14.6.8 音声
2014.6.8 「イエスの葬り」 ルカ 23: 50-56
序文)主イエスさまが十字架上で息を引きとられたのは、午後3時でした。次の日は安息日で、午後6時から始まりました。葬りのために3時間しか時がありませんでした。普通でも葬りは時間的余裕があまりありません。どのように葬られたか?さらには、私たちの場合はどうなるかを今朝はまなびましょう。
1 主イエスの葬り
イエスが召された時、弟子たちとガリラヤから付いてきた婦人弟子たちは、全くどうしてよいのか分からない状態でした。だいたい自分たちの愛する者が亡くなると、そのショックで普通はどうして良いのかわからないものです。イエスさまのように犯罪人として十字架上に死んだような場合、助けもなく、準備もなく、親しい者たちは誰もどのようにしたらよいか、考えつかなかったのです。そのままに放置するなら、主イエスさまの体は、強盗たちと同様に辱めを受けて、ゲンヒンノムの谷に投げ捨てられるところでした。満足に墓に葬られることもなかったでしょう。
そのような時に、神は、使命を果たし終えた、愛する御子の体を注意深く取り扱われました。イザヤ53:9「彼は富む者とともに葬られた」という預言が成就する方法で驚くべく働かれました。一人の人をこの時のために用意しておられたのです。アリマタヤのヨセフが、神のご用意された人でした。彼はイエスの死までは全く表面には出てこなかった人でした。その彼が突然にあらわれて、しかも、このむつかしい役割を見事に立派に敬意を込めてなしとげたのです。彼はサンヒドリン(ユダヤの国会議員)の一員でした。正しく、立派で、神の国を待ち望んでいた信仰ある人でした。そして、富める者で、自分のために新しいお墓をすでに用意していたのでした。
この人はユダヤ議会の中で、イエス・キリストに対してなされた計画や行動に同意しなかった人でした。イエスを地上から抹殺するという決定にさいして賛成の票を投じなかったのです、しかし、他の福音書でもそうですがヨセフが積極的に反対したとも書いていません。おそらくヨセフは自分が賛成できない彼らの行動を見て、それを阻止できないことを知り、身を引いて沈黙を守ったと考えられます。ヨハネ19:38には「イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフがイエスのからだを取かたづけたいとピラトに願った」とあります。マルコが「思い切って」と表現したのはそれなりの理由があったのでした。他の弟子たちがそうであったようにヨセフもまた恐怖心にとらえられていたのです。わたしたちも、その場にいたらきっと同様に、恐れてかくれたことでしょう。
その彼が、誰もイエスの葬りために働きそうもないときに「思い切って」働いたのです。何が、彼の心を変えたのでしょうか。勇気を出させ、ピラトの所に行き、身分を明らかにして、議員であるゆえに、ピラトもまたその願いを聞いてくれたのでしょうが、なぜ、そのようにできたのでしょうか。
それは、イエスの裂かれた体と、ほとばしった血を見、十字架上での祈りことばを遠く離れて聞いたからでしょうか。天地が暗くなった事実に心をゆすぶられたからでしょうか。推測するしかありませんが、イエスの死が彼の心をまことの愛で捕え、大胆なものに変えたのです。多くの人々がイエスの生前の力ある業、奇跡、教えを見聞きして信仰に導かれました。しかし、ヨセフはイエスの死ぬ時の様子をみて信仰に目覚め、神の立ち返ったのはたしかです。イエスを犯罪人としてではなく、栄誉ある者として葬るために直ちに努力し、自分のもっているものを全部用いて、そのように葬りをなしとげました。決断して実行し、終るまでに3時間しかなかったのです。
神の民は、主イエスの死のような、愛する者の死に直面して、初めて信仰に目覚めることがあります。それまでの一応はクリスチャンといった風情から、積極的な信仰者に変身し、主の愛に応えはじめる者がいます。教会が火事で焼けたとか、牧師が急死したとか、親しいものが突然召されたとか、特別な出来事に触れて初めて目覚めるのです。
神はイエスのいのちにおいてばかりでなく、死においても、このように人々を導き、変えられるのです。単に、イエスさまばかりでなく、その弟子である、わたしたちも、その生きるにしても、死ぬにしても神に用いられることはこのことによっても分かります。
死と葬りは、イエスの完全な沈黙を示していますが、その沈黙において、人のために働かれる神様をわたしたちも共に仰ぎましょう。多くのクリスチャンが生前よりも自分の死と葬りにおいて、家族を救いに導き、信仰の覚醒を起させ、多くの未信者に伝道しているという事実は、なぐさめ深いことです。そのように働かれる天の父の心を信じて自分達の死と葬りを思い、準備をしましょう。
2 鄭重な葬り
53節、アリマタヤのヨセフは、イエス・キリストの体を鄭重に葬りました。イエスを葬るために手伝った人々がいました。ヨハネ福音書19:39にニコデモが没薬とアロエを混ぜあわせたもの、およそ30キログラムをもってきて手伝ったとあります。さらに、あの百卒長も、イエスの体を十字架から降ろすのを手伝ったと考えられます。また、ガリラヤから付いてきた婦人の弟子達も、亜麻布で体を包むのを手伝ったのではないでしょうか。いつでも、葬りは多くの人々の手伝いが必要です。なにしろ、本人は何もできないのですから。家族だけでは出来ることに心理的な制限が働きます。ある時点で、次へと事を進めないといけません。いろいろな手伝いが必要なのです。その意味では、この教会で、召される者が出た場合、葬りのために様々の手伝いを必要としています。
彼らは協力して、真新しい墓まで、イエスの体を運び、そこに葬りました。それは、地上で受けた一切の恥辱をぬぐってあまりある栄誉ある葬りでした。盛大ではありませんでしたが、少数者による、真心のこもった真実な葬りでした。
