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2014年2月16日 礼拝 

 

2.16礼拝  礼拝音声

2014年2月16日 「歓迎と拒否 」   ルカ22:35-38  招詞

★   序文)主イエス様はペテロに信仰の厳しい試しがあると警告されました。そして、さらに主が弟子たちとともに地上を歩まれた時代は終わり、これから十字架、死、葬り、復活、昇天の後に、弟子たちがどのような覚悟で歩まなければならないかをおしえられました。その中心は,弟子たちを取り巻く情勢の変化をはっきりと悟り、それに対応する歩み方をするようにということでした。

☆ Ⅰ 35節 「以前は」

イエス様が弟子たちを以前に,ガリラヤ伝道に派遣されたことがありました。「9:1−5」。そのときのことを問いかけることによって,先ず、今までの時代の情勢をお示しになりました。「何か,足りないことがありましたか。」財布も旅行袋も持たずに遣わされました。その時、何も欠けるものはなかった。彼らは伝道に行った先々で、いつも彼らの必要なものを用意してくれる友を見つけることができました。☆それらの友は、彼らのメッセージを聞き、イエスのみ名を聞いて集まってきた人々の中にいました。彼らは何不自由することなく伝道をしてこれました。彼らは、そのことにより結局,送り出した方である主イエスを常に絶対的に信頼することをまなばせられたのです。

☆ 送り手である主は弟子たちのために全ガリラヤ地方に満ちた主の名声を通して、弟子たちの行く先々で、人々を通して必要なものを用意しておられたのでした。この点で、失敗するようなことはなかったのです。言わば、弟子たちは,主の働きを,主に代わってするために派遣されていたのでした。先々で主を信じる者を起こし、その人々の中に働きに必要な一切を備えておかれたのです。弟子たちは乞食旅行をしたのではなくて、主の代理人として神のはたらきをするために旅行したのでした。彼らの答えは「いいえ,何もありませんでした。」彼らの行く先々で歓迎を受けたのでした。

 

☆ Ⅱ 36節 しかし 今は情勢の変化が起こりました。

イエスがこれから捕らえられ、十字架に着けられ、死に三日目によみがえって、弟子たちの信仰を立て直された時、彼らを全世界に派遣されます。「全世界に出て行って、すべてのつくられたものに福音を宣べ伝えよ。」キリスト教会の時代には,状況は根本的に変化します。彼らをおくり出される主イエスは、彼らを実に今も支えておられます。☆しかし、以前の方法によってではないのです。人々が大歓迎してくれるといった中で、事がすすむのではないのです。弟子たち財布のある者は財布を持ち、袋も必要となります。旅の袋には当然,食物や、着替えや、旅行に必要な物を入れて行かなければなりません。なるほど、以前のようにキリストにつく者もいて、彼らのために様々な助けをしてくれるだろう。しかし、そのような信仰の友たちは、いつも,どこにでも見つける事ができるわけではない。☆それで、お金も必要になる。さらに彼らは旅行の先々で身を守る必要が生じます。時代は以前よりももっと悪くなっているのです。外套を売ってでも短剣を買うように。外套は伝道旅行に際して野宿しなければならないような時に、温度差の激しい夜には身を覆うものとして必要不可欠のものでした。しかしその外套より短剣の方が価値ある物となる。主は弟子たちに言われました。財布を持ち、袋を保ち、できたら短剣を持ちなさい。☆危険と悪意に満ちた者たちの中を旅するのだから、剣をもたないために殺されてしまうぐらいなら、凍えた方がましである。外套を売ってでも短剣を買っておきなさい。正当防衛用の剣です。

このことは使徒パウロの伝道旅行に出会った危険の記事を読むとある程度考えられます。「幾度も旅をし,川の難,盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物がなく、寒さに凍え,裸でいたこともありました。」(第二コリント11:26.27。)身を正当に守るための剣は必要だったのです。

 

