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2019年12月8日バイリンガル音声



2019年 12月 8日 聖書創世記17:1-2 ルカ1:35-37
           「全能の神」
 序文〕クリスマスのたびにマリヤに天使があらわれてしたみつげをよむとき、マリヤを説得したことがあります。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。」(35~37節)
 1 神の全能の力により可能となる。無から有を造られた天地創造の神の全能によって,神がなさろうとすることにいっさいの制約はない。不可能の制約は、人間の側にこそあっても、神の側には無い。聖霊なる神の力により生まれでる子は聖なる子である。罪なくして生まれたもう子である。
 神は人間の問いかけに答えられました。それが神のご意思であること、全能の力によるのだということを。マリヤはその時、人間理性に最後まで固執しませんでした。神より自分たちが賢く、正しく、力があるなどと考えたりしませんでした。理解を超えた神ご自身の前に、人間に起こりえない事が、神の恵みによって起こりうることに心から同意しました。これは他に男がいたのだとか、後世の神話だとか、あれこれ言い抜けようとするこざかしさ、科学で答えられないと創造の真理よりも科学が上だと考える思い上がりは、このナザレの町のいち処女の信仰にも及びません。
 
 2「全能性」とは?
 それは、神様が意志されることは、いかなることもなし得るということです。詩篇 135:5 「まことに、私は知る。主は大いなる方、私たちの主はすべての神々にまさっておられる。6 主は望むところをことごとく行なわれる。」
 神様には手段は不必要です。手段を用いるとお考えになられれたときは用いられます。創造の始まりでは「光あれ」と意志されたら「光があった」のです。神はただ意志されることにより、全宇宙、全地球を創造されました。
 主イエス・キリスト様が神であることは、暴風に向かって「風よ、静まれ」といわれれば、風が静まったことでわかります。主イエス・キリスト様が、意志されたことは、ことごとく成し遂げられました。盲人の眼が開かれ、病気人に癒しが与えられ、死人はよみがえりました。
 これは力にかんする、わたしたちの普通の概念を突破しています。全能とは力に関する最高の概念です。聖書の中に啓示されています。創世記17:1「アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現われ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。2 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」この後、アブラハム100才をすぎ、妻サライ90才をすぎていましたが、全能の神は、契約を実施され、子供イサクの誕生ばかりでなく、後々の子々孫々を海辺の砂のように、空の星のように、数えられないほど、ふやされました。全能の神は、約束を実現されました。
 
 全能の神は、自由勝手気ままに振る舞う専制暴君ではない。神の力、全能とか、いつでも神の本性と不可分なものです。ですから神の力は不合理的なことや、矛盾となることをすることはできません。パーソンとしての特質である、倫理的道徳的な事柄に反するようなこともできません。神は嘘をつくことをしません。
 悪に誘惑することもしません。ヤコブ1:13「神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。」
 神は死ぬことはできません。神は全能である故にこれらのことはできないのです。神様が偽りや誘惑をできないからといって、それが神の力を減少させるわけではありません。もし神がそれらをしたら、それこそ神様でなくなるのです。神は意志されることを成し遂げ、意志されないことをなされないのです。これこそ全能なのです。
 神様の力は、絶対的な力と、普通の力に分けられて発揮されます。絶対的な力は、第二原因なしに直接発揮されます。それは摂理的な行為をこえて発揮されます。無からの創造、奇跡、直接啓示、聖書の霊感、わたしたちの新生などです。
 普通の力は第二原因を用いて発揮されます。摂理の中ですでに自然に与えられている第二原因の秩序のなかで発揮されるのです。
 
 信者は、その人生において、神の創造の力、保持、力、摂理的力のゆえに、神様を信頼するようにと促されています。
 クリスチャンにとって、神様の全能は、大いなる慰めと希望の源です。しかし、不信者にとっては、神の全能は警告であります。恐れの源です。神はその聖名とみことばによって人々を震わせ、おののかせられるのです。詩篇99:1「主は王である。国々の民は恐れおののけ。主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。地よ、震えよ。」悪霊も信じておののくのです。ヤコブ2:19「 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。」なぜなら悪霊も彼らの上に、全能の神が力を発揮されることを知っているからです。 
  すべてのひざは、主イエス・キリスト様のみ名によりて、かがめられます。
ピリピ2:10 —11「それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」
 

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