ヨセフもニコデモも女たちもイエスさまの生前に出来なかったことを取り戻そうとしているかのように見えるほどに労したことでしょう。ヨセフが主イエスヘの愛を明らかにして示した時、イエスは死んでおられました。しかし、ヨセフのわざは聖書に書き記され、神の心に留められました。今日もあかしされています。死において仕える道もあるのです。
おしむらくは、ヨセフがイエスさまの生前にその信仰と愛をはっきりと示して、たとえ受け入れられなかっても、同じ議員仲間のニコデモとともにサンヒドリンで強力に積極的にイエスを弁護しておれば、たとえ聞かれなかったとしても、どんなにか主にとって励ましとなったことでしょうか。ヨセフの信仰をどんなに高めたことでしょうか。これは欲目かもしれませんが。
自分の愛する人のために、生きているときに贈るべき花を、亡き人の墓の上に置くことのないように心しましょう。たとえ、そのことが神に覚えられることはあっても、いかにも惜しいことではありませんか。その人が生きているときに語るべきことを語らなかったために、後になって心悔むことのないようにしましょう。生きている人への感謝の一言は、死者に対する埋めつくすほどの花にも勝っています。生きている人への謝罪の一言は、かぎりない悔いの涙よりも遙かによいのです。さらに、生きておられる神への賛美と奉仕と感謝は、あなたが死において表わすよりも、生きている時にこそ、表わすのが良いのです。日頃から信仰は目覚めていなければなりません。
主は確かに召されました。葬りが、その死の確実であったことを立証しています。主イエスも墓に葬られたということは、わたしたちの死と葬りにおいても慰めであります。主の御遺体は死の床に3日間、置かれました。ご自分のからだをもって何をすることも出来ない全く無力な状態におかれました。すべての人間が死においてそうなります。その中に、神は全能の力を働かせられます。葬られたイエスは、墓から、勝利のよみがえりを復活の体をもってなさったのです。わたしたちが、葬られる日、キリスト・イエスにある一人一人の体は、主にむすびついたままで、主の再臨の日のよみがえりを待つのです。それは、イエスをよみがえらせてくださった父なる神が、その信仰による子たちをも同じようにしてくださるからなのです。ここに深い慰めがあります。
3 私たちの場合
⑴先ず、自分が重篤になった場合は、牧師か長老に連絡してください。そのように家族に常日頃伝えておいてください。昼夜を問わず、牧師が直ちに出向きます。その際、滞在している場所を教えてください。特に他都道府県にいる遠距離の場合は、深夜は車でかけつけます。新幹線が動いている場合は、列車でゆきます。自分が重篤になったとき「教会に連絡してほしい」と、前もって未信者の家族に伝えておかないと、家族は万一の場合に病院付きの葬儀社に連絡したりして、たいていは仏教のお寺と関係があり、手はずを整えてしまいますから注意がいりますよ。
⑵間に合えば、臨終に立ち会い祈ります。間に合わなくても、霊安室に移されている場合は、そこに行きます。自宅の場合は、本人がいる部屋にとおしてください。
⑶召された場合、葬儀の準備を直ちに開始します。喪主を決めてください。いろいろの決断すべきことを喪主に次々とたずねます。判断できる人を立ててください。難しい場合や、会社関係などの重職の方の場合は、会社が葬儀委員長をたてる場合があります。いろいろの決断は委員長がします。牧師は葬儀社に御遺体の引き取りを依頼します。医師が書いた死亡診断書が必要です。たいてい病院は問題がなければ直ぐにくださいます。会計を済まさないとくださらない場合もあります。役所に死亡届を出すこと、火葬許可状を役所がくれます。火葬場に火葬依頼をするとき、それがないと受け付けてもらえません。届ける関係は葬儀社がほとんどを代行してくださいます。
⑷まず、決めていただきたいことは、御遺体をどこに運ぶかということです。自宅なのか、葬儀をする会場(教会堂など)なのか、です。葬儀社(キリスト教専門に依頼します、自分たちで互助会に入っている場合は、そこに連絡します。キリスト教式であるとはっきりと断ってください。)は、それによって、御遺体を運ぶ専門の会社に連絡をします。葬儀社の係の方も御遺体のあるところに来られます。運ぶのはたいていの場合ストレッチャーです。いきなり納棺はしません。ただし、交通事故などの場合、御遺体は最寄りの警察に保管されており、そこに行って本人確認を家族代表がしなければ、引き渡してくれません。ひどく損傷している場合は、警察で葬儀社の方が納棺してから運びます。わたしたちの車にのせて運ぶことはできません。犯罪行為ではないかと疑われれます。遺体の運搬移動許可を得ている者が運送専用の車で運ぶことができます。犯罪がらみの場合は、警察の監察医の診察がありますし、遺体解剖などの処置がある場合、運ばれている病院に引き取りにいきますが、そのばあいは、警察の許可があるまで運び出すことはできません。
⑸マンションの一階以上にお住いのかたは、たいていのエレベータには、ストレッチャーを乗せることができます。普段、住民のために救急車が来た場合にストレッチャーが入る空間を確保しているからです。納棺されている場合は管理人を緊急でよびだします。エレベーター箱の壁にある扉の鍵を開けてもらう必要があります。棺桶はそのままでは、狭いためにいれることができません。
⑹次に自宅で納棺をして、葬儀会場に移動する場合も、エレベーター箱の壁にある扉の鍵を開けてもらう必要があります。
⑺葬儀会場は、民間の式場、教会堂、マンション集会室、自宅、など多様ですが、決めなければなりません。
