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2013年11月3日 礼拝

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★  2013年11月3日 「イエスの権威」ルカ20:1-8

★   序文)主イエス様は宮をきよめる働きをなさってから、毎日、民衆を教え福音を宣べ伝えておられました。そんなある日のことです。イエス様の働きを快く思っていなかった祭司長、律法学者たちが、長老たちと一緒になって、イエスを陥れためにやってきました。それはイエスを告訴する口実を探すためでした。

 

★   Ⅰ 2節 イエスの権威を問う

「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。あなたにその権威を授けたのは誰ですか。それを言ってください。」祭司長、律法学者たちが、長老たちは、宮の宗教的特権階級として存在し、当時のユダヤ教最高管理機構でもありました。彼らはユダヤ国会(サンヒドリン)の構成員でもありました。ユダヤの権威ある立場から、公式にイエス・キリストに向かって問いかけました。

★「これらのこと」とは、エルサレムに入城される仕方とか、宮をきよめて商売人を追い出されたことや、宮の庭で盲人、足のきかない人を癒やされたこと、毎日宮で「教えておられる」ことなどです。ユダヤ教と宮の行事一切を支配していた最高議会の許可をえないで、これだけのことをイエスはなさったのです。ですから当局者たちは、その行為について弁明を聞く権利があったのです。

宮の中で「教える」権威は、ユダヤ教の正規の訓練と学習をへて認められた「ラビ(律法の教師)」でないとできませんでした。ですから、彼らから見て、ナザレの大工イエスに向かって、宮における行為の一切の権威はどこにあるのか問うのは当然であったのです。

★「何の権威」とは、ラビとしての権威か、預言者としての権威か、メシヤとしての権威かを問いました。またその権威は誰が授けたのか。どのラビか、どの預言者か、任職したのは誰か、と尋問したのでした。イエス様は、ここで自分はメシヤである。キリストなる神の子である。と答えられたならば、それこそ、彼らの付け目であって、すぐに、神を汚す罪で逮捕できると、そう考えたのでした。

★ 次にこの質問は、キリスト教の最初の説教者イエスに向けられたものでした。これ以後、イエス・キリストを信じ、従い、このキリストから派遣された12使徒たち、さらには福音の伝道者、教師、牧師、宣教師たちが、同じ問いかけうけました。ユダヤ教の立場からばかりでなく、さまざまな異教徒たちや、時には、同じ信仰にある兄弟姉妹たちからもうけることがあるのでした。

教会は「何の権威」によって、これらのことをしてきたのか。

 

★   Ⅱ 3-7節 イエスの答えと彼らの反応

1 3-4節 主イエス様は彼らに答えました。「わたしも一言尋ねますから、それに答えなさい。ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか。人から出たのですか。」これは問い返しです。ヨハネの働きがイエス様のメシヤとしての活動と深く関係していたのです。この質問に答えることにより、実は自分たちのイエスに向かって発した質問に自分で答える羽目になったのでした。

★ヨハネがイエスをどのように評価していたのか、神の小羊、世の罪を取り除く方、自分はくつのひもを解く値打ちもない。自分はメシヤの先駆者でしかない。ヨハネがこのように言っていたことは民衆もよく承知していました。

指導者たちはヨハネのことを拒んで神様のみこころを台無しにしていました。しかしヨハネの活動を邪魔したりしないで、黙認していたのでした。なぜ彼らはヨハネの活動の権威を、ヨハネに問わなかったのでしょうか。それに答える責任が、まずありました。その上でならば、イエスは、自分の立場を答えようと言われたのです。

★2 5−7節 祭司長たちは互いに論じ合いました。「もし、天から、と言えば、それならなぜ、彼を信じなかったのか、というだろう。」天からと認めるとき、なぜ彼らが他の民衆のようにヨハネのバプテスマを受けて、神のみこころを受け入れなかったのか。を問われる。同時にヨハネが指さして「世の罪を取り除く神の小羊」メシヤといったイエスを認めざるを得なくなる。

実は彼らも薄々は、ヨハネのことを「天から」と認めざるを得ない可能性を考えていたのでした。けれども、そのことがイエスと結びつくことを考えて、この考えを表明しないでおこうと決しました。

★しかし、同時に「もし、人から、といえば、民衆がみなで私たちを石で打ち殺すだろう。ヨハネを預言者と信じているのだから。」とも論じました。イエス・キリストに権威は?と問いかけておきながら、ここでは民衆がおそろしいのです。世論が怖いといって身の安全をはかろうとしているのです。

