使による,悪魔からの奪還の戦いなのです。エペソ2:2,6:12.

現代人が悪霊の存在を否定したとしても、その悪霊がもたらす無神論、偶像崇拝,異端が満ちている事を見る時に、都会人こそ、その実り、悪の霊に最も深く心を蝕まれているのです。それは神の目に崩壊した人生ではないでしょうか?

 

Ⅲ この人は、38〜39節によると、生き返った人生を歩み始めています。実に彼において主イエス様が働かれ、悪霊を追放されたからです。主イエスが汚れた霊に、この人から出て行け、と言われた。悪霊はイエスとその命じる権威がある事を認めていた。それで、自分の滅亡を恐れて「28節」と叫びました。悪霊はキリストの命令にかたくなに反発しました。しかし、主は、この人の声明に危険が及ばないように段階的に追い出されました。彼が自分の本名を言えば、人間としての存在を認めさせることができ、初めから悪霊の奴隷ではない事に気づかせられるからです。

ところが、悪霊が本人に変わって答えました。レギオン。彼のたましいは全面的に支配されていたのです。悪霊は彼の口をかりて,自分たちの願いを言いました。この土地から追い出さないでくれと。しかし、主の権威に彼らは服せざるを得ませんでした。そのため近くに居た豚に入り込みました。2000匹もが海に崖から駆け下りて死にました。

 

Ⅳ 人々は35〜37節

多くの豚を失いました。一部始終が語られ、彼らはイエスがこの村に居るともっと多くの豚を失うと恐れました。また、主が悪霊を追い出され、レギオンに憑かれた人が正気である事に恐怖を感じたのです。

世間の人々は、この一人の人のいのちが助かり、悪霊から解放され,霊に自由を得たという喜び、幸いよりも、2000匹の豚のほうが大事だったのです。ここでは豚2000匹の価値のほうが、一人の人間の価値よりも上と見られていました。このものの見方は現代社会の病根となっています。人間の存在が、その本質によってではなく、価値によってだけ量られる社会、唯物主義的人間観というこの恐るべき反神的思想に、わたしたちも知らないうちに落ち込んではいないでしょうか?

人間の霊が自由をえるためにキリストが,私たちを悪霊の奴隷状態から解放し、罪の奴隷から解放してくださったのでした。それもご自身の十字架上の身代わりの死による贖いをすることによってでした。

それなのに、人間はこのことに恐怖を感じているのです。私も自由にしてくださいと申し出るどころか、ここから立ち去って下さいといっているのです。悪霊を追い出してもらった人は、イエスのお共をしたいと願いでました。イエスは自宅に帰って神がなさった大きなことを語るようにと言われました。

結び)自分の魂の不自由さを知り、解放されたものは、その喜びを知っている。恐怖ではなくて、感謝を抱いている。主に仕える。立ち去れといわずに主に従ってゆく。自由にされた、わが身を証拠として,力強く、家族にも町の人々にも,イエスキリストを述べ伝える事ができる。

主を信じたものは、この解放の事実を深く心に受けて、さらに主にしたがいましょう。

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