2013.7.28 「終末の前兆」 ルカの福音書21:5-28
序)先週は17章から主イエス・キリスト様が再臨の時を巡って目を覚ましていなさいと警告されたところをまなびました。今朝はその関連で、「終末の前兆」について教えられた事柄を学び、現代への警告を知ることで、惑わされない者となりましょう。
人々が神殿の大きな建物を見て、その華麗さに目をみはりました。大きな石で造られ金を張りつめた正面が夕日に映えてきらめく姿にユダヤ人は、主なる神さまの永久不変性と、尊厳を感じていたのでした。イエス様は人々の話し声に耳を傾けて、弟子たちに言われました。神殿が完全に破壊されて石が他の石の上に残っている事はないと言われました。弟子たちの驚きは、どんなに大きいことだったか。神殿の破壊は当然エルサレムの運命を予想しております。このイエス様の言葉は50年もたたないうちに成就しました。紀元70年に神殿は破壊されローマ皇帝ティトスの包囲軍隊がエルサレムの町に逃げ込んだ人々を兵糧責めにして飢え死にさせました。
Ⅰ イエス・キリスト様の答えに対して、7節で弟子たちは問いかけました。 「先生、それでは、これらのことは、いつおこるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう。」この質問は神殿崩壊だけでなく、終末預言も含めて「いつ」「どのような前兆が」と聞いたのです。
イエス・キリスト様の答えが、直接神殿崩壊に答えながら、主の再臨と終末にかんする事柄です。終末の前兆としてイエスさまが挙げられたことは、六つありました。①8節 偽キリスト②9節 戦争と暴動 ③民族間の対立④疫病や飢饉、大地震⑤教会迫害⑥全世界への福音のあかし
ここに私たちの住んでいる世界に対する主イエス・キリスト様の厳粛な宣言と警告があります。そしてこれらのことは、前兆です。特にキリストが危険視しておられる前兆は「にせキリスト」の惑わしです。人に惑わされないようにしなさい。「にせキリスト」の惑わしに巻き込まれてはなりません。再臨と終末に関して憶測とデマが飛ばされます。人々の好奇心に乗かって。使徒の働き8:9−10「大能と呼ばれる神の力」だと言われているにせメシヤシモンが現れました。現代でも韓国の異端/統一教会を創始した文鮮明が、自分は再臨のキリストであると自称して、日本にも多大な害を及ぼし続けています。第二テサロニケ2:2「主の日はすでに来た。」現代でも「ものみの塔」の異端が1914年にイエスがエホバの右から天的み国に来臨した」といっています。そのほか幾たびも、再臨の日を予想してことごとくはずれています。
イエスの名前を名乗る者たちの出現。見方を変えると、これはイエスの名声が多く人々に知れ渡っているからこそ「にせキリスト」が現れるのです。「自分がそれだ」こういっただけで多くの人々に通じるのは、メシヤの再臨が待ち望まれているからです。その意味で偽物の出現は聖書の知識と信仰が広く行き渡っていることのしるしでもあります。そしてこのことは、まさに終末の近いことの前兆です。特に偽者たちは、自分の権威に絶対服従を求めます。
サタンはエデンの園でエバを惑わす時の言葉は「あなたがたは神のようになる」でした。これは古くて新しい誘惑のことばです。新宗教と言われるほとんどは聖書の神を他の物に取り替える運動か、または人間を神にする運動のようです。神との一体化が彼等の指し示す惑わしです。ニュエージムーブメントは偽りの信仰を提供している代表です。前世の経験が現世の行動を決定するとか、健康と繁栄を目指す宗教運動(ユニティー)ガイア(古代ギリシャ神話の大地の女神)運動、超越瞑想、道教、水晶占い、女神崇拝、霊魂再来節、数霊術(誕生日の日付、名前の総画数などで運勢占いをする)占星術、「意志を高揚させる」多くの技術、神秘的神との一体化の探求、すべて現代の世俗的ヒューマニズムが満たし得ない事柄を、霊的に満たすと言って惑わすのです。まことの神様、主イエス・キリスト様に結びつかないようにはたらくのです。
Ⅱ 戦争、飢饉、地震
1 国際間の戦争と戦争のうわさ、これはどの時代にもありました。しかし主の再臨の近いころには、世界的な社会、国家秩序の混乱と転覆が起こります。国際法学会は3400年間に平和な年は218年しかなかった。このあいだに、8000の平和条約が署名され、恒久なものとして結ばれたにもかかわらず、平均10年間しか効果はなかったといっています。反乱と革命と不法がはびこるのです。これらは起こります。しかしあわててはいけません。まだ終わりではありません。大地震やききん、これらも世界のあちらこちらで同時的に起こっています。日本にも神戸大震災、東日本大震災がおこりました。地震国にとり、また凶作や冷害などの頻繁にある国から見ると何故これらが前兆なのかと思うでしょう。しかしこれらは世界同時におこる大変な天変地異なのです。自然秩序の動揺と混乱が起こるのです。
