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2012年10月21日 礼拝

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2012年10月21日 ルカ12:49-53 「分争の後に」

 

序文)主イエス様は、天から再びこの世に来られる日のために、弟子たちが備えるようにと勧められました。思わぬ時に審判者として主が来られます。忠実な者と不忠実な者がはっきりと識別されます。すなわち、地上で主イエスにしもべとして従う者か、従わなかった者がということがあらわになるのです。ところで、主キリストの福音が伝えられるところでは、いつでも、従う者と、従わない者の分離と対立が生じます。それは終わりの日だけではないと主は教えられました。キリストの福音は弟子として歩む者に、この厳しい一面があることを覚悟させておられます。

 

Ⅰ 49-50節 私は地に火を投げ込むために来た。

主イエス様は地上に火を投げ込むために来たと言われました。「火」とは何をさすのでしょうか。主が地上に来られた時には、まだ燃えていなかった。だから燃えるように「投げ込む」と言われました。それは「わたしの受けるバブテスマがあります。」と言われており、そのことによって「火を投げ込む」ことが成し遂げられるのです。

この「火」とは、「きよめと審判」を現す聖霊様のことです。ペンテコステの日に天から降り、教会をきよめ、神につく者と、そうでない者をふるい分ける働きを積極的に開始しました。罪人を招いて悔い改めさせること、きよめのわざをなさることの二つは、主イエスの働きであったし、聖霊によって大々的に世界的に広がりを持って継続しています。

主は火を投げ込むためにこられました。火が燃え上がるために準備を整えられました。ペンテコステの日についにこの火は燃え上がりました。

主イエスが歩まれた先々に、この火は投げ込まれます。不義と不敬虔、不潔は正され、きよめられ、裁かれました。この火が一挙に燃え上がるために,主はバブテスマを目前にしておられるのです。それは「十字架上の死」です。なぜならヨハネのバブテスマならば、公生涯の始めに、既にお受けになっているからです。ですから「十字架の死」が成し遂げられるまでは、「どんなに苦しむことでしょう。」といわれたのです。十字架上の苦難をうけられるまでにも、どんなにか苦しい思いをされたことでしょうか。主イエスご自身が地上でなすべき使命に生きようと歩み続けられた時,家庭においても、彼のまわりにおいても分争がおこりました。

イエス様の家族とは、母マリア、兄弟ヤコブ,ヨセフ、シモン、ユダそれに姉妹たち(マタイ13:55.56)でした。この家族は、イエス様を気が狂ったという風聞を聞いて、働いているところに連れ戻そうとしてやって来たことがありました。「イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに来た。気が狂ったのだと言う人たちがいたからである。」(マルコ3:21)。またマリアとヨセフの間に生まれた兄弟たちはイエスを信じないであざけったりした事があったのです。「イエスの兄弟たちはイエスに向かって言った。あなたの弟子たちもあなたがしているわざを見ることができるように,ここを去ってユダヤに行きなさい。自分から公の場所に出たいと思いながら,隠れたところで事を行う者はありません。あなたがこれらの事を行うなら、自分を世に現しなさい。兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。」(ヨハネ7:3〜5)。

この肉による兄弟たちが、まことの意味でイエスを知り、信じるにいたったのは、イエスさまの死後でした。復活の後でした。主は復活後にヤコブに現れました。このとき彼らは初めて霊における兄弟となったのでした。

イエス様の苦しみを察する事ができるでしょうか。イエスの行かれた先々でも、この世との対立が生じました。当時の宗教上の指導者たちは,主イエスを付け狙らいました。パリサイ人、律法学者、祭司たちは、ついには十字架にイエスをつける事で対立の頂点を示しました。

救い主の存在自体が,罪の世に火を投げ込み,苦難と分裂を引き起こしました。

 

Ⅱ 51-53節 わたしたちも例外ではない。

主イエス様の福音が伝えられるところに、どこにも、いつでも、信じる者おこされます。その信徒の内に罪のゆるしと、きよめと、解放が与えられます。主イエスの流された十字架の血潮による、神の力が働くからです。神の民としての、新しい永遠のいのちの誕生が聖霊様により与えられます。生活に革新がおこります。罪の子らは、神の子らに変わるからです。新しい神のいのちの原理によって生きる者となるからです。