⑻ 葬儀の式は、納棺式、前夜式、葬式、納骨式があります。前夜式ははぶくこともできます。家族葬(密葬)をする場合は、後日に遺骨を前に召天記念礼拝をすることができます。
⑼それぞれの式を、どこで、開催日時は、などを遺族(喪主など)と牧師、葬儀社三者で相談します。遺影をえらぶこと、死亡診断書を葬儀社にあずけること、認め印が役所に届けるために必要なのであずけること、等々がいります。諸々の打ち合わせを、この機会におこないます。葬式の日は、火葬場の都合で、こよみの上で「友引」の日は火葬がありませんので、この日は避けます。キリスト教の火葬場は日本にありませんので、この風習に従わざるをえません。
⑽ それが決まると、葬儀社は火葬場の火葬予約をし、葬儀会場への移動などのために車の予約をいれます。遺骨は分骨するかどうかを前もってきめておきます。する場合は、火葬場にその旨、葬儀社がつたえます。分骨とは、先祖代々のお墓に納骨するのと、教会の納骨堂にいれるのと、あるいは自分たちですでに用意してある墓に納骨するのとで、遺骨が大小二ついることをさします。
⑾ 教会は、前夜式、葬式のプログラムを用意します。司式者、説教者、奏楽者、受付、会計等々をきめ、依頼を関係者にいたします。この場合、洗礼や転入の時に、牧師に提出した愛称さんびか、愛称聖句などが役立ちます。まだの方は至急提出してください。
葬儀社は会場の準備をいたします。遺影を飾れるように写真屋にたのんで準備します。自宅でする場合は、家具の一時的移動などは葬儀社がします。会葬お礼状の準備のために、おおよその会葬人数を推測します。通常は前夜式の方が大勢の会葬者がいます。
⑿ 当日は、葬式があり、出棺時刻を厳守して、火葬場にむかいます。
⒀ 通常、火葬時間は1時間ぐらいです。火葬の後に一同で収骨をして、骨壺に収めます。
⒁ 埋葬許可証は火葬場から出ます。これは失うといけないので、骨壺と同じ所に納めておきます。埋葬の時に墓の管理人に提出します。
⒂ 自宅に帰ります。一時的に花の飾りなどをした祭壇に遺骨を安置します。この場合、
御遺族と関係者で、慰労をかねて外部のレストランなどで一席設けることもあります。
⒃ お花料を式に当たっていただくかどうかを、喪主は決めなければなりません。いただく場合は、日本の習慣では、お返しという習慣があります。その場で会葬御礼状と、お返しに変わる記念品をわたして、後になって送付する手間を省くことがおおいのです。召された方が、世帯主であるばあいは、残された遺族のためにお花料をいただいた方がいい場合があります。お花料をいただかないという決断もできます。また、お返しをしないで、様々な福祉関係団体に寄付をする場合もあります。
⒄ 日を改めて、埋葬を墓地にいたします。墓地は自己保有の場合は、その墓地の管理者に連絡をします。管理者は納骨ができるように墓を当日の時刻に来て開いてくださるように墓石屋に連絡してくださいます。納骨式を墓前でいたします。
⒅ 日本長老教会の墓地の場合は、一年に一回ぐらい召天者記念礼拝を中会が実施します。東関東中会はおゆみ野教会の誉田チャペル敷地に納骨堂「シオンチャペル」を所有しています。使用権利取得費用は、まもなく20万円になります。納骨発生時に5万円を支払います。申込書類は牧師が保管しています。他に東京霊園(八王子)、名古屋・圓萬字霊園があります。地区教会によっては墓地を所有している所もあります。
結び)イエス様のための敬意を込めた葬りに慰めを覚えます。あなた自身の死と葬りのために、主イエス様にある備えを心得ておきましょう。信じる者は永遠のいのちをもつと主イエス様はおっしゃいました。よみがえりの日に共にいるといわれました。ご家族へのあかしはどうでしょうか。終わりを見つめて今日を生きる必要があるのです。
2014년 6월8일 「예수의 장사」 누가복음 23:50-56
서문) 주 예수님이 십자가에서 돌아가신 때는 오후 3시였습니다. 다음날은 안식일로 오후 6시부터 시작됩니다. 예수님을 장사 할 수 있는 시간은 3시간밖에 없었습니다. 보통의 경우에도 장사하는 데는 그다지 시간적인 여유가 없습니다. 예수님은 어떻게 장사되었는가? 또한 우리들의 경우 어떻게 되는지에 대하여 오늘 아침 배워봅시다.
1 주 예수님의 장사
예수가 돌아가셨을 때, 제자들과 갈릴리에서부터 따라온 여자들은 어떻게 해야할지 전혀 생각할 수 없는 상태였습니다. 대부분의 경우, 자신의 사랑하는 사람이 죽었을때. 그 충격으로 어떻게 해야할지 모르게 됩니다. 예수님처럼 범죄자가 십자가에서 죽은 경우, 도움도 없이, 준비도 없이, 가까운 사람 누구라도 어떻게 해야할지 생각할 수 없습니다. 그대로 방치하면, 주 예수님의 몸은 강도들처럼 굴욕울 받아, 지옥의 골짜기에 던져버리게 되고 맙니다. 만족스럽게 무덤에 장사할 수 있는 형편이 아니었습니다.
그런때, 하나님은 사명을 다하신 사랑하는 아들의 몸을 세심하게 배려하셨습니다. 이사야53:9 「그 묘실이 부자와 함께 되었도다」라는 유언이 성취되는 놀라운 일을 하셨습니다. 이 때를 위해 한사람을 준비하셨기 때문입니다. 하나님께서 준비하신 사람은 바로 아리마대 요셉이었습니다. 그는 예수님께서 돌아가셨을 때까지는 전혀 밖으로 드러나지 않았던 사람이었습니다. 그런 그가 갑자기 나타나, 그것도 이 어려운 역할을 훌륭하게 경의를 가지고 해낸 것이었습니다. 그는 산헤드린(유대의 국회의원)의 일원이었습니다. 의롭게, 훌륭하게, 하나님 나라를 소망하던 믿음있는 사람이었습니다. 그리고 부자로써 자신을 위해 새로운 무덤을 준비해두고 있었습니다.