神さまの創造された世界、天地が人間の罪のために乱され続けてきました。主がこの世界を救おうとされるとき、人間の救いとともに、虚無に服してきた世界そのものが新天新地を生み出す胎動と陣痛を始めるのです。これは産みの苦しみの初めであって再臨と終末の前兆なのです。罪に支配されている現在の世界体制が終焉する時が近づいたのです。
2 12−19節 ここでは、特にキリスト教会との関係でおこることが言われています。ルカはこれらの前兆が起こる前に、教会に関する前兆があると記しています。この信仰者への迫害は、ユダヤ教会堂や、議会からだけではなくて、長官や王たちの前に引き出される、異教国家の迫害を含みます。また、家族同士の間でも行われます。社会のあらゆる分野の反神、反福音の魔手はのびて、キリストにあるものたちが信仰故に迫害され殺されています。肉体の命を失うということだけではなく社会的地位を失うといった方法、教会に出入り差し止めといった仕方、さまざまに信仰を破壊する手だてが満ちています。イエス様はこのような状況下で、これから遭遇する事態を見失ってはならないと警告しておられるのです。
13-15節は、実際に迫害の下に裁判をかけられた人々に大変な励ましの言葉です。クリスチャンたちは信仰のために裁判にかけられたときに驚くほどに強めされました。殉教者たちの裁判の記録を読むとき、我々は、彼らが無学の徒であっても、裁かれているのはクリスチャンではなくて裁いている人々であったという印象を受けます。
3 16節 家族に裏切られる。これは韓国のクリスチャンたちのあかしで聞いたことがあります。共産軍が侵入してきた課程で、北から南にのがれたクリスチャンがいました。北、すなわち今では北朝鮮ですが、そこに混乱の中で家族の密告で捕らえられて、親、兄弟、親類、友人が次々殺されたクリスチャンたちが多くいたのです。現代でも共産中国では、数千万人以上のひそかなクリスチャンたちがいて、密かに礼拝を守り、密かに福音を伝えており信じる者が増大していますが、未信者の家族が、密告して集会している所に、官憲がのりこんで逮捕し、牧師、指導者を投獄することが度々あるのです。
17節 クリスチャンが憎まれる 初代のクリスチャンばかりでなく、現代でもクリスチャンが憎まれることは日本の地方でも、都会の激しい宗教にある家族の中では、起こります。キリストの十字架の犠牲の愛を理解できない家族は、それを信じている者たちを密かに憎らしいと思うのです。
教会の腐敗も前兆です。マタイの福音書では24:10-13多くの信者が躓き、裏切り、憎み合い、惑わされ、愛を冷やしてしまうと警告があります。
世からの迫害と、内からの背教が、著しく神の国の栄光を汚し、福音伝道を妨げているように見えます。にもかかわらず、マタイ24:14「この御国の福音は、すべての国民に対してあかしするために全世界に宣べ伝えられる。」というおどろくべき事実があります。福音の宣教が世界におこなわれること「あかしするため」といわれています。かならずしもあかしを受けた全員が信じるとはいわれていません。また全世界が福音を信じたならば迫害する者も背教者もいるはずがありません。私たちは福音を広めるために、できるかぎりの事をしつづけましょう。それは常に非常な努力のいることであります。報いられないことが多いのです。しかし、この福音が世界にあかしされているとき、終わりが突如としてやってくるのです。最後まで堪え忍ぶもの、信仰を保ち続ける者は救われるのです。
Ⅲ 20-28節 異邦人の時代
1 20-24節 エルサレムが異邦人に明け渡される異邦人の時代がある。エルサレム崩壊の預言は紀元70年にローマ軍隊による攻撃で成就しました。そのとき山に逃げた人々は助かりました。ユダヤ教徒たちは宮に立てこもり天からの助を期待しましたがだめでした。ローマ皇帝ティトスの包囲軍がエルサレムの待ちに逃げこんだ人々を兵糧攻めにして、餓死させました。ユダヤの歴史家ヨセファスが書いたユダヤ戦記に「一人の偽予言者が、これらの民の滅亡のきっかけであった。彼はその日、都の中で神が人々に神殿に上れと命じたもうたこと、また、そこで助けられる奇跡的しるしを受けるということを公言しました。当時、横暴な者たちから、民衆をだますようにそそのかされた多数の偽預言者たちがいて、彼らは人々に神の救いを待つべきことを宣布した。」とあります。
