2013年1月13日 聖書 ヨハネの福音書 3:16-18
「独子・主イエス・キリストを信ず」
使徒信条の第二セクションは「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず」です。神の独り子が、地上に遣わされてくるとき、人としての名前をどのように付けたでしょうか。皆さんの名前は誰が付けましたか。おとうさんとおかあさん、おじいさん、おじさん、牧師さん、昔は村長さん。では「イエス」様の名前は誰が付けましたか。天使が「イエスと名付けなさい」とめいじました。それでヨセフさんとマリヤさんは、そのとおりにしました。
1 名前の意味 ユダヤ人の名前には、それぞれが生まれたときの事情を汲んだ意味がありました。たとえば、双子で生まれて来るとき、兄さんの足のかかとをつかんでうまれてきた子がいました。それで親は、弟の名前を「押しのける者・ヤコブ」とつけました。彼は、人生の大転機に際して神様が、その名前を、「イスラエル・神は争われる」(創世記32:28)または「神の王子」と変えさせました。
イエスとは、どういう意味でしょうか。これはヘブル語のヨシュアのギリシャ語版です。ヨは「主」をさします。ホーシャーは「救い」です。それで「主は救い」という意味です。この名前は当時のユダヤ人たちによく使われました。イエス様の名前が付けられるために天使は、注釈をつけました。「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
そのとおり生まれて8日目に、割礼を施す時にイエスと命名されました。旧約聖書のヌンの子のヨシュアは、神の助けによってイスラエルを救い約束の地に導きいれました。彼は救い主の「型」(タイプ)とみられました。今、ここにみずから神の力を持って民を救い永遠のいのち、神の国に導き入れる救い主が、イエスと名付けられたことを喜びます。
2 「キリスト」とは、「イエス」が個人名であるのにたいして「キリスト」は職務上の称号です。その語源はへブル語のマシーイッハで、意味は「受膏者」、「油そそがれたもの」です。この称号はユダヤ人の間では、神様に聖別され、神の命じる職務に任じられた者に用いられ、それは預言者、祭司、王さまでした。エリシャ、アロン、サウル、ダビデ等がそうでした。しかし主イエス・キリストの場合は、贖い主として、この三つの職務に一人で任じられました。完全にその職務を全うされたのです。
キリストとしての職務で預言者職は「みことばとみたまにより、わたしたちの救いのために、神のみこころをわたしたちに示すことによって」です。祭司の職務は「神の義を満足させ、わたしたちを神に和解させるために、ご自身をいけにえとして一度十字架の上にささげることによって、また、わたしたちのために絶えずとりなしてくださることによって」です。王の職務はわたしたちをご自身に従わせ、わたしたちを守り、治め、また、彼とわたしたちのすべての敵を抑制し、征服することによって」、王の職務をはたされます。
3 独り子なる神 「神の子」という名称
イエスに冠せられた最も崇高な称号の一つは、「神の子」でした。この称号はイエスの人格の尊厳と、特にその神性を示し、同時に、イエスが人間に対して神に関することを語るに十分な資格を有していることを示します。
弟子のナタナエルが自分のことを見透かされたイエス様に驚いて、「先生あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」ヨハネ1:49とさけびました。
反対に悪魔は、「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」マタイ4:3.6と挑戦しました。
またヨハネ11:4「イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」27.「彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」
主イエス様自身が、ヘロデ王の尋問にこたえました。「大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」マタイ26:63-66
聖書中にイエスに対する神の子という名称が満ちています。
4 主イエスが神の子であることと、わたしたちが信じて神の子であることに
ついて
わたしたちも神の子とよばれることについて少し考えておきましょう。この二つの神の子の間には本質的な違いがあります。主イエスは本性から神の子です。それで独り子とよばれます。絶対的独一性を示します。父なる神と同一性を示します。わたしたちは恵によって、神の子たちとなります。主イエスはご自身の権利で神の子です。わたしたちは養子とされて神の子です。主イエス様は、永遠からの神の子として存在しています。わたしたちは信仰により、聖霊が働いて、生まれ変わらせられて、義を与えられて、神の子です。キリストを信じる信仰の関係において、天の父は、わたしたちの父です。それは自然に万人の父ではないのです。ローマ8:14「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」