이 사람은 유대의회가 예수 그리스도에게 저지른 계획이나 행동에 동의하지 않았습니다. 예수를 지상에서 말살시키려는 결정에도 찬성의 표를 던지지 않았습니다. 그러나 다른 복음서에도 나와있지만, 요셉이 적극적으로 반대했다는 기록도 없습니다. 아마도, 요셉은 자신이 찬성할 수 없는 그들의 행동을 보고, 그것을 저지할 수 없슴을 깨닫고, 몸을 사려 침묵한 것인지도 모르겠습니다. 요한복음19:38 「아리마대 사람 요셉이 예수의 제자나 유대인을 두려워하여 은휘하더니 이 일후에 빌라도더러 예수의 시체를 가져 가기를 구하매 빌라도가 허락하는지라 이에 가서 예수의 시체를 가져 가니라」라고 쓰여있습니다. 마가가 「당돌히」라고 표현한 것은 그 나름대로의 이유가 있었던 것입니다. 만일 우리들도 그곳에 있었다면 분명히 그들처럼 두려워하여 숨었을 것입니다.
그런 그가, 어느 누구도 장사를 위해 움직이려 하지 않았을 때, 「당돌히」 움직였던 것입니다. 무엇이 그의 마음을 변하게 했을까요? 용기를 내서 빌라도의 앞에 가, 자신의 신분을 밝히고, 의원이었으므로 빌라도도 그의 요청을 들어주었을 것입니다. 어째서 이런 일을 할 수 있었을까요?
그것은 예수의 찢어진 몸과, 뿌려진 피를 보고, 멀리 떨어진 곳에서 예수님이 하신 십자가의 기도를 들었기 때문인지는 아닐까요? 천지가 어두워진 일로 마음이 흔들리지는 않았을까요? 추측할 수 밖에 없지만, 예수의 죽음이 그의 마음을 참된 사랑으로 사로잡아, 담대할 수 있도록 변하게 한 것이라 생각합니다. 수많은 사람들이 예수의 생전의 능력있는 업적, 기적, 가르침을 보고 들으면서 믿음의 길로 인도되었습니다. 그러나 아리마대 요셉은 예수의 죽어가는 모습을 보고 믿음에 눈을 떠 하나님께 돌아오게 된 것은 틀림없는 일입니다. 그는 예수를 범죄자로써가 아닌 영예있는 자로써 장사하기 위해 즉시 움직였으며, 자신이 가지고 있는 모든 것을 들어 장사를 치렀습니다. 결단하여, 실행에 옮기고, 그것을 끝내기까지는 3시간밖에 없었기 때문입니다.
하나님의 백성은 주 예수의 죽음과 같이 사랑하는 자의 죽음을 직면할때 처음으로 믿음에 눈을 뜨는 경우가 있습니다. 그때까지는 그럭저럭 크리스챤의 분위기만을 가지고 있던 사람이 적극적인 신앙으로 변해, 예수님의 사랑에 응답하기 시작하는 사람이 있습니다. 교회가 화재로 탔다든지, 목사가 갑자기 죽었다든지, 친한사람이 갑자기 죽었다든지, 특별한 일에 부딫혀 처음으로 눈을뜨게 되는 것입니다.
하나님은 예수의 생명에 있어서만이 아니라, 죽음에 있어서도 이렇게 사람들을 인도하시고, 변하게 하십니다. 단순히, 예수님뿐만이 아니라, 제자 된 우리들에게도 그렇게 살아가면서도, 죽음에 있어서도 하나님께 쓰임을 받는 것을 이 일을 통해 잘 알 수 있습니다.
죽음과 장사는 예수의 완전한 침묵을 가리키지만 그 침묵에 있어서, 인간을 위해 일하시는 하나님을 우리들도 함께 경배합시다. 수많은 크리스챤이 생전보다도 자신의 죽음과 장사를 통해, 가족들을 구원의 길로 인도하고, 믿음의 각성을 불러일으키며, 수많은 미신자에게 전도하고 있다는 사실은 커다란 위로가 됩니다. 그렇게 일하시는 하늘 아버지의 마음을 믿고 자신들의 죽음과 장사를 생각하며, 준비합시다.
2 정중한 장사
53절 아리마대 요셉은 예수 그리스도의 몸을 정중하게 장사했습니다. 예수를 장사하기 위해 도운 사람들이 있었습니다. 요한복음19:39 에 니고데모가 몰약과 침향섞은 것을 백 근쯤(대략30kg)가져와 도왔다고 쓰여 있습니다. 더욱이 그 백부장도 예수의 몸을 십자가에서 내리를 것을 도왔다고 생각할 수 있습니다. 또한 갈릴리에서부터 따라온 부인들도 세마포로 몸을 싸는것을 도왔을 것입니다. 장사하는데는 옛날이나 지금이나 많은 사람의 도움이 필요합니다. 본인은 아무것도 할 수 없기 때문입니다. 가족이 할 수 있는 일에는 심리적인 한계가 있습니다. 어떤점에서는 다음 순서를 향해 진행하지 않으면 안됩니다. 여러 도움이 필요한 일입니다. 그런 의미에서도, 우리 교회에서 돌아가시는 분이 나올 경우, 장사를 위해 여러가지 도움을 필요로 합니다.
그들은 협력하여 새로운 무덤까지 예수의 몸을 옮기고, 그곳에 장사했습니다. 그것은 지상에서 받은 일체의 굴욕을 벗은 넘칠만큼의 영예로운 장사였습니다. 성대하지는 않았지만 적은 사람수에 의한 진실한 마음이 들어있는 장사였습니다.
