2011年1月2日 ルカの福音書 2:40~52「イエスの少年期」
序文)新年おめでとうございます。今年は1月10日が成人の日です。日本では20歳で成人と認めます。イスラエルの国では13歳で成人です。「5歳で信仰の学びを始めるべきである。10歳で伝統の研究に専心すべきである。13歳で天の神のすべての律法を知り、実践に移すべきである.15歳で知識の完成が始まる。」(タルムド)と言われています。13歳になると信仰上は一人前で、その権利、義務が要求されました。今日でも少年たちは、13歳になると宗教的儀式のともなった成人の日を行い、また、聖地を守るために国境に遣わされて武装して監視に立つことになっています。また、輸血用の献血をすることになっています。
イスラエルの親たちは子供に宗教教育を徹底しておこない,神のみことばを教え、また、律法学者たちのところに行かせて学ばせたのです。12歳になると成人への準備教育をおこないました。毎年イエス様の両親は「過ぎ越しの祭り」にエルサレムに行ったのですが、イエス様が 12歳のときエルサレムに連れていったのも、このためでした。ここにイエス様の地上ご生涯で公に救い主の働きを開始される前の30年間で、一度だけ少年期のイエス様の姿をかいまみさせる出来事がおこりました。福音書の著者ルカは、この出来事を記すにあたって、40節「幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった.神の恵みがその上にあった。」と導入しています。そしてこの神殿での出来事がおわり、ナザレの生活をおくられているイエス様のことを52節「イエスは増すます知恵が進み、身丈も大きくなり、神と人とに愛された。」と結んでいます。ルカは、ここでイエス様人間性の成長と信仰と知恵と行いの成長ぶりを読者に知らせようとしました。
Ⅰ 42〜45節 エルサレムの帰り道両親がイエス様をさがしたこと
さて、この箇所はエルサレム詣での帰り道、両親はイエスさまが一緒にいると思って一日の道のりを行ってしましました。そこで気がついて探し始めましたが、おられないことがわかったのでした。迷子になったか、行方不明なのです。両親は大変心配して、来た道を探しながらエルサレムまでもどりました。三日の後にようやくイエス様が神殿の中に見つけました。なぜこのようなことになったのかと言えば、その当時エルサレムの祭りに出かけるときは、町々、村々でグループを作って行ったのでした.先頭に子供たちのグループ、その後を女性たち、最後に男性たちというようにです。これは弱い者たちを先に歩かせるためで,全員が無事に到着するようにとの配慮なのです。帰り道もおなじです。イエス様は子供のグループ、母マリヤは女性のフループ、父ヨハネは男性のグループにいました。それに子供たちは列の先頭や中頃に、あるいわ後ろにと遊びながら歩き回りついていったのでした。両親は子供たちがグループの中にいると思い込んでいたのでした.ユダヤの全土から祭りへの巡礼者はやってきて、旅路は込んでいたのです。両親がイエス様を見失った理由はおよそこのようでした。私たちへの霊的教訓はなんでしょう?私たちは信仰によって毎日,「ともにいる」と約束してくださったイエス様と生活しています。心の中に家庭の中に職場の中に学校の中に常に共におられるのです。しかし時々、本当に主は共に歩んでおられるのかと振り返ることが大切でしょう。それは主が共に歩んでくださらないところがあるからです。私たちの心に罪み深いねたみや怒りが満ちて,不満があふれているとき,主は閉め出されているのではないでしょうか。主が足をはこばれないような場所に、私たちが踏み込み、主が別のところにとどまってしまうということがないでしょうか。そうしてしまういろいろの事情がマリヤと同じようにあるでしょう。不可抗力と考えられることも起こるでしょう。しかしそのようなとき両親がしたように、主イエスを再びみつけるまではたとえそれが何日かかっても探し求めることをしなければなりません。たとえ悔い改めることになっても、主を共に歩むことの方が、いな、主のおられるところに自分を置くことの方が結局は祝福なのです。
II. 46〜50節 神殿の中でのイエス様の言行
