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2013年5月5日 礼拝

 

 

2013年5月5日 礼拝 (教会学校教師任職式)ルカ2:52、伝道の書 12:1

「教会学校の重要性・目的」

 

序)今朝は教会学校教師任職式を実施しますので、合同礼拝としました。なぜ、この教会で教会学校(ラミークラブ)を行っているのでしょうか。その重要性と目的を聖書から学び、教師だけではなく、信徒一同の理解と祈りの篤い支援をお願いします。

 

「教会学校の重要性・目的」

1 神と人に愛される人格を目指して

ルカ2:52「イエスはますます智恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」神と人に愛される人格を目指して、豊かな心を育てることは、子を神から託された親の重大な事業です。子育てについて、子どもが、一人一人神にかたどって創造された者としてふさわしい人格者として成人してゆくために、家庭、学校、社会の三分野で相互の協力と分かち合いがなされる必要があると言われています。しかし家庭も学校も社会も、その組織だての根底に聖書の創造者である神様の存在を信じて、取り組むのでなければせっかくの神にかたどられた人格が豊かに育ち、神と人とに愛される存在を目指すことはできません。愛深く、忍耐があり、謙遜、誠実で、柔和、勤勉でよく自制し、正しい判断ができ、責任感があり、表裏なく、正直で、いつもさわやかな笑顔が輝き、他人を引き上げる言葉を語る。その人の存在がまわりに恵みとなり、また、悪を悟らせ、行わせない。このような神と人に愛される人に、子どもを育てたい、自分もそうなりたいと目標を置くことは、神様に喜ばれましょう。

通常、子どもは家庭に生まれ育てられます。家庭の存在の土台は家庭を創造された聖書の神様への信仰です。家長は神様からその家庭における家長としての権威をゆだねられているので、父親として神様への信仰を土台にして子どもの心を育てて行く責任があります。母親もしかりです。現実には、家庭ばかりでなく、学校も、社会もそのような聖書の神様を土台にしないで、この世の流れの中に罪の人間社会を形成しています。キリストの教会はまず父親、母親、子どもたち、個人個人を救いに導き、人生の土台としてのまことの神信仰を得ていただきたいと宣教を続けています。それぞれの信仰の成長とキリストにある人格形成に向かって訓練と教育と奉仕を分かち合っています。それと同時に、信仰を持った親たちの子どもたちのために、また信仰によって生まれた新家庭と子どもたちのために、教会はキリスト信仰への教育を分かち合って、家庭教育、学校教育、社会教育の土台となる部分を形成し補おうとしています。教会学校の重要性は、家庭で本来なされるべき敬虔への訓練のために助けることにあります。

2 伝道の書 12:1

あるとき日本の福音的なクリスチャンたち、2259名にアンケートをしました。各層から回答が寄せられました。

質問の一つは、あなたの入信に大きい影響を与えたものは何ですか?

答え 教会学校 58.7% バイブルクラス 25.6% 幼児教育 10%

ミッションスクール 9.7%

洗礼を受けた年齢は 20才までで51% 牧師にだけ限ると洗礼を受けた年齢は20才までで64%、25才までは91%です。

わたしは小学生の時から教会学校にゆき、16才で信仰を与えられ、18才で洗礼を受けました。24才で神学校を卒業し、伝道の戦線にでました。来年で50年になります。教会学校の働きが日本の国で幼児から青年層への伝道において、どれほど大きな影響を与え、その実りもまた多いかを示されています。この働きの素晴らしさと光栄を再確認するものです。

3 マタイ18:1-14、19:13-15

主イエス様はおさなごをどのように見ておられたかを少し学びましょう。

18:5「また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。」子どもの価値は、イエス・キリスト様と同じである。子どもの一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのと同じ価値がある。主は、おさなごのひとりと同じ位置、同じ立場にご自分をおいて、このみことばを語っておられます。6「わたしを信じるこの小さい者たち」14「この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。」といわれました。

19:14-15「しかし、イエスは言われた。『子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。』そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。」 イエスさまのこどもたちへの取りはからいは、おさなごがキリストに属する者であるという前提で行われています。①おさなごは神の国に属している。②彼らはキリストの名のゆえに受け入れられるべき事が教えられています。ここからでてくる原則は三つあります。⑴おさなごたちはたとえ嬰児であっても、キリストに属する人々に加わっており、キリストの体の肢体です。⑵彼らはキリストのみ国の構成員です。⑶彼らは教会に属しています。そしてこのことにおいて、彼らはキリストに属する者として受け入れられるべきです。