一方主イエス様の言葉を覚えていたクリスチャンたちは、宮も都も捨てて、遙かペレア地方にまで逃げ出して助かりました。ローマの軍隊が包囲しつくさないうちに脱出せよ。即ち何もかも捨てて一刻を争って逃げよというこの預言もたしかに真実な忠告だったのです。クリスチャンでない者たちは、ユダヤ主義の熱心党員が脱出を禁じたために滅びました。23節 町中にききんがはげしく身重の女、赤ん坊をもつ親は苦悩は想像を絶しました。24節 歴史家ヨセファスが書いています。ユダヤ人は110万人が滅び、9万7千人が捕虜になりました。ユダヤ人の国はここに抹殺されました。神は、イスラエルの罪にたいして裁きをおこなわれたのでした。
2 25-26節 人の子の再臨に関して起こる宇宙的な異変
主キリストはその中で特に天体の異変を語られました。日、月、星などの天体に想像を絶する異変が起こる。日は暗くなり、当然月は光を放たなくなり、その存在理由を失う。星は空から落ちる。絶える。天体は揺り動かされ、取り除かれる。ヘブル人への手紙に次ぎのように書かれています。(12:26-28)「あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」 この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。 こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。」
その結果当然地球も大変動を迎える。「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」(第二ペテロ3:10-13)救われることの重大性が強調されている。
このような万物の更新を多くの人々はおとぎ話し程度にしか受け取らない。しかし、人間の争い、国と国、町と町は 地の利と天の利の故に起こっているのです。産物、水、資源の故の争いです。環境、世界が新しくされない限り、救いは来ません。新しい世界の創造、万物の更新、これは迷信、神話ではなくて、現実世界の根本的な解決を与える教えです。
3 27-28節 キリストの再臨
「そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗ってくるのを見るのです。」力と栄光のうちに人の子が来られます。「第一テサロニケ4:16-18。」
キリストの再臨を迎える二つの反応
地上のすべての民族が、再臨のキリストを「見る」「嘆きをもって」黙示録1:7この嘆きをもっては、もうどうにもならない滅びと裁きとを迎えた後悔でしかないのです。彼らは再臨のキリストによって永遠の暗闇に投げ込まれるのです。「そこでなき叫んだり歯がみしたりするのです。」
選民にとって、究極的な救いを実現してくれる待ちに待った出来事です。「ラッパの音」キリストが王の王として君臨する時の来たことを告げるのです。み使いを遣わしてくださる。一人ひとりみ使いの奉仕により、キリストのそばに連れて行ってくださるのです。天の果てから果てにいたるまで、四方八方から集めてくださるのです。再臨のキリストはどこにちらされ、どこに追いつめられている選民も見つけ出して救い集めてくださるのです。世の迫害が怖くて逃れ隠れていた選民も見つけ出して救ってくださるのです。
結び)このように歴史を支配される神が、終末へと時代を運んでおられます。今生きている私達は、どのような姿勢で備えればよいのでしょうか。忠告がここにあります。29-36節です。イエス・キリスト様のことばの確かさを信頼して、時のしるしをも分けること、終末預言の確実性を悟ること。パレスチナのいちじくは、葉よりも早く花が咲き、早成の実を結びはじめる。葉がでるようになると早成の実を刈り取る「夏が近い」。葉が出ると夏である。そのように、主のかたられたことがらの、さまざまな前兆を見たなら、主の再臨が近いと知りなさい。たしかに、これらのことは起こるのです。起こるだろうか、どうだろうかではないのです。移りやすい人の世代よりも、主のことばが事実となって成就するほうが確実です。
世俗化されることなく、油断なく祈ること。34-36節自分自身に気をつけましょう。もし心が放蕩や深酒や、この世の煩いのために沈み混んでいるなら、その日は、わなのように突然としてくる。その日は、全地にすむすべての人に臨む。
「祝福された望み」(テトス2:13)である主の表れを待ち望みましょう。
黙示録22:20—21「これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。 主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。」