★彼らは「どこからか知りません。」(7節)と答えました。「知りません」とは本当に知らないのではなくて、故意にヨハネの天的権威を認めないことにした。「知りません」と答えたことは、」事実上その結びつきの深いイエスが天からということを自分たちで立証してしまったことになったのです。そうでなければ、はっきりとヨハネは地からと言えばよかったのです。

★彼らはイエスのことばに耳を傾けて、聞こうという心の持ち主では無かったのでした。19:47にあるように、「イエス・キリストを殺そうと狙っていた。」のであって、悪意に燃えていたのです。自らが、偽善者であり、強盗の巣にしてしまった宮を保護する者であったので、主イエスの真実、その先駆者ヨハネの真実に耐えることができませんでした。

★真理に直面したとき、人間は困難な状況に追い込まれるのです。自分の不真実を見て、イエスに直面するのを避け、拒むならば、この祭司長たちのように、もはや逃れることのできない混乱の中に投げ込まれるのです。結局は退却し信頼を失うのです。人間の理性の不正直さが、ここによくあらわれています。

どのようにすべきか、何が真理か、主のいのちがけの福音、十字架と復活の力ある福音を信じることは時に、自分の安全を守ること、利害関係を危うくするかも知れないのです。★その時に、人間は「わからない」と逃げる、真理とは何かと逃げるのです。ようするに、神様なしできた人生、イエス様抜きで生きてきた人生、その考え方、知識、生活態度を明け渡したくないのです。人間は主イエス様の天からの権威とお働きを、前にしたとき、自分を偽り、偽装した理性的判断を示して、これらを払いのけることさえします。

★一方イエス・キリストの真実に対して、真実を持って対峙するならば、自分の不真実がきよめられて行くことを発見します。それはイエス・キリストの天からの権威による赦しがあり、解放があり、人間の不真実を切り替えて真実に立つように決断をさせてくださる。私たちは自分の理性や、理屈そのものを、天よりの権威をもって福音を完成してくださったイエスにしたがわせることを覚えなければならない。

 

★   Ⅲ 8節 イエス・キリストの再答

「するとイエスは{わたしも何の権威によってこれらのことをするのか、あなた方に話すまい}と言われた。」

主は「あなた方に話すまい」と自分の権威の出所を語るのを拒否したのです。ヨハネが天からである証拠も、働きも、歴然としていました。そのヨハネが主イエスを「神の小羊」と言明しました。「知りません」と「答える余地は何もないのです。認めたくない不真実な理性に対して、主はもう何も語りません。

 

★   日本長老教会は、どのようにして、教会のかしらである主イエス・キリスト様が、教会を権威を持って治めておられるかを、大会の憲法総則の中で、次のように表明しています。

★(キリストの主権)

第21条 教会の最高の主権者であるキリストは、そのからだである教会をみことばと聖霊の働きを通して霊的に支配する。教理、政治、訓練、礼拝、宣教、奉仕など教会のあらゆる働きにおいて、キリストの主権は認められなければならない。

★(教会政治)

第22条 キリストは、聖徒を整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるのにふさわしい統治を教会に定め、これにご自 身の権能をゆだねることをよしとされた。このような教会統治の秩序を教会政治と言う。教会政治は、教会、教会員、教会役員及び長老政治、そして教会会議と いう形態をもって執行される。

エペソ4:12

★(教会・教会員・教会役員)

第23条 地区教会は神の民として信徒総会において、牧師、長老、執事の教会役員を選出し、教会役員はキリストからゆだねられた領域において教会政治を執行する。教会員は責任ある行動と祈りをもって教会政治を支える。

政基各則30,49,57

★(長老政治)

第24条 教会政治のかなめはキリストがみことばと統治の務めをするために教会に定められた長老職にあり、教師と長老とが共同して これにあたる。教師はみことばの宣教、聖礼典の執行、福音の弁証などの務めを行う教職長老であり、また長老は教会員に選ばれた信徒長老である。この二重の 長老職の理念に基づく教会政治を長老政治と呼ぶ。

綱要4.1.1、綱要4.11.1、綱要4.11.6

★(教会会議)

第25条 長老政治の特徴の一つは、小会、中会、大会と積み重ねられる教会会議において教会の全体的統治と見える一致を目指すところにある。教会会議の議員である教師と長老は平等の資格を有する。WCF31:2

★ 結び)あなたの理性は、主イエスの権威に服していますか。その主が神の宮において教えておられることを、すなわち、みことばを受け入れていますか。

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