以上のような教えですから、18:6でこの小さい者のひとりでもつまづきを与えないようにといわれました。つまづかせるとは、受け入れるの反対です。つまづかせるとは具体的には「偽りの教訓をあたえること、信仰について親や成人が、悪の見本をみせること、名前だけのクリスチャンホーム、彼らの霊魂の救いにたいして無頓着であること」(A・B・シンプソン)などといわれています。10節で「小さい者のひとりでも、見下げたりしないように気をつけなさい」といわれ、子どもを侮ることのないように「子どものくせに」とその価値を知らないうちに侮りやすいので注意するようにといわれました。14節では、はっきりと小さい者たちの一人が滅びることは、みこころではない。と主は断言しておられます。出エジプトの時に成人たちは不信仰のゆえに荒野で滅びても、その子ども立ちは約束の地についに40年後に入れられたことをおぼえましょう。今の時代大人たちの不信仰によって、自分の子どもたちに救いの信仰を神が与えられようとしておられることまでも邪魔して、つまづかせて滅びさせるなら、主はそれを本当に悲しまれます。

さて、もう一つ注意したいことは、19:13「子どもたちが連れて来られた。」という点です。子どもたちは主イエス様のところに一人で来たのでもなく、友達といっしょに来たのでもなく、連れられてきた、のです。連れてきたのは子どもたちの両親か、そのどちらかでしょう。神が両親に託された重要な使命がここにあります。主イエスさまは、ここでは行きずりの子どもたちを集めて祝福されたのではなく、連れてきた両親の信仰を受け入れ祝福されたのです。

教会の伝道は、まず未信者の子どもにではなくて、未信者の子どもを持つ、未信者の親にというのが聖書の順序だとおもいます。教会学校の働きは、この順番を大切にして行われるなら、永続し、広がりをもち、子どもが洗礼を受けたいと言ったときに、親が、いい加減にしなさいとか、反対とかいうことはなくなるでしょう。

4 ヨハネ21:15-17

復活の主はペテロに、主への愛を確認されてから、「わたしの子羊を飼いなさい」「わたしの羊を牧しなさい」といわれました。子羊も、羊も弟子たちによって牧されなければなりません。教会学校の教師は、子羊を牧するように託されています。それはキリストへの愛の確認を土台としています。

5 キリストの弟子たちはおさなごをどのように見ていたのでしょうか?

① 彼らは最初、主のおこころが分かりませんでした。子どもたちが祈ってもらうために連れてこられたときに、しかったのです。「邪魔にした。」とイエス様はいわれました。子どもは実際に活動的でさわがしくわきまえもないからうるさいと思うこともおおいのです。弟子たちも後になって伝道活動を行うころには、主イエスさまのおこころが分かったようでした。使徒2:39「なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

子どもたちが、成人たちと同様に取り扱われています。悔い改めとバプテスマにたいする動機、あるいは理由として、ペテロが熱心に勧めている約束は、子どもに対しても語りかけられています。成人にたいすると同じ関係にあることが分かります。ペテロの説教の背景は、創世記17:7「わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。」との約束です。ペテロは神様の約束契約の中に両親たちも、子どもたちも含まれているということを認め、アブラハムと神様との約束が、新約聖書でも受け継がれていることを示しました。これはイエス様が子どもたちに対してとられたのと同じ態度なのです。(幼児洗礼の根拠である。)

②エペソ6:1 パウロは「子どもたちよ」と呼びかけています。コロサイ3:20でも「子どもたちよ。すべてのことについて両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです。」と勧めています。パウロは聖徒たちの中に子どもたちを入れているのです。

使徒たちもまた、このようにして子どもたちを、主イエスにならって神の約束のもとにみ名のもとに受け入れ、認め、勧めていることが分かります。

結び)ラミークラブの子どもたちは、主イエスさまの目からみても、弟子たちの目からみても、「神と人に愛される」成長を遂げてもらうようにと、親も教会も志して信仰の訓育をさせていただきましょう。真理の御霊が、一人一人の全生涯をご支配になり、契約の子どもとして、めぐみを味わわせ、み栄えを表してくださることを祈り求めてまいりましょう。教会方の尊い労苦にも支援をよろしくおねがいいたします。130505_001

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