아리마대 요셉도, 니고데모도 부인들도 예수님의 생전에 할 수 없었던 것을 만회하려는 것처럼 보일 정도의 노력이었을 것입니다. 아리마대 요셉이 주 예수를 향한 사랑을 분명하게 드러냈을 때는 예수는 이미 돌아가셨습니다. 그러나 아리마대 요셉의 한 일은 성경에 기록되어 하나님의 마음에 남았습니다. 오늘도 우리들 사이에서 증거되고 있습니다. 죽음에도 쓰임받는 길이 있는 것입니다.
안타깝게도, 아리마대 요셉이 예수님의 생전에 그 믿음과 사랑을 분명하게 나타내고, 설사 받아들여지지 않았다 하더라도, 그리고 같은 의원인 니고데모와 함께 받아들여지지 않았다 하더라도, 산헤드린에 강력하게 적극적으로 예수의 변명을 했었더라면, 예수님께 있어서 그것은 얼마나 큰 위로가 되었을까요? 아리마대 요셉의 믿음이 얼마나 커졌을까요? 그것은 저의 욕심일지는 모르겠지만…
자신의 사랑하는 사람을 위해 생전에 보냈어야 할 꽃을 죽은 후 무덤위에 올려놓는 일이 없도록 주의합시다. 비록 그 사람이 하나님께 기억되고 있는 사람이라 할지라고 그 얼마나 안타까운 일일까요? 그 사람이 생전에 말하지 않으면 안되었을 말을 하지 않았기때문에 나중이 되어 후회하는 일이 없도록 합시다. 생전에 보내는 감사의 말 한마디는 죽은 후에 넘칠만큼 보내는 꽃보다 가치있습니다. 생전의 사죄의 말 한마디는 끝없이 흐르는 후회의 눈물보다 훨씬 가치가 있는 것입니다. 더욱이 살아계신 하나님을 향한 찬양과 봉사와 감사는 여러분이 죽음에 직면하여 나타내는 것보다도 살아있을 때야말로 나타내는 것이 좋은 것입니다. 매일매일의 생활중에 믿음에 눈을 뜨고 있지 않으면 안되는 것입니다.
분명히 예수님은 돌아가셨습니다. 장사가 그 죽음의 확실함을 증명하고 있습니다. 주 예수님도 무덤에 장사되었다는 것은 우리들의 죽음과 장사에 있어서 위로가 됩니다. 예수님의 시체는 무덤 안의 바위판 위에 3일간 안치되었습니다. 그분 자신의 몸으로 무엇을 어떻게도 할 수 없는 전혀 무력한 상태에 놓이셨습니다. 모든 인간의 죽음에 있어서도 마찬가지입니다. 그런 중에 하나님은 전능의 능력을 보이셨습니다. 장사된 예수는 무덤에서 승리의 부활을 하셨습니다. 우리들이 장사되는 날, 그리스도 예수에 속한 한사람 한사람의 몸은 예수님과 함께한 상태로 예수님의 재림의 날의 부활을 기다리는 것입니다. 그것은 예수를 다시 살리신 아버지 하나님께서 그 믿음으로 자녀들도 다시 살려주시기 때문입니다. 이곳에 깊은 위로가 있습니다.
3. 우리들의 경우
⑴ 먼저 자신이 위독한 경우, 목사나 장로에게 연락합니다. 그렇게 하도록 가족에게도 평상시에 전해둡니다. 밤낮을 가리지 않고, 목사가 바로 향하겠습니다. 그 때, 거주하고 있는 장소를 알려줍니다. 특히, 먼거리의 다른 지방의 있는 경우, 심야에는 자동차로 향하겠습니다. 신칸센이 운행하고 있는 경우에는 열차로 이동합니다. 자신이 위독한 경우 교회에 연락할 것을 미리 전부터 미신자의 가족에게 전해두지 않으면 가족은 만일의 경우, 병원에 딸린 장의사에 연락해서, 대부분의 경우에 불교의 절과 관련된 절차를 준비하므로 주의가 필요합니다.
⑵ 시간 내에 도착하면 임종시에 함께 하며 기도합니다. 늦게 도착하더라도 영안실에 옮겨져 있을 경우, 그 곳으로 갑니다. 자택의 경우에는 본인이 있는 방으로 들여보내 주십시요.
⑶ 돌아가셨을 경우, 장례의 준비를 바로 시작합니다. 상주를 결정해 주십시요, 여러가지 결정해야 할 일들을 상주에게 물어봅니다. 판단할 수 있는 사람을 세워주십시요, 어려운 경우나, 회사관계 등의 중직에 계신 경우는 회사가 장례위원장을 정하는 경우가 있습니다. 여러가지 결정은 위원장이 합니다. 목사는 장례사에 유체를 물려받을 것은 의뢰합니다. 의사가 서명한 사망진단서가 필요합니다. 대부분의 병원은 문제가 없으면 즉시 전해줍니다. 관공서에 사망서를 제출하면 화장허가서를 줍니다. 화장터에 화장의뢰를 할 때, 화장허가서가 없으면 수리해주지 않습니다 허가서를 전하는 일은 장의사가 거의 대신 해줍니다.