☆さて、36節で主イエスが言われたことを,今の時代に当てはめるなら、この命令は「使徒たちが、その伝道のわざを進めるのに際して、通常の思慮分別を働かせて、必要と思われる物を用いよ」ということでしょう。ですから、当時の不安定な治安状態で旅行するのに財布、袋、剣が必要なのです。命令は具体的で単純です。他人を当てにせず,もちろん助力をうけることがあるかもしれませんが、原則としてこれからは自ら必要な物をそなえるようにしなさい。☆教会が世の中から自立し,自給することの大切さ、世の好意をあてにしない。世の敵意にも十分対抗できるように,備えることが必要なのです。通常の思慮分別をもって必要な物を整えて伝道をしましょう。主イエスは、弟子たちと共におられます。彼らの、そして私たちの多くの苦労と危険のまっただ中におられます。主が彼らに実行するように命じられた配慮と準備のまっただ中におられます。

☆ Ⅲ 37節は なぜ、以前と今がこんなにも状況が変わったのかの理由を説明しています。一言でいうならば、以前は主イエス様は行く先々で不思議と奇跡を行われ,メシヤのごとく歓迎を受けましたが、今は、このお方が罪人として数えられている。そのために弟子たちは同類とみられている。世間から拒絶され拒否される。というのです。☆神がお立てになったご計画は必ず成就する。その贖いのわざは実現する。「イエス・キリストが罪人たちの中に数えられた。」(イザヤ53:12)という預言は成就する。{「どくろ」と呼ばれているところに来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人の一人は右に、ひとりは左に}(ルカ23:33)。イエスは犯罪人と同じ刑法犯であるかのように,十字架につけられて死ぬ。

 

☆  イエスさまはこのことを弟子たちに悟らせようとした。彼らの救い主が、この様な刑法犯罪人としてみられる。ユダヤ人たちや異邦人たちも、そう受け取る。それゆえに、弟子たちが福音をこのお方の名前で伝える先々で,以前のようにフェアーに受け入れられる、見られるということは期待できないのです。それを教えようとされました。

十字架の主をのべつたえれば伝えるほど、世間の人々はそれに従った挨拶と取り扱いを示すでしょう。そこで、財布も,袋も剣も,要するに通常の方法、手段、備えがいるのです。

 

☆ Ⅳ 38節

この表現は、弟子たちが主の話しを聞いて,何に印象を強く持ったかを示しています。彼らは主イエスが語られたことを誤解しました。主は依然と,今からとは変化があり,扱われ方も違うと言うことをおしえられたのに、最後の晩餐の席上すぐにも剣が必要であると考えてしまいました。「ここに二振の剣があります。」彼らは,何か今からぶつかる危険に対して武装しておく必要を主が言われたと思ったのでした。☆イエスは彼らの理解の浅いのに嘆いて「それで十分」といわれました。日本語では肯定的な答えに読めますが、むしろ「もうよい」というほどの意味です。英語のIt is enough「そのはなしは,それでたくさん」と打ち切られたのです。

☆実際に,イエス・キリストを捕らえに来た者たちに対して、主が一戦交えるおつもりで、剣を用意せよといわれたのだとしたら、二振ぐらいでは十分なはずがない。たりません。第一、主が望まれるならば、父なる神に願って天の軍勢を12軍団あまり直ちに送ってもらうこともできたのです。ですから、主が剣を買えといわれたのは、武装せよというのではないことは明らかでした。

 

☆この意味の取り違えは、そのままでペテロは剣を49-51節に用いました。主はとどめられたことに発展してしまいました。

私たちが福音を伝える今の時代は、主の時代認識通りに、教会が自立して伝道に必要なものを良く考えて用意し、あらゆる敵意や、悪意や妨害、テロ活動などにも警戒して、十分太刀打ちして、行かなければならないのです。

☆結び)教会の宣教活動は、用意万端、祈りの備えの中にも、準備と配慮と用具を整えて、進めなければなりません。私たちが主から受けたことを、人々に伝える責任をはっきりと自覚して,時が良くても悪くても福音を伝えることに共に励みましょう。

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