そのことが、いまだ、信仰に入らない人々に不安を生じさせます。義と不義の間に、不安が起こり、衝突が生じます。不義を離れて神を恐れ敬う者になり、偶像を捨て去り、まことの生ける神のみを礼拝するからです。罪深い習慣を捨て、神への信仰の習慣を身につけます。そのとき家族の中に,職場の中に、仲間の中に衝突が必然的に生じます。「一家五人は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗して分かれるようになります。」(52節)「父は息子に、息子は父に対抗し,母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります。」(53節)

なんと言う苦悩でしょうか。なんと言う悲痛でしょうか。主イエス様が、家庭の中の誰かに福音の火を点じられるとき、このような分争がおこるのです。主イエス様ご自身が味わわれた苦痛を、日本にいるクリスチャンたちも、大なり小なり、味わっているのです。私の場合は、5人家族でしたので、4対1でした。

主イエスが言われました。「あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。あなたにいますが、むしろ分裂です。」(51節)主がここで言われる「平和」とは、安易な容易く手にはいるような平和、平和でないのに平和、平和と言っている、そのような地上の平和をさしておられます。主イエスは預言されていたように「平和の君」です。「地の上に平和が,御心にかなう人々にあるように」(ルカ2:14)と歌われていますとおりです。しかしその「平和」とは、一時的な、妥協の上に成り立っている「平和」ではないのです。わたしたちが分争を避けるために、唯一の生きておられる主エス様が、十字架の上で、いのちがけで勝ち取られた,神との和解によって与えられた「平和」なのです。いろいろ妥協に妥協をかさねて勝ち取る「平和」ではないのです。信仰が立ち枯れになり、危険に犯されます。救いが、あなたから始まり、実は家族全体に及ぶためにめぐみの道筋を閉ざすことになるような平和ではないのです。

たしかに聖霊様が、一人のクリスチャンをその家族に誕生させたのは、分争が巻き起こるためではないのです。その後になって、すべての家族が救われるために第一歩とされたのです。分争の日に全家族が救われて,神様の前で真の平和を受けて癒されるためです。

主イエスはご自分のいのちを投げ込んで,私たちに永遠のいのちの火を点じてくださいました。気休めの教理家ではないのです。いのちの実践者です。神のことばと力は、信じる者の中に聖霊様によって働いているのです。信仰の故に分争の苦悩の中にある者は、悲しい、苦しい、寂しいと思う事があるでしょうが、その状態は神様があなたの中に働いておられるから、生じたのだと信じましょう。自分の十字架を負って,主に従いつづけましょう。主イエスは52-53節と言われた時、その戦いの渦中にいる信徒たちのために、深い憐れみ、同情、涙をもって。それぞれの今日の戦いを見守ってくださっていることを忘れないようにしましょう。そこから始まって,どうしても通らなければならない道を示してくださっているのです。

 

Ⅲ 分争の後に

主イエス様の家族はその後どのようになりましたか。十字架と復活の後に、主イエスを信じる者となりました。主の兄弟ヤコブは、初代教会の指導者として大きな働きを担いました。

初代教会で名前の知られたヤコブ、すなわちエルサレム教会の最も著名であった主の兄弟ヤコブと考えられます。彼は主が十字架にかかるとき、まだ主を信じていなかったのです。しかし、主の昇天の後にエルサレムの祈りの群の中にすでにいます。「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心をあわせ、祈りに専念していた。」(使徒の働き1:14)また「イエスの兄弟たち」もいました。復活の主イエスに出会って後、彼らはイエスが狂人ではなく、まことに救い主であると信じ受け入れたのです。そして主の弟子たちの仲間に加わったことがわかります。

彼らの中で、ヤコブは傑出した人物で使徒の働き(12:17,15:13,21:18)にでてくる初代教会の指導者でした。彼はエルサレム教会の柱と考えられ、有名なエルサレム会議でペテロとヨハネと共に出席して、その議長を務めています。このような変化の秘密が、復活の主が「ヤコブにあらわれ」たのだと考えます。主イエス・キリストはその復活のからだを示し、また神性をも示し、信じないでいた彼を完全に信仰に導いたのだと考えられます。そして主の他の兄弟姉妹達も信じるにいたったと考えられます。

ユダは「ユダの手紙」を書きました。彼らは11弟子たちの中のヤコブ、ユダとは別人であることを示すためにイエスの兄弟と断りがついているのです。マリヤの家族にとって長男イエスが救い主であると信じることは大変な困難を伴いました。考えられない事柄でしょう。たとえ誕生の時に不思議と、ヨセフとマリヤが説明を家族にしたとしてもです。しかし、主はご自分の家族のためにも十字架の救いを成し遂げ復活のいのちにあずからせられたのです。