さて,イエス様はエルサレムの神殿の中で、何をしておられたのかといえば、46〜47節 律法の教師たちの真中に座って話を聞いたり、質問をしたりしておられたのです。イエス様の「知恵」の増し加わりぶりは、ここにあるように、聞いた人々はみな,彼の知恵を答えに驚いたのです。ここの知恵とは、「神を畏れ敬うことが知恵のはじめ」であるとあるとおり、天の神様との結びつきから与えられるものです。イエス様は両親から他の子供たちと同じように旧約聖書を学んでいました。詩篇やイザヤ書は良く覚えられていたようです。当時の都会の子供たちは神殿や会堂で学者、教師たちから問答形式の本格的教育を受けたのに、イエス様はそのようなことがなく、今回初めて学ぶチャンスが与えられたのでした。しかし、教える側の先生たちが、驚くほどに神様のこと、聖書のことを良くご存知だったのです。家庭で両親が行う信仰教育、聖書の学び、また、教会学校で行う、信仰教育の重要さを、ここに気づかせられます。とくに親の責任は重大です。神を畏れる知恵は、イエス様のように学び続けることで身に付くのです。神の子だから知恵が合って当たり前と理解したらまちがいです。人間イエスさまは、学ばれることによって知恵がましていったのです。私たちをおなじです。
III. 48〜49節 イエス様と両親のやり取りをご覧ください。
母マリヤが「まあ、あなたはなぜ、私たちにこんなことをしたのです。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」とかたりかけたのに、イエス様は「どうしてわたしをお捜しになったのですか。私が必ず自分の父の上にいることをごぞんじなかったのですか。」とこたえられました。この答えは少年イエスの心に、すでに天の父との直接的な親子関係の自覚が育ちつつあったことをはっきりと示しています。この答えは、人は皆神の子式の一般的なものではないのです。イエス様のお考えでは、ご両親が自分をさがす方がおかしい、というほどのものでした。当然のことですが、ヨセフもマリヤもこの答えを理解することができませんでした。でもマリヤはこの言葉を心に留めて覚えていたのです。私たちはこの母親の態度から学ぶことがあります。みことばを聞いたその時イエス様の言葉の真意がわからなくても、心に留めておいたことで、イエス様が復活され、昇天されたときに一切が分かったのです。その結果この出来事があかしされてルカの福音書に記録として残ったのです。私たちは神のことばについて自分の頭で不可解ともう解き、簡単にその言葉を捨ててしまいます。理解できることしか蓄えない傾向があります。しかし信仰の人が,神の語られるみことばや、その導きの不可解なときも、心に留めておくときに、やがて光を与え一切を諒解し、あかしさせてくださる時が来ることをおもうべきでありましょう。神は必ず分からせてくださる時を与えてくださると信頼することが大切です。
51〜52節 ナザレで両親に仕えられたイエス
エルサレムの神殿で、イエス様はご自分の独自性を主張されました。しかしその後、共にナザレに帰られました.公の仕事につくまで、18年間親と家族に仕える生活をなさいました。父ヨセフの存命中、また死後も、大工の仕事を手伝い、その家で与えられた持ち場で労苦されました。
両親は貧しかったのです。イエス様は知恵に道力強く成長し、神との本質的な結びつきに目が開かれておられました。けれどもご自分の使命と現実生活のギャップの中で忍耐と自己否定を自ら従うことによって示されました。そこには悩みも伴ったことでしょう。父と子が共に同じ仕事をすることの種々の問題もあったことでしょう。主イエス様はそのような悩みを持つもののためにも真の慰め主です。両親にお仕えになった姿を心に焼き付けて、私たちも使命に立つことが大切です。
神のお心に従うとき、それが両親の心と逆になるとき、それは偶像崇拝や罪の行為を強制するような場合は、神を第一とします。そうでない場合は
肉に置ける両親を大切にします。神は必ずその人に最もよいときを備えて使命に立たせてくださるのです。
結び)教会学校の子供たちも,信仰のうちにある一人一人も、神と人から愛されて、知恵に置いて、力において、体力において、成長を遂げてゆきましょう。