⑷ 가장 먼저 결정해야 할 것은, 유체를 어디로 옮길 것인지에 관한 것입니다. 자택인지, 장례를 하는 회장(교회 등) 인지입니다. 장의사(그리스트교 전문으로 의뢰합니다.)는 그 결정에 따라 유체를 옮기는 전문 회사에 연락을 합니다. 장의사 담당자들도 유체가 있는 곳에 옵니다. 옮기는 것은 대부분 간이침대 입니다. 갑자기 입관을 하지는 않습니다. 그러나 교통사고의 경우, 유체는 가장 가까운 경찰서에 보관되어 그 곳에서 가족의 대표가 본인확인을 하지 않으면 유체를 양도받을 수 없습니다. 유체가 심하게 손상되어있는 경우, 경찰서에서 장의사가 입관을 한 후 운반합니다. 일반 차로 운반하는 것은 불가능합니다. 범죄행위가 아닌지 의심받게 됩니다. 유체의 운반이동허가를 받은 사람이 운송전용의 차로 운반할 수 있습니다.
⑸ 맨션의 1층 이상에 살고있는 사람은 대부분 엘리베이터에 간이침대를 태울 수 있습니다. 보통, 주민을 위해 구급차가 왔을 경우, 간이침대가 들어갈 수 있는 공간을 확보하지 않으면 안되기 때문입니다. 입관된 경우에는 긴급으로 관리인을 부릅니다. 엘리베이터의 벽에 있는 문의 열쇠를 열어야 할 필요가 있습니다. 엘리베이터의 문을 열지않고는 좁기때문에 그대로 관을 넣을 수 없기 때문입니다.
⑹ 다음으로 자택에서 입관을 하고, 장례회장에 이동하는 경우에도, 엘리베이터의 벽에 있는 문의 열쇠를 열어야 할 필요가 있습니다.
⑺ 장례회장은 민간의 장소, 교회당, 맨션 집회실, 자택,등 여러가지 있지만 어디로 할지 정하지 않으면 안됩니다.
⑻ 장례식은 입관식, 전야식, 장례, 납골식이 있습니다. 전야식은 운반할 수도 있습니다. 가족장 (밀장)을 할 경우, 유체를 앞에하고 소천기념예배를 할 수 있습니다.
⑼ 각각의 식을 어디에서, 개최일시 등을 유족(상주 등)과 목사, 상례사 3자가 상담합니다. 유영을 고르는 일, 사망진단서를 장례사에 맡기는 일, 인증서가 관공서에 제출하기 위해 필요하기 때문에 맡기는 일 등이 필요합니다. 각각의 준비를 이 기회에 말합니다. 장례식 날은 화장터의 사정으로 「토모비키」의 날에 화장을 하지 않으므로, 이날은 피합니다. 일본에는 그리스트교의 화장터가 없으므로, 이 풍습을 따르지 않을 수 없습니다.
⑽ 이것이 정해지면 장례사는 화장터에 화장예약을 하고, 화장회장에의 이동등을 위해 차량 예약을 합니다.
⑾ 교회는 전야식, 장례식의 프로그램을 준비합니다. 사회자. 설교자, 송악자, 접수, 회계등을 정하고, 관계자에게 의뢰합니다. 이 경우, 침례나 전입 때에 목사에게 제출한 좋아하는 찬송이나. 좋아하는 성구등이 도움이 됩니다. 아직 제출하지 않은 분은 제출해주시기 바랍니다.
장례사는 회장의 준비를 합니다. 영안을 꾸미도록 사진관에 부탁하며 준비합니다. 자택에서 할 경우에는 가구를 일시적으로 이동시키는 등의 일도 장의사가 합니다. 장례식의 감사의 선물을 준비하기 위해 장례식의 대략적인 명수를 추측합니다. 보통의 경우 전야식에 많은 수의 사람이 옵니다.
⑿ 당일은, 장례식이 있으며, 출관시간을 엄수하여 회장터를 향합니다.
⒀ 통상적으로, 화장시간은 한시간 정도입니다. 화장 후에 일동이 납골하여 뼈를 보관하는 항아리에 넣습니다.
⒁ 매장허가증은 화장터에서 나옵니다. 이것을 분실하면 안되므로, 항아리와 같은 곳에 보관해둡니다. 매장할 때에 무덤의 관리인에게 제출합니다.
⒂ 집에 돌아옵니다. 일시적으로 꽃으로 장식 등을 했던 제단에 영안을 안치합니다. 이 경우, 유족과 관계자에게 위안하는 겸해서 레스토랑 등에서 식사하는 시간을 갖기도 합니다.
⒃ 식에서 돌아가신분에게 바치는 꽃의 요금을 받을지 어떻게 할지를 상주는 정하지 않으면 안됩니다. 받을 경우에는, 일본에서는 답례품을 하는 풍습이 있습니다. 이 경우에는 회장선물로써 답례품을 대신하여 기념품을 전하고, 나중에 우편으로 보내는 수고를 생략하는 경우가 많습니다. 돌아가신 분이 세대주인 경우, 남은 유족들을 위해 요금을 내는 것이 좋은 경우도 있습니다. 꽃요금을 받지않는 결단도 할 수 있습니다. 또한 답례품을 하지않고, 여러 복지기관단체에 기부하는 경우도 있습니다.
⒄ 날을 다시 정해서 무덤에 매장을 합니다. 무덤은 자기소유의 경우, 그 무덤의 관리자에게 연락합니다. 관리자는 납골 할 수 있도록 무덤의 당일 정해진 시각에 와서 열어두도록 묘석사에 연락해 줍니다. 납골식을 무덤 앞에서 합니다.
⒅ 일본장로교회의 무덤의 경우, 일년에 한번정도, 소천자기념예배를 중회에서 실행합니다. 동관동중회는 おゆみ野교회 誉田챠펠의 소유지에 납골당 「시온챠펠」이 있습니다. 사용권리취득 비용은15만엔입니다. 납골발생시에 5만엔을 치룹니다. 신청서류는 목사가 보관하고 있습니다. 그 이외에 동경영원(八王子), 나고야 ∙ 圓萬字영원은 지역교회에서 무덤을 소유하고 있는 곳도 있습니다.