ここで、一人の牧師のあかしを紹介します。30年ぐらいまえの百万人の福音に掲載されていたあかしでうろ覚えでしたが、幸いご本人のホームページをみつけましたので、全文を紹介できます。 牧師 見城 孝志(けんじょうたかし)

「母は涙乾く間なく祈ると知らずや。」と、讃美歌510番にありますが、 私の母はまさにこの歌そのままの人でした。 信仰を持ってから、父と12人の子供たちのために、涙を流して祈ってきたのです。製材所を経営していた父は、酒を飲んでは遊び、仕事がうまくいかないと八つ当たりして、母を困らせ、 子供たちを怖がらせました。その上お金儲けのことになると、人を押しのけても、というところがあり、 母にはそれが耐えがたいことでした。

 ちょうどそのころ、近くの教会で牧師夫妻が日曜学校を開いていました。母はその様子を見て、何と美しい姿だろうと あこがれたのです。身なりはさほどよくなくても、夫婦がとても仲良く、 子供たちと無邪気に遊んでいる顔は喜びに輝いているようで、 ああ私もあんな家庭がほしい、と思ったそうです。それがきっかけで、母は教会に導かれ、クリスチャンになりました。兄弟で上から二番目の私が6歳のときのことです。 それから父がクリスチャンになるまでの6年間、離婚という言葉まで出して迫害する父のために、母は祈り続けていたのです。父は信仰を持つと、まったく別人になりました。酒も煙草もやめ、けんかもせず、 熱心に聖書を読んで祈る人に変えられたのです。 私はそれを見て、神様は本当におられるんだなとわかりました。そして、小学校6年のとき、 私も洗礼を受けました。それから家族そろって教会に通い、怖くて近寄れなかった父とも信仰 の話をするのが楽しみになりました。

 ところが、高校2年生になったあたりから、教会よりも世の中に魅力を感じるようになりました。 運動会の後で、誘惑に負けてついに酒を飲んでしまってからは、教会の敷居が高く感じられて、 まったく行かなくなってしまいました。学校のほうも、家族と顔を合わせたくないから出席はしていましたが、授業はほとんど寝ていて、 酒を飲んでは謹慎処分になってしまうありさまでした。 そして、なんとか卒業だけはしたものの、製材所の手伝いで働くがいやで、逃げ出しては遅くまで 遊び回っていました。 私の様子がおかしくなりだした頃から、両親は私のことを祈っていたようですが、決定的に教会から 離れてからは、二人で毎朝5時半に起きて、教会に出かけて1時間ほど祈ってから一日の仕事を始めていました。雨の日も雪の日も、私が悔い改める19歳の春まで、それはずっと続けられました。 母は何かあるとすぐに私の部屋に入って祈る人でした。部屋から祈りの声が聞こえてくるのですが、 泣きながら私のために祈っているのです。それを思うと、遊んでいてもいつも心は苦しかったです。 自分は何でクリスチャンの子に生まれたのだろうか。普通の家だったらもっと気楽に遊べたのにと 考えていました。けれども、ついにのっぴきならない状態に追い込まれることになりました。ある事件を通じて私も 自分の惨めで醜い状態に気づいて、このままではいけないと決心することができました。 両親と牧師夫人の前で、罪を告白しますと、あれだけ逆らえなかった誘惑に勝てるように新しく自分が作り かえられたのです。それ以来、今日まで守られているわけです。私は12人兄弟の次男ですが、現在は12人みんなイエス様を信じています。 そのうち、イエス様の恵みによって、私を含めて牧師は3人、牧師婦人は3人で、イエス様のお仕事にも携わらせていただいています。 自分はもう教会には帰れないと思っていたのに、立ち返ることができたのは、神様が母の犠牲的な愛の祈りを見て、聞いてくださったからだと思います。自分の経験から言えることは、 祈りがすべてだと思います。私を救ってくださったイエス様は、あなたもあなたの家族も救うことができると信じています。この素晴らしいイエス様を是非お知りになってください。

結び)イエス様を信じたのに,なぜこんな事が起こるのかと、嘆きくるしみ、思う時に、

主は争いの後を用意しておられます。課題は、どのように祈りもとめつづけるかです。あなたの信じるように、あなたになれと,主はいわれました。信じつづけましょう。

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