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2016年1月1日 元旦礼拝 説教(日本語文)エペソ人への手紙 音声あり


 
2016年1月1日 「内なる人を強く」 エペソ人への手紙 3章14-16節

 序文)あけましておめでとうございます。今年も主イエス・キリスト様のめぐみと支えが皆様の上に豊かにありますようにと祈ります。
 ことしの連続公開説教を、エペソ人への手紙を取り上げようと考えました。今、つづけている詩篇第一巻は41篇で終わりです。それでエペソ人への手紙は、2月中ごろに始める予定です。そのはしりとして、今朝の箇所を味わいましょう。

 パウロは手紙を書きながら、相手のためによく祈っております。エペソのクリスチャンたちのために、「神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように」と1:15で祈りました。3章でもまた、大きな願いを三つもささげています。
 16節 あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
 17節 キリストが心の内に住んでくださいますように。
 18−19節 キリストの愛を理解する力をもてますように。
いずれもクリスチャン生活にとって最も根本的な祈りであります。今朝は、この中の第一の祈りを学び自分の祈りとしてささげて新年のスタートを切りたいと存じます。

Ⅰ 「内なる人」とは?
1 パウロがクリスチャンに向かって、あなたがたの「内なる人」と言うとき、クリスチャンの実態をみつめて祈っているのです。「内なる人」とは? 何をさしているのでしょうか。どのような実態をさしているのでしょうか。このことを知るために、彼がほかのところで「内なる人」を用いている用法を調べて考えるための助けとしましょう。
 ローマ7:22「すなわち、わたしは、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、」ローマ人への手紙で、パウロは自分の経験からクリスチャンの実態を説明しようとしています。ここで、彼は生まれつきのままの存在の中に、神による新生を受けた「内なる人」があるため、戦いがあるということを告白しています。自分の行為、意志」、理性、性情との戦いがある。そのため悩んでいる。それは私たちの古い人、すなわち、アダムの子として生まれながらに受けている罪深い性質と「新しい人」すなわち、イエス・キリストを信じたことにより、新しく生まれることによっていただく新しい性質との戦いである。肉と新しい霊との戦いである。肉体と精神の戦いではなく罪により腐敗している古い人間性全体と、キリストにより新しく生まれ変わった生命の原理として内住しておられる御霊との戦いでもあります。

2 内なる人にたいして、「外なる人」は、古き人、肉に支配されている生まれつきの自分であって、からだは死に向かって日々に下降してゆき弱くなってゆく。霊は理性、感情、意志にかかわって堕落した働きが日々に弱められ、新しき神のいのちにより聖められ、完全な聖さに向かって日々に成長しつづける。そのために神は、みことばと内住の聖霊を用いて、私たちをキリストに似るものへと変えつづけられる。これは「内なる人」であって、古い性質への全面的な戦いが、地上生涯を通じて行われてゆく。
 そして、全人格が聖められてゆき、強められてゆき、神のみ前についに立ちうる真の聖潔へと励まされてゆく。この世にあるかぎり、この戦いは続くし、時にはまだ残っている古い性質、腐敗が、大いに優勢になることがあるが、それでもキリストの聖化の御霊からくる継続的力の補給によって新しく生まれた側が勝利を得る(注:ウェストミンスター信仰告白13章聖化)。

3 クリスチャンは死の時に霊は完全な聖さを得て、直ちに栄光に入り、身体は復活の時まで墓に休むが、ついに復活の時、栄光あるものによみがえらせられて、聖くされた霊と再び一つとなって完全な聖い者として、神のみ前に救いの完成を受ける(注:ウェストミンスター小教理問答37,38問)。
 それ故に、今日の地上の歩みは古い性質と、神により新しく生まれた性質—内なる人—との戦いであって、この最終ゴールにいたるために、日々、「内なる人」が強められねばならない。

Ⅱ 内なる人を強くする方法
 1「内なる人」は神によって生まれた。ヨハネ3:3−8.聖霊によって生まれた。だから成長し強められて行くのも、人間からはこない。神からくる。クリスチャンの信仰生活を養い、育て、恵み、支えるために、神は、外的な手段を与えられた。それは「みことば」と「礼典」と「祈り」である。しかし、それらは外的な手段であって、ここに言われている「神から」ということを抜きにしては、有効に働かないのである。外的な手段は内的な神のお働きと結びつくときに、有効に働くのである。それで、別のところでパウロは「絶えず祈れ」と勧めているが、ここでは、私たちを強くすることを父に祈っている。