맺음) 예수님을 위해 경의를 가지고 장사한 말씀에 위로를 받습니다. 여러분 자신의 죽음과 장사를 위해 주예수님께 속한 준비를 합시다. 믿는자는 영원한 생명을 가진다고 주예수님은 말씀하셨습니다. 부활의 날에 함께 있을거라 말씀하셨습니다. 여러분의 가족을 향한 고백은 어떻습니까? 최후의 날을 바라보고, 오늘을 살아갈 필요가 있는 것입니다.
June 8, 2014 “The burial of Jesus” Luke 23:50-56
Introduction) The Lord Jesus died on the cross at 3:00 in the afternoon. The next day was Sabbath day and began at 6:00 pm. Therefore, there were only 3 hours left for burial of Jesus. Normally it doesn’t have much time for burying. This morning, we are going to learn how Jesus was buried and how we handle in our case.
- The Lord Jesus’s burial
When Jesus died, the disciples and the women who had followed Jesus from Galilee didn’t know what to do. When we lose someone we love, we would be too shocked to do anything. Thus, when Jesus was treated as a sinner and died on the cross, those who were close to Jesus had no clue as to what to do. The Lord Jesus’s body would have thrown away at Gehinnom valley with that of other robbers. It would not be buried in the grave appropriately.
In that timing, God treated His beloved son’s body very carefully after completion of his mission on the earth. God’s prophecy was accomplished extraordinarily as it says in Isiah 53:9 “He was assigned a grave with the rich.” God prepared a person for this timing. Joseph from Arimathea was one of them. He didn’t appear much until the death of Jesus. All the sudden, he came and carried out its difficult role respectively. He was a member of Sanhedrin (one of the Jewish council): being righteous and respected and faithful longing for a Kingdom of God. Thus he was rich and had already prepared for his own grave.
This man didn’t consent to their decision and action against Jesus Christ. He didn’t give a vote to terminate Jesus on this earth. However, as other gospels have written, Joseph didn’t force to disagree. Joseph saw other people’s behaviors that he disagreed, but he probably knew that he couldn’t prevent it; therefore, he remained silent. “Later, Joseph of Arimathea asked Pilate for the body of Jesus. Now Joseph was a disciple of Jesus, but secretly because he feared the Jews.” (John 19:38) “Joseph of Arimathaea, a prominent member of the Council, who was himself waiting for the kingdom of God, went boldly to Pilate and asked for Jesus’ body ”(Mark 15:43) There was a reason for Mark to express “boldly”. Joseph was frightened just as other disciples were. We would have felt the same way and hidden ourselves if we were in that situation.
He “boldly” worked when no one else could help burial of Jesus. What made him change his mind? How could that happen? —given courage to go to Pilate, explain who he was, and have Pilate agree.
Was it because he saw Jesus’s ripped body and blood on the cross and heard the words of prayers on the cross from the distance? Was it because his heart was moved by the fact that the sky became dark? Presumably, his heart must have changed drastically by Jesus’s death and was caught by true love. Many have led to believe Jesus by seeing and listening his power, miracle and teaching while he was living. But Joseph realized the faith as Jesus was going to die and returned to God for sure. He made the best efforts by using all he had and buried Jesus not as a sinner but as an honorable man. There were only 3 hours left to determine and carried out.
God’s people sometimes realize the faith by facing the death of beloved one like the death of the Lord Jesus. Until then, one was being so called “Christian”, and then he would completely change to become aggressive believer and respond to God’s love. One would become aware of the faith for the first time by unusual incidents such as Church being fired, the death of a pastor, or sudden death of close ones.
God would lead and change men by not just Jesus’s life, but his death. We all understand that it is not just Jesus, but God uses our lives and death as his followers.
The death and the burial of Jesus was the total silence of him. With the silence, we shall look up God who works for men. Many Christians would have led to save one’s family, to open others’ eyes for faith and to evangelize non-Christians by their own death and burial. That would be deeply comforting. We shall believe the heavenly father’s heart to work toward us and prepare for our own death and burial.
- Gracious burial
In verse 53, Joseph of Arimathea buried the body of Jesus Christ graciously. There were people who helped to bury Jesus. In John 19:39, it is written that Nicodemus helped taking about one hundred pounds of spices, mixture of myrrh and aloes. Also, the centurion was considered helping to take the body down. Moreover, the women who had followed Jesus from Galilee might have helped to wrap the body in a linen sheet.
It takes many people’s help for the burial; one can’t do it by oneself. The help of the family would be limited mentally. At some point, it would have to move to the next step; therefore, various helps would be necessary. In this sense, we would need various helps for burial service if any of our church members was called to heaven.
They cooperated and moved Jesus’s body to the brand new grave and buried his body. That was gracious burial that almost wiped out disgrace Jesus faced on earth. It wasn’t lavish, but heart felt and true burial.
Joseph, Nicodemus and the women would have worked so hard that they seemed to serve Jesus what they couldn’t do to while he was alive. When Joseph showed his love toward Jesus, Jesus was already dead. However, Joseph’s work was written in Bible and remained God’s heart. It was testified even nowadays. There is a way to serve in death.
It would have been much more comfort for the Lord if Joseph clearly showed his faith and love while Jesus was alive; Joseph should have defend Jesus aggressively with Nicodemus, the same member of the Council, at Sanhedrin even though it might not have accepted by the Council member. It would have helped Joseph to enhance his faith. It may be too ideal though.
We shall bring flowers that need to be delivered to our living beloved ones; not to put on the one’s grave. It could be recognized by God, but it would be a shame to let such an opportunity just pass. We shall not regret afterwards by not talking to living one. The words of appreciation toward those living would surpass the full of flowers to those who are dead. The words of apology to the living ones would overcome the tears with regrets. Moreover, the praise, service and appreciation toward living God would be better while you are living rather than after you died. We must be aware for the faith.
