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2013年3月10 日 礼拝

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2013年3月10日 ルカ14:12-24 [断る口実]

序文)イエス様が安息日にパリサイ人のかしらに招かれました。これをきっかけに大切な教えが次々と語られました。初めは招かれざる客水腫の男の人の癒しを通して、安息日といえども救いのわざは休みなく前進すること、前進させる事をおしえられました。次に招かれた客たちの席次争いを見て、真の謙遜について教えられました。今日のところは、招いた主人にたいするおしえです。神に喜ばれるまことの施し、親しさ、交わりが何であるかを教えられました。

 

  12−14節

 主はご自分のまわりを見回してここの主人が友人、兄弟、親族、金持ちの隣人を招いているのに気づかれました。そして「12節」といわれました。真のもてなし、真の交わりは何か。それはお返しをあてにしないものである、と言われました。通常、人間はどのような心でふるまいや、施しをするのでしょうか。義務感で、または義理があるからする場合があります。うっかりすると神様への献金でも、まるで所得税をおさめるような気持ちですることがないでしょうか。お返しをあてにしたもの、これは利己的な動機で行い、自分の投資に必ず、この世で報いをうけようというのです。これは寛大さとは全く違うふるまいです。時には優越感を満足させるために、私はパリサイ人のかしらであるぞ!自分の虚栄心や、権勢欲を満足させるためのもので、これは受ける人をやりきれなくさせます。

 イエス様の示されたもう一つの道は、13-14節貧乏な人、障害のある人、足の利かない人、目の見えない人を招くのが良い。なぜなら返礼ができないからです。あなたは予期できない報いを義人の復活のときにうけます。私たちの教会が単に気持ちの合うもの同士の集まりでおわってしまってはならないのです。一人一人が主の教えられた心をもって、毎年街に出て行き

赤の他人と思える人々を招きよせなければなりません。

 

 Ⅱ 15-17節 イエス様の話しを聞いた一人の人が、その場の気詰まりな空気を破ろうとして「15節神の国で食事をする人はなんと幸いなことでしょう。」と言いました。「義人の復活のとき」と聞いたので、「神の国で食事をする人」の幸いを持ち出したのでした。イエス様はそれに対して、あなた方は果たして盛大な晩餐に入れるだろうかと、ハッとさせるような譬えをなさいました。

 ある人が盛大な宴会を催しました。ある人とは、ただしくは24節にある「わたしの食事」の「わたし」すなわちイエスさまのことです。神の国で食事をすることとは、神の国でするイエス様の食事なのです。

 パレスチナでは宴会が催されるときは、その日付が相当前から知らされていて、招待状が前もって届けられるのです。ところが時刻は知らされておらず、当日になって準備が整うと、しもべたちが招待者のところに出かけて行って、招いておいた人々を集めるわけです。

 この場合招待を受諾した者が、当日になってことわることは大変非礼にあたるのです。「二度目の招待を断るのは、侮辱であり、諸部族間ならば、宣戦布告にひとしい」と言われるほどなのです。

 この譬え話しは、イエス様によって歴史的には最初の招きを受けた人々がユダヤ人である事をしめしています。ユダヤ人は神のメシアの到来を持ち望んでいたのですが、いよいよ。その日になると、彼らはその招きを拒絶したのです。それで、大通りや小路にいって、普通パリサイ人に招かれない人々を招き、さらに道ばたや、垣根からも人々を引っ張って来た。これは異邦人に及んだ神の招きをさしています。

 なぜ、そのようなことになったのか。それは神の招きを受けた人々の反応によっている事が分かります。

 

Ⅲ 18-23節

神は今日もお一人一人を招いておられます。それで、あなたは神の救いへの招きに、どのように答えるか、答え方に気をつけなければなりません。

ここに出て来る3人の例は、人間が神の救い、招きを断る口実の普遍性をいみじくも表しています。

1 第一は18節です。「畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません。すみませんが、お断りさせていただきます。」これは本当ならば買ったのだから、安心して宴会にいって、飲み食いできるはずなのに、断っているのです。買う途中とか、買う前とかいうのならば、他の人に買われてしまうかもしれませんから、宴会どころではないと断るかもしれません。だから、これは単純に、口実にすぎないのです。この人は何のために畑を買ったのでしょう。この世の事に心を騒がして、神の要求、丁重な招きの宴を断るのです。礼拝の時も、祈るときもないと言ってしまうのは、どのようなものでしょう。

2 第二 19節 「五くびきの牛を買ったので、それをためしに行くところです。すみませんが、お断りさせていただきます。」この人の口実は、新しい物を手に入れたので、神様の事はちょっと脇に置いておいて、その新しい物をためしてみようというのです。良く「新しい車を買った人が、普段は礼拝に行っているのだから、今日ぐらいは休んで、試運転をしよう。田舎にドライブしよう。」と言っているようなことです。新しい道具、新しいゲーム、新しい興味が、神のために用いるはずの時間を使って、その招きをことわるのです。

 

3  第三は 20節「結婚したので行くことができません。」不可能です。人生で最良の日、結婚しました。ですから神の前にゆくことはできません。人間に取って最良の事が、神を拒む口実になるのです。最善を拒む理由は、次善のことなのです。神が導き、与えられた家庭である事を忘れて、単純に妻を楽しませる思いやりだけで、このこと自体は大切な意味があるのですが、神の招きを不可能と断る口実になるのです。悲しいことです。

 

三者三様の口実の共通点は、「この世の心づかいや、富や、快楽によって塞がれている」ということです。

 

結び)24節「言っておくが、あの招待されている人たちの中で、わたしの食事を味わう者は、ひとりもいないのです。」 このきびしいことばが、自分にあてはまらないようにしましょう。

神の国への招きに誠実に答え、イエス様の福音の喜びと力の中に生き続ける事を、こころから決意し、応答しましょう。

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