 2 まず、「父が栄光の豊かさに従い、強くしてくださいますように」と言っている。神の完全な豊かさです。神の力も知恵も恵みも無限であり、人知を越えたものです。それは数量的な豊かさだけを意味するのでなく、それを私たちにも分け与えてくださるという、憐れみの豊かさをも意味します。それなくして私たちは強められることはありません。

 3 次に、御霊によりです。神の新しいいのちを私たちに与えて、新生させた方は、わたしたちをきよめ、強め、成長させてくださる方として、父よりイエス・キリストの要請によって遣わされてきたのです。
 御霊による強めは4章、5章に詳しく出てきます。御霊に満たされる生活を送ることによって、「内なる人」は強くされます。それは御霊の存在と力が、その人の内にありつづけて、完全な影響下に歩むことです。
 自分の古い性質の力や知恵でするのでなく、御霊によって新しく生まれた者として、御霊の知恵、力、みちびきのもとに歩むのです。御霊が内なる人に溢れるばかりいのちをそそぎつづけてくださるとき、その成長と強さは神のものなのです。聖い生活を送るための力は、聖霊からくる。肉の力は神に栄光を帰さず、自分自身に栄光を帰します。しかし、聖霊の力は神に栄光を帰するのです。ダイナミックナ力は、聖霊から来る。奉仕のための力も神からくるのです。ペテロは聖霊に満たされてからペンテコステの大奉仕を敢行し、一日、3000人が救われたのでした。神のために奉仕するのに、聖霊の力を受けなければなりません。彼らは共に仲間と祈祷会を行ったのです。7人の執事たちもまた、御霊と知恵に満ちた人たちでした。教会のこまごました働き、慈善のわざ、そのようなために、御霊の力が必要であったのです。霊的奉仕も実務的奉仕も、聖霊の力によらなければなりません。そして神は私たちにそれを与えてくださるのです。

Ⅲ 祈り求めましょう
 パウロが私たちのために祈ったように、私たちもいのり求めましょう。膝をかがめていのりましょう。獄中で、私たちのために心を熱くして祈るパウロをおぼえましょう。クリスチャンの誰かがあなたのために熱心にいのっているのです。「内なる人」を強くしてくださいと。神を知るために費やした時間は、決して空費されたと考えてはなりません。心を込めて御前に伏し、祈りに没頭するものは、神の聖霊を満たしていただ
き、力をいただき、鷲のごとく天高く舞いかけるようになります。天の父にいのりましょう。
 主イエス・キリスト様の約束のことばです。「あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うとき、魚の代わりに蛇を与えるような父親が一体いるでしょうか。卵を下さいと言うのに、誰がさそりを与えるでしょう。してみるとあなたがたも悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えるのを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が求める人たちに、どうして聖霊をくださらないことがありましょう」(ルカ11:11)。まことにアーメンです。
 天の父は、天上と地上で家族と呼ばれる、すべてのものの名の元であるのです。家族とは、もともと「父より出た者たち」言う意味を含んだことばです。ユダヤ人社会では、家族は父の名前で呼ばれました。アブラハムの子トカ、ダビデの子トカ、アロンの子というようにです。私たちは天の父の子たちです。偉大な唯一の父からでた者で、聖霊によって生まれた神の子たちです。ユダヤ人も異邦人もこの点では一体で、神の家族なのです。ユダヤ人パウロも異邦人私たちも、同じ、神の家族です。自分のためばかりではなく、パウロのように家族のためにも「内なる人」を強くしてくださいと祈りあいましょう。神は、神の家族の一人一人が強く杏里、古い生まれつきのままの部分が滅び、キリストに日々に似てゆくように理性も意志も感情も,全人が新しくなってゆくことを心より望んでおられるのです。

結び)「ですから、私たちは勇気を失いません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々に新たにされています」 コリント第二の手紙4章16節
 

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