The Lord was called to heaven. The burial confirmed the death. The Lord Jesus was buried into the grave; it means the comfort toward our death and burial. The Lord’s body was put on dead for 3 days: there was nothing he could do with his body. All the men would go through the same thing when died. Then God worked almighty power; the buried Jesus was resurrected with victory from the grave. When we are going to bury, our each body that is united with Jesus Christ would wait for the day of Lord’s resurrection. It means heavenly father who resurrected Jesus would resurrect children with faith. It is deep comforting.
- In our case
(1) First of all, when you were in serious condition, please have your relative contact the pastor or the elders. Please let your family inform in advance. The pastor would come right away in any time. Then, please inform the place where you are staying; in case of a long distance, the pastor would drive down at night or use the bullet train if still running. Please be sure to notify your family in advance that if anything happens to you, have them contact your church, otherwise the hospital would contact their designated undertaker which normally related with Buddhism or temple and take care of things in their ways.
(2) If time allows, the pastor would come and pray to your last moment. If not, he would go to mortuary. If at home, please have your family guide where you are.
(3) When the time came to be called to heaven, the pastor would be involved getting ready for funeral immediately. Please assign the chief mourner. Then he would be asked several things to be determined. Therefore, it is ideal to assign someone capable. If it is difficult or in case of one who used to be in the board member of a company, the company assign a chairman for funeral which makes all the detailed decision. The pastor would request the undertaker to pick up the body which requires a death certificate from the doctor. Most of the hospital would issue the paper right away. The ward office issues the cremation permit after submitting the death certificate; Crematory doesn’t accept the request without it. The funeral director would handle most of these paper works.
(4) Please be determined where to deliver the body at first: at home or at the place where the funeral takes place. The funeral director (that is an expert for Christian style) would contact the appropriate delivery company, and he would come to the place where the body goes. Most of the cases, it is carried by a stretcher. Normally, we don’t casket right away. In the case of an accident, the body would be kept in the police and would not be released until one of family member identifies the one. Then, if the body is damaged, the police would contact the undertaker, place the body in a coffin and then be delivered. We are not able to use our own car to deliver the body; it would be suspected of a criminal act. Those who have a permission to carry the body can use the assigned car to deliver.
(5) Those who live higher than the 1st floor in a condominium would be able to use the stretcher, because most of the elevator is equipped the space for it in case of the need for an ambulance. If it is already being in the coffin, you would need to contact the manager in your condo; he has a key to open the box on the wall of the elevator. Otherwise the coffin won’t fit in the elevator.
(6) At next, If put the body in the coffin at home and send it to the funeral place, it would still need the key to open the box in the elevator.
(7) The place for the funeral needs to be determined: a private ceremonial hall, a church, a community room in a condo or your house. It varies, but must be determined.
(8) In the funeral ceremony, there are ceremony for encoffinment、funeral wake, funeral and cineration. A Funeral wake could be eliminated. In the case of a family style funeral, it is possible to have a commemoration in front of cremains.
(9) The bereaved family(the Chief mourner), a pastor and the funeral director would discuss scheduling the place to be hold these ceremonies. Besides, selecting a picture, submitting death certificate to the undertaker, and preparing a signet to submit documents to the ward office would need to be taken care of; these issues need to be discussed right away. We avoid the “Tomobiki”(one of Japanese old calendar day) for crimination, due to the Crematory’s schedule. We as Christians don’t have crematories; therefore, we must follow the Japanese custom.
(10)Once being all these things are determined, the undertaker makes an appointment with the crematory and reserves the car to deliver to the place for the funeral ceremony.
(11)At Church, we prepare for a brochure of the funeral wake and the funeral. We arrange an officiator, a preacher, a player, receptionists and an accountant. In this case, your favorite hymns and favorite verses which you all have submitted to the pastor when baptized or transferred to this church would be used appropriately. Those who haven’t submitted, please do so right away.
(12)On the funeral day, we all gather at the time of the hearse and go to the crematory.
(13)Normally, the cremation takes 1 hour. We would correct the ash and put them into an urn
(14)The burial certificate would be issued by the crematory which would be kept with the urn. Then it would be submitted to the manager of the graveyard.
(15)Everyone dismissed and go back home then. The ash to be temporarily placed at the altar decorated with flower at the house. The bereaved family and relatives may go to the outside restaurant for recognition of their services.
(16)The chief mourner also needs to determine if they accept “ohana-ryo” (condolence gift) at the funeral. If receive them, a returning gift need to be prepared as Japanese custom; Commonly, a thank you card and a small gift are prepared as a return, then you don’t need to worry about sending them later. When it was a householder, “ohana-ryo” might be used for the remaining family. Still, it is a choice not to receive “ohana-ryo”. Or, there is a case to contribute to various social welfare organizations instead of providing a return.
(17)On the scheduled date, the burial takes place in the graveyard. If the graveyard is personally owned, then contact the manager of the graveyard. He would contact gravestone manager to open the grave at the time of cineration. Then the ceremony for cineration would be held at the graveyard.
(18) For Japan Presbyterian church, Commemoration for those who had been called to heaven would be held by Presbytery once a year. East Kanto Presbytery owns “Simon chapel”, a charnel chapel at the Honda Church’s land of Oyumio church. The cost for acquisition of a usage right is 150,000 yen. It costs additional 50,000yen for cineration. The pastor has application forms. Other than that, there are at Tokyo Reien in Hachioji, Enmanji reien in Nagoya, and other graveyard owned by the ward church.
Conclusion) We learn comfort for burial service with all respect for Jesus. We shall be aware of the Lord Jesus’s preparation for your own death and burial service. The Lord Jesus said those who believe would have eternal life. He will be with us when he comes back. How about testimony toward your family? We need to live in today